全て世は事もなし

昨日、今日と思い浮かんでいた言葉で、
頭から離れなかったので調べてみました。

この一節
詩人のロバート・ブラウニングの詩の一節で、上田敏の名訳 海潮音 からのようです。



わたし自身の、この言葉に対する印象は、

平和でのどか、穏やかであることと言うより、それもあるかもしれないですけど、

諸行無常とか、
人々の無関心、無慈悲、無教養、鈍感さ
忘却、

そんな感じでした。


🌼


上田敏の 訳詩より



時は春、

日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


🌼



ウィキをみると、
「55歳のとき、17世紀ローマで起きた現実の殺人事件をめぐって、10人の異なる証言で構成した壮大な物語詩『指輪と本』を発表、ようやく当代一流の詩人と認められるに至った。

代表作としては劇詩ピッパが通る Pippa Passes」(1841年)が挙げられ、特にその一節「"God's in his heaven. All's right with the world.(神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し)」が広く知られる。」

この、いっけん、のどかで平和の極みのような詩は、少女が歌っているのだけれど、

それを聴いたのは、
情夫と共謀して夫を殺したばかりの、
通りかがった女なんですよね。

地獄のような現実と、
全くのかけはなれた平和な歌。

正反対のかけはなれた世界が
同時にあるから、だからよけいにこの

全て世はこともなし。

が、なんとも胸に迫ってきます。

実際の世界もそうなんだろうなと
考えてしまいます。

良きも悪しきも、です。

人々のために、
命懸けで闘っている人がいるのに、
当の人間は、驚く程、全てに無関心で
自分の生活以外のことは何も考えない。

悪事がなされても、
自分に関係なければ、興味すら持たない。

高みを目指して、艱難辛苦の努力をした人の
足跡にも敬意を払わなかったり。

全て世は事もなし。

これが昔からの世間の現実なんだなと、
感じます。

でも、そうではない人が
必ず現れる。

不思議だなと思います。

「指輪と本」の、10人の異なる証言って
興味深いです。

視点を変えて考える。
いろんな角度から考える。

大事なことですよね。



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