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「あの日あの時あの場所で、あのコンテンツに会えなかったら?」

タイトルからいきなり有名なラブソングのワンフレーズをお借りしてきましたが、みなさんには自分にとっての”ターニングポイント”になった映画、ドラマ、スポーツ、音楽など何かしらのコンテンツはありますでしょうか。

意識していなかったかもしれないけれど、ふと自分が好きだったエンタメを思い返してみたら、「もしかしてあの時の決断に影響していたのかもしれない」と気付けるかもしれません。


今回は、社員1人の半生の出来事と、その人と共にあったコンテンツを深掘りしていきます。

もしかしたら「あのコンテンツ」がなければ、本当に私たちは「見知らぬ2人のまま」だったかもしれないー!?

ぜひお楽しみください。


お話を聞いた人

Oさん

1988年に、今のスカパーJSAT株式会社の元となった日本通信衛星企画株式会社に新卒で入社し、現在メディア事業部門長を務める。
36年間にわたって宇宙部門・メディア部門・コーポレート部門を支えてこられたOさんの半生と、共にあったエンタメを伺ってみます。


1964年:高知県で誕生、幼少期は高松へ

ーお正月生まれなんですね!高知県に生まれた後、そこからすぐに高松に移動されたとのことで。

Oさん「2歳から6歳までは、両親と離れておじいちゃんおばあちゃんの家があった高松で過ごしていたんだよね。今では想像つかないと思うんだけど、お風呂が薪で沸かすタイプで、そのための薪をおじいちゃんが切ってきていたりしたんだよ」

ー薪ですか!毎日と考えると大変ですね…。その時はOさんはどんなことをしているお子さんでしたか?

Oさん「塗り絵をよくやっていたかな。周りに娯楽がなくて、一応家にテレビはあったけどそれも見ずに、ひたすら塗り絵をやっていたよ」

ー塗り絵ですか!
世の中ではこの頃、3C(自動車、カラーテレビ、クーラー)が人気、ミニスカートが流行!ビートルズ来日!という高度成長真っ只中でガヤガヤとした印象を受けますが…穏やかな幼少時代が目に浮かびます!


1969年:小学校で上京。宇宙戦艦ヤマトと出会う


Oさん「小学生の時に、ちょうど『仮面ライダー』の初回放送があったんだよね」

ー”初代の”『仮面ライダー』ですか?

Oさん「そう、初代だね。すごく覚えているのが、改造人間になってしまって、水道の蛇口を閉めようとするんだけど力が強すぎて壊しちゃうっていうシーンで」

ー切ないですね…。

Oさん「あと、『人造人間 キカイダー』っていうのもあって。これも然り『仮面ライダー』もそうだけど、日本のライダーって何故かみんな悲しみや事情を抱えているんだよね(笑)」

ー確かにゴジラもそうですよね。私たちは、ヒーローにも悪役にも裏事情を求めているのかもしれないです(笑)

Oさん「あと、好きだったのは『宇宙戦艦ヤマト』。連続アニメもあったけど、好きだったのは映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年公開)だったな。中学校の友達と、徹夜してレイトショーを見に行ったりしたんだよね」

ーレイトショー!いいですね!

Oさん「(人気で)たくさんの人が見に行っていたから、夜通し放映していたんじゃないかな。 その後の続編で、映画で死んじゃったキャラクターが生き返っていたのはいかがなものかと思ったけど(笑)」

ーそれは「あれ?生きてる!」ってなりますね(笑)物語を続けるためには必要な復活だったのかもしれません…。

▼『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』放送予定はこちら



1978年:テニスを始める。大学は京都へ

Oさん「このころ、週に1回やっていた30分くらいの海外テニスの番組があって。当時は今みたいにウィンブルドンの中継も見れなかったから、その番組でしか海外テニスを見られなかったんだよね。それを見てかっこいいな!と思って」

ーそれで、高校でテニスを始められたんですね!

Oさん「そうだね。漫画の『エースをねらえ!』もよく読んでいたな。大学でもテニスを続けたんだけど、気持ちを高めるために大事な試合の前にもよく読んでいたよ」

ー記憶に残っているセリフなどはありますか?

Oさん「『この一球は絶対無二の一球なり』は、名台詞だけどやっぱり印象に残ってるかな。(『エースをねらえ!』が)部室にも置いてあって、みんな読んでいたよ」

ーなんとなく女の子が読む漫画っていうイメージがありましたが、思いっきりスポ根漫画だったのですね!

Oさん「『生徒諸君!』も読んでたし、そう考えると漫画は結構好きだったのかもしれない。あとは大学時代は『ザ・ベストテン』が流行っているような時代で、貸しレコード屋さんでレコードを借りてカセットテープに録音してウォークマンで聴く、っていうようなこともしていたな」


1988年:現在のスカパーJSATの大元になる、日本通信衛星企画株式会社に入社

ー当時は衛星通信の会社として入社されたのですね。
もともと、大学などで宇宙について勉強されていたのですか?

Oさん「いや、大学も工学部で金属材料の勉強をしてたから宇宙に詳しかったっていうわけではないんだよね。
大学卒業前に、”リクルートブック”っていう分厚い冊子をもらって…」

ー求人が掲載されている本ですね。

Oさん「そうそう。それをパラパラとめくっていた時に、ロケットが打ち上がる写真が載っていて『かっこいいな!』と思った会社があって、それがうちの会社だったんだよね(笑)」

ー写真に惹かれて、ですか!

Oさん「でも、もともと『宇宙戦艦ヤマト』が好きだったからね。昔からずっと『宇宙かっこいい』っていう思いは変わっていないのかも」

ー確かに!『宇宙戦艦ヤマト』で宇宙に惹かれた少年が、時を経て本当に宇宙を相手に仕事をするようになったと思うと感慨深いです!

Oさん「あと、この頃から『SLAMDUNK』が始まって。自分は単行本派だったから、単行本が出るたびにすぐに買いに行っていたね」

ー好きなキャラクターはいますか?

Oさん「好きなのは三井(寿)かな。いっぺんヤンキーやって戻ってくるところがいい。『SLAMDUNK』もそうだし最近では『ハイキュー!!』もそうだけど、登場人物たちが、自分ができないことをできるようにしていく様は、やっぱり勇気もらうよね」

ー確かにそうですね。社会人になりたての時は、特に沁みそうです。


2011年:震災時の会議 そして現在へ

Oさん「それから2011年ごろにメディアの部門に部長として配属になり。その時よく覚えているのが、チャンネル事業者さんたちに提案をすることがあったんだけど、全部のチャンネルがOKを出さないと否決になってしまうからなかなか可決にならなくて。
それで、その最終提案のための資料を社内で集まって作っていた時がちょうど東日本大震災の日だったんだよね」

ーそうだったのですか!会議は中断に?

Oさん「いや。帰ろうとするにも電車は全部止まっていたし、電話も繋がらないしで、どうせ帰れないのだからっていうことで、そのままずーっと夜中まで会議していたんだよね」

ーなんと!続行されたんですか。提案の方は…?

Oさん「部屋にこもって話して、最終的には全社合意となって。あれはすごい覚えているね」

ーなかなかあの状況で会議できないですよ!でも1人じゃないっていう意味ではある意味心強いかも。最近見たコンテンツはありますか?

Oさん「最近はドラマとかも結構見るよ。『俺の話は長い』とか、同じ脚本家でこの前やっていた『コタツがない家』とか。日常を描いていて、特別な事件は起きないんだけど面白い、っていうドラマが好きかな。だからドキュメンタリーとかも、家で1人になった時にBBCの番組とかを『へぇー!』って見たり(笑)」

ーリアリティがあって、大袈裟な演出やドラマチックな展開はないけれどクスッと笑えたり感情が動いたりする番組、いいですよね。

最後に、今年の元旦で還暦を迎えられたOさん!今後のスカパー!に対して思うことや、目標などはありますか?

Oさん「コンテンツを見て喜んでくれている方が必ずいるから、人のためになっていない仕事は存在しない。だから、(スカパー!社員には)誇りを感じて働いてほしいなと思います。
自分の目標としては、会社の将来に対して役に立ちたいと思っています。24歳でこの会社に入社した時から見てきた数々の先輩たちが紡いだ歴史がある。過去を振り返る必要はないけれど、自分たちがやっていることがこれからの未来をつくっているんだと思って働きたいなと思います」






『宇宙戦艦ヤマト』から受けた「宇宙ってかっこいい!」という印象も(もしかしたら?)影響して入社したスカパーJSAT。
長らくいらっしゃる間に、時に辛いことや、お話にも出てきた「繰り返し提案をする」といったように忍耐しなければならない時もあったのではないかと思います。

でも、海外テニスをきっかけにして始めて、『エースをねらえ!』を読みながら続けてきたテニスの経験や、『SLAMDUNK』のキャラクターたちが頑張るきっかけになった、と言えるかもしれません。(ちょっとこじつけかもしれませんが(笑))

みなさんも自分の人生をコンテンツと共に振り返って、新たな発見をしてみませんか?


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