よりしろを持たない

イエロー・ストレイン国際空港には、様々な人たちが日々行き交っている。
例えば左利きで少し神経質なピアニストや、昔左翼セクトの副リーダをやっていたおじさんや、死ぬことが急に怖くなった少年。そこにいるのは人間だけじゃない。方輪のねこや、首の短いキリン、言語哲学者のゾウ。
それらのすべては、お互いに興味を示すことはない。縦に長い空港の中には忙しなく動く者もいれば、ゆっくりと動く者もいる。時間の進み方はそれぞれ違っていた。しかし、彼らはどこにも行こうとはしない。少し歩けば、どこへでも飛び立つことだってできるはずなのに。

僕はその場所で、またもや時間を計測しているのだった。空港の端から端までをできるだけ同じ歩幅で歩き、その時間を計測する。23分23秒。僕がイエロー・ストレイン空港の端から端までを歩くのにかかる時間だ。

僕はそこである老夫婦に出会った。彼らは2ヶ月もの間、じっと革張りのソファに座っていて、ときどき何かをしていると思えば、地面に石を並べている。
2人とも上品な格好をしていた。男の方は、艶のあるリネンのシャツにハリス・ツイードのジャケットを羽織り、大きめのスラックスをサスペンダーで吊り上げていた。女の方は玉虫色のファーコートのチャックを上まであげ、黒のプリーツ・スカートを履いている。

「君は一体何をしているんだい?」彼は時間を計測する僕に声をかけた。女の方は僕を見ずに、じっと俯いていた。

「時間を計測しています。ここの端から端まで、できるだけ同じ歩幅で歩くんです。それにかかった時間を計測している」

「なぜそんな意味のないことをするのかね?」彼は興味深そうに言った。

「癖みたいなものです。あなた達だって石を並べては片付けている。それと同じ」

「みんなここから飛び立って行こうとはしない」と男はそう呟いた。

「そうです」女は俯いたままだった。

彼ははそれから僕に声をかけることはなかった。僕から彼らに声をかけることもなかった。全ては僕を通り過ぎていった、数々の景色のようなものの一つに過ぎなかった。

2ヶ月経ったある日、彼はまた僕に声をかけて来た。
「考えてみたんだけどね。石を並べるのは、私たちにとって結構意味のあることだ。私たちは拾って来た石を集め、いつも違う並べ方をする。そして海岸を想像するんだ」彼は一呼吸おいて、こう続けた。

「そうしているとね、彼らは雄弁に自分を語り始める。石英の作り出す稲妻が、長石のカーブが、瑪瑙のマーブルが、私たちに語りかけてくるんだ」

「それは楽しそうだ」相変わらず女は俯いている。

「ここにいるものと話していても、大した面白みはないんでね」

「僕と話しているじゃないですか」

「楽しいことを毎日するわけにもいかん」彼はいたずらそうに笑った。彼の目の下には、彫刻刀で彫り込んだような直線的な皺がよっていた。

「それもそうだ」

「ここにいるものたちは、自分を語るべきよりしろを持っていない」

「石と違って、ということですか?」

「そうだね。必要に応じて作られた言葉や概念、思想。それらに縋っているだけにすぎないのだよ。だから、面白みがない」

「それがあなたの出した結論ならば、それを大事にしておくべきです」

「君は優しい人間だ。だからはじめに声をかけた」彼はそう言って笑った。彼の細い笑い声の中には、確かな豪胆さがあった。
女は初めて顔を上げて、僕の方を見て微笑んだ。僕も彼らに微笑み返した。

しばらくして、彼らはこの駅から居なくなった。僕は彼らが飛び立ってしまった後も、時間を計測している。23分23秒。僕がこの空港の端から端までを歩くのにかかる時間だ。

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