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そうめん(映画「火垂るの墓」)

夏のこの暑い時期だからこそ美味しいそうめん。日本の夏に欠かせないレシピなのです。空腹と暑さでゆでる分量を間違えて、おなかにもたれて多くて残してしまうのもご愛敬。残りはそうめんチャンプルーにして次の食事に出て来るという、名プレーヤーなのです。写真はごまだれにラー油を入れたごまだれそうめん。スーパーでかき揚げをひとつ買ってきて、天つゆとごまだれの競演という暴挙に出たのでした。

そうめんといえば、どの作品にしようか連想すると、難しいものばかりなのでした。考えた末、この「火垂るの墓」です。主人公2人の両親がまだ存命の頃、おかあさんに昼食よーカルピスもあるわよーと、呼ばれていたのでした。カルピスにそうめん、これはお子さんにとってはありがたい。今の私だと、「カルピスはおやつで、飲み物は温かい緑茶でお願い」と言いそうです。

この作品の原作の野坂昭如氏の戦争のお話「たこになったおかあさん」を小学生の頃読んで、衝撃を受けておりました。そしてこの映画はもちろん大人になってから拝見。「最期まで見れない」という知人が何人かいましたが、私は最後まで見たものの、やはり「衝撃のみで一言も感想を言えない」という状態になるのでした。

社会に余裕が無くなると、自分のことで精一杯でお互いに思いやることが出来なくなり、縁をもたないもの、弱いものからダメージを受けて行く。さらにボタンを掛け違うように悪化の事態の方にすすんでゆく。同じ戦時中の作品「この世界の片隅に」は同じくいち市民が精一杯生きてゆくものですが、これとは違う結末を迎えます。どちらかというと、戦時中ではないのに、同じく度重なる出来事からどんどん終末に向けて進んでゆく「星守る犬」に近い展開を感じさせます。そう思うと、戦時中あるあるではなく、「社会とのつながり、そして網(セーフティネット)」を得られない、または得ようとしない(!)あるある、だったのでしょうか。ここまで書いて来て、同じく作中グルメのそうめんを想起させ、今回どちらにしようか迷った「万引家族」と、実は根底にあるものは似ていたのかもしれないです。

この幼い2つの命の道行きを「現代」という時間を生きる2つの御霊が俯瞰して、視る私たちとともにあり続けます。私たちに、この2つの御霊は何を見せたかったのでしょうか。つい最近この作品は岡田斗司夫氏、シークエンスはやとも氏が紹介、考察しているのをようつべで拝聴し、あああああーそんな捉え方があるのか?と再度の衝撃でした。興味ある方はご覧を。

人が生きていた証、それはどのような道であっても経験であっても、確かにそこに存在したことを、この映画は教えてくれるのでした。


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