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一番目の○○、二番目の○○には何が当てはまるだろうか

本noteは以下からの続きである。こちらでは『三番目の風』『4番目の光』を紐解くことで、その一字の意味や、どう与えられているかの由来を探っていった。

詳しくはこちらを是非ご一読いただきたいが、大まかにまとめると、〈風〉〈光〉は「新メンバーと(その当時の)グループとの対比」を行ったうえで与えられた一字であった。

3期生は「2015年までの完成された乃木坂46」に強く立ち向かう新しい〈風〉であり、4期生は「国民的アイドルとして憧れの対象となった乃木坂46」が放つ〈光〉を自らも求めていた。

そういったことが『三番目の風』『4番目の光』では描かれている。

一番目の○○、二番目の○○を探るにあたって、横並びの二つ名として、同様の名付け方をすべきである。つまり、この2曲と同じく「新メンバーとその当時のグループの対比」をポイントとして捉えなければいけない。

だからまずは、その「対比」が描かれている楽曲を、既存のものから探る必要がある(なぜなら"加入当時"の属性も楽曲に求められるから。今後リリースされる新曲では、その前提と一致しない)。

その上で〈風〉〈光〉に並ぶ一字を求められる楽曲を見つけることが、一番目の○○、二番目の○○を探る上ですべきことだ。

※以下で書く曲、求める一字は、あくまで例や提案の域に留まるものとご認識いただきたい。

ということで、早速ふさわしいと言えそうな2曲を挙げたい。前noteにて考え方を得た時点で、すでにその候補はあるのだ。

その楽曲は『乃木坂の詩』『ボーダー』である。

ボーダー

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(公式でMVをください)

いわゆる”2期生曲”は既に複数ある。『かき氷の片想い』『ライブ神』『スカウトマン』、既に卒業している相楽伊織、伊藤かりんの2人も含めた11人全員が参加しているものがこれらだ。

しかし、先述した”「対比」が描かれた楽曲”という基準で考えた時、2015年2月に正規メンバーに昇格した6人によるユニット曲『ボーダー』こそがふさわしいように思う。

『ボーダー』を以て2期生全メンバーが正規メンバーとなったこともまた、その価値を高めている。

2期生が加入当時置かれていた状況は、3期生のものと近しい。そして、それ以上に彼女たちが感じた風当たりは強かったのではないだろうか。

※当時のことをリアルタイムで把握できていないため、憶測交じりになります。すみません。

「初」の新メンバーということで、それこそ結成メンバーのみで完成していると見なす層からの、新メンバーが加入すること自体への反発が強くあったそうだ。加えて、SHOWROOM審査があった3,4期生と違い、オーディションの時点ではその存在は表に出ていなかった分、より彼女たちは「知らない子たち」であった(芸能活動の経験者がほとんどいないこともそれに繋がっている)。

研究生という立場から、まばらに正規メンバーへ昇格したり、堀のセンター抜擢なども当時は前例のない事であり、その扱いの不透明さを感じる者もいただろう。それ故の反発が発生することは、確かに十分あり得ることだった。

実際、「握手会でわざとスルーされた」「ライブで自分たちが近くに行っても反応されない」というエピソードや、「2期生の存在は認めない」とか「自分はアイドルを応援したいのであって、OLを応援したい訳じゃない」とか直接言われた経験を、メンバーは後に語っている。

ほとんど普通の学生だった彼女たちにとって、「立ち向かう逆境」と言うには過酷すぎるくらいに過酷な状況にあったのだと想像できる。

「乃木坂46に加入する」という事そのものの「負の面」を、まず真正面から強烈に浴びせられてしまったのが、2期生の彼女たちだった。

さらに、2期生内でも線は引かれていた。お披露目からして同時には行われず、加入してからも研究生、アンダー、選抜と別れ、長らく全員で肩を並べることが出来なかった。

後の2017年の『真夏の全国ツアー』で行われた期別ライブをはじめ、その複雑な思いを吐露する場面は、これまでも度々見られている。

そんな状況に対する”叫び”は、最後に正規メンバーとなった6人に託された。それが『ボーダー』という楽曲だ。

そうした状況に置かれていた彼女たちの想いが込められた楽曲である、という認識を補助線に『ボーダー』の歌詞を見てみよう。そこには、理不尽な状況への悲痛な言葉が並んでいることがわかる。

争いはやめにしようよ

目の前の悲しみがほら僕たちの現実だと受け止めよう

しかし、すべて諦めで受け入れるのではなく、怒りに似た感情をもって立ち向かう意志が彼女たちにはある。確かな想いは易々とは潰されない。

「イマジン」を歌い続けろ!

越えてしまえばわかるんだ
愚かな”いがみ合い”のレガシー

彼女たちがその想いを決意として胸に抱く時、それは怒りや悲しみには囚われない、どこまでもまっすぐな真摯さとして現れる。

未来の希望を君に届けるために歩いて行く

これから全て変わるだろう
変えていくよ

こうした見方における「国境」「ボーダー」という言葉の意味するところは一つに絞り切れないが、彼女たちが望んだことは、〈ボーダーに縛られていた〉その心を溶かすことであった。

そしてその心が溶けた時、誰よりも彼女たち自身がそれを祝福してくれる。理不尽さを向けてきた者にさえも、彼女たちは手を差し伸べるのだ。

この愛と一緒に越えよう

ねえ消えただろう 目の前のボーダー
何も無いよ
ねえ消えただろう どこまでも行ける
しあわせの道
世界中へピース

〈世界中へピース〉(Peace!)という言葉の、実に頼もしいこと!

そして彼女たちが言うからこそ、それはより重く響く。恨み節を吐いたっておかしくはないにも関わらず、彼女たちはそうはしなかった。誰よりも先に〈"いがみ合い"のレガシー〉は捨てていたのだ。

と、いうのが『ボーダー』であった。彼女たちが置かれた逆境、それに立ち向かう姿勢、解き放った想い、それらが現れた楽曲であるように思う。

特に、先述した期別ライブにてオリジナルのポジションを基に2期生全員で披露された事は、よりこの楽曲を象徴的にしている。

加えて言うなら、この『ボーダー』が世に出たタイミングも2期生の全員が正規メンバーとなった時期であり、新しい世代に与えられた一曲、という立ち位置も『三番目の風』『4番目の光』と重なる。

そうした点から、「二番目の○○」を探ることが出来る一曲として、この『ボーダー』を挙げさせてほしい。


そして、いよいよ本題に入ることが出来る。

先程「彼女たちが望んだことは、〈ボーダーに縛られていた〉その心を溶かすことであった」と書いた。つまり、そのボーダーを取り払った先にあるものこそが、2期生の求めるところであった。

それが『ボーダー』の肝であり、〈息を吐いてこの森全体を吹き飛ばせ!〉〈私たちの世代だけのその輝き/新しい色になる〉に連なる部分である。

であれば、それを示す歌詞に注目したい。上でも挙げたこれだ。

ねえ消えただろう 目の前のボーダー
何も無いよ
ねえ消えただろう どこまでも行ける
しあわせの道
世界中へピース

〈どこまでも行ける/しあわせの道〉、それが〈ボーダー〉〈国境〉が消えた先にあるものだと言う。

線を取り払った時、道がどこまでも続いていた。このラインこそが『ボーダー』において2期生自身を指すのではないか。

抜き出すならば〈道〉だ。〈未来の希望を君に届けるために歩いて行く〉という歌詞ともリンクする、「線を引かれた者」であった彼女たちが求めたもの。

乃木坂46として全員が並び歩くことを示す、果てしない〈道〉という言葉。

2019年現在の視点で見るならば、なおさら意味を見出すことが出来る。”不遇”と揶揄されながらも、その実、1人1人が高い能力を備えており、それぞれが替えの効かない活躍を見せている。それこそ「自分だけの道を切り開いた」という表現が似合うメンバーが特に揃っているのは2期生だ。

そんな彼女たちを指す一字、ここでは『ボーダー』から〈道〉を提案として挙げたい。

ということで、『二番目の道』もとい『ボーダー』についてここまで書いた。誰もが納得する結論かどうかはさておき、一個人が思考を巡らせた結果がこれ、ということで。

続いて「一番目の○○」も探っていきたい。もっとも、こちらはスムーズに考えることが出来る。1期生にとっての『三番目の風』『4番目の光』に当たる楽曲は、『乃木坂の詩』で間違いない。

乃木坂の詩

〈名も無き若者〉であった彼女たちがアイドルになり坂を登っていく、そんな姿が描かれているこの『乃木坂の詩』は、まさしく”新メンバー”である彼女たちを謳った楽曲だ。

〈夢〉に向かっていく彼女たちの主観で歌詞が綴られ、シンプルなまでに前向きな曲……なようで、むしろ妙なほどに「何も知らない」様が切り取られている。

乃木坂がどこにあるかなんて
僕らは何も知らずに来たんだ

そこに行ったら見つかると
前を歩いてた誰かに聞いて
気付いたときには坂を登ってた

ここまで散々繰り返した「立ちはだかるもの」、グループ創立メンバーである1期生にとってのそれは、まさに「何も知らない自分自身」であったのではないか。

(初めて与えられた冠番組も『乃木坂ってどこ?』だ!)

特に「乃木坂46のファン」であった3期生、4期生と対比するとよくわかるが、彼女たちはアイドルへの憧れすら持つ者は少なかった。

むしろ彼女たちの内にあったのは「自分を変えたい」という想いが多かったように思う。2015年に出版された、グループの歴史をインタビューと共に振り返ったドキュメンタリー本『乃木坂46物語』では、彼女たちの「乃木坂を目指した理由」は章を丸ごと使って綴られていた。

(参考)

その彼女たちが「乃木坂を目指した理由」、上に貼ったnoteにも掲載した抜粋を、ここでもいくつか引用しよう。

白石麻衣の場合

しかし当時の彼女は、アイドルになる気もなく乃木坂へやって来た、故郷を捨てた19歳の少女だった。

斉藤優里の場合

一生の仲間。斉藤優里は、そんな存在を目指して、乃木坂を目指したのだった。

松村沙友里の場合

これまでの人生、勉強とアニメしかなかった予備校生は、目指していた看護師とはまったく別の道を歩み始めていた

高山一実の場合

親の目を盗んでの約2時間の挑戦。しかし、その結果、彼女はオーディションを勝ち進み、最終審査へと進んでいったのだった。

これらは『乃木坂46物語』第一章の、個人々々の項の最後の一文を抜粋したものである。こうすると言葉足らずだが、なんとなく書かれた内容は察することが出来るのではないかと思う。

「アイドルになる」ことそのものを目標にしている子が少ないことがわかるだろう。ここに載せていないメンバーも含め、それは高山くらいであった。

そんな極端なまでに”無垢”な彼女たちを待ち受ける困難は、まずメンバーを選抜されるところからいきなり始まってしまったわけだが、『乃木坂の詩』にもそんな彼女たち自身が投影されているように思う。

その上で、強く歩みを進めることを求められた乃木坂46たちの姿もまた描かれている。それはいずれも、自らが自らに投げかけるような言葉で示されている。

地に足を付けてちゃんと歩くんだ

自分を信じて前へ進むんだ

そして、〈乃木坂の詩〉とは〈僕らの詩〉であると謳う。

乃木坂の詩
僕らの詩

これは「自分とは何者なのか?」という問いに「乃木坂46である」という解を突きつける強烈なラインだ。

それは、頼もしい激励であり、残酷な宣告でもあり、何の解決にもなっていない言葉でもある。彼女たちが自ら選んだ運命そのものを示すその言葉は、常に自問自答するかのように、キャリアを重ねても絶えず節目の場で歌い続けられている。

しかしながら、その言葉は同じでも、聴こえ方は少しずつ変わっているようにも思う。

志を共にする仲間も少しずつ増え、自分たちを憧れと言う若い世代にも出会い、「乃木坂46」は結成当時よりも大きな存在になった。

それと共に、〈乃木坂の詩/僕らの詩〉という言葉が示す意味も変化しているはず。

いつの間にか僕らは 知らず知らず
何かに引き寄せられて 運命に

夢ならここにある

そして、それを肌身で常に感じ続けているのは1期生だけだ。今や全員での歌唱による披露が主となっているこの曲だが、最も体現しているのは、間違いなく1期生の彼女たちであるはずだ。

『乃木坂の詩』は、『三番目の風』『4番目の光』に共通するタイトルのフォーマットにも則している。

まだ「○期生」という概念が無かった時代の彼女たちにとって、"乃木坂46"=1期生のことであった。つまりは「乃木坂」の箇所にそのまま”一番目”の存在である「1期生」を当てはめることが出来る。

だから『乃木坂の詩』とは『一番目の詩』だ。

そう、1期生に与えるべき一字は〈詩〉を提案したい。

〈名も無き若者〉がアイドルという存在になり、得たものは「歌」である。同時に、様々な形で「言葉」を人に伝えられる立場でもあり、それに心動かされた経験は多くあるはずだ。そして彼女たちの歩む一つ一つの道程は、常に「物語」たり得るもの。

それらを象徴する一字としての〈詩〉。『乃木坂の詩』ありきで考えてみたながら、なんともふさわしいのではないかと思う。

まとめ

1期生に〈詩〉、2期生に〈道〉を、〈風〉〈光〉に並ぶ一字として提案したところで以上とさせていただきたい。

そして『三番目の風』『4番目の光』に並ぶ曲は、「二番目の道」である『ボーダー』、「一番目の詩」である『乃木坂の詩』としたい。

あくまで、ただ純粋に当てはまりそうなものを考えたのではなく、個人的に仮定した理屈で詰めていった結論がこれであっただけなので、あまり石を投げないでください。

賛同してもらえたらそれはもちろん嬉しいけれど、むしろ提示した考え方だけ参考に(というか、それも無視して構わないし)、各々でより良いものを考えてみてほしい。思いついたら、是非教えていただければ。

以上。


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