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どうして英語ってこんなに難しいの?: (8)英語でオペラを美しく歌えるか?

ヨーロッパ芸術音楽の粋ともいえる歌劇オペラを敬遠される音楽ファンが圧倒的に多いのは、言葉がわからないからですよね。

わたしは外国在住で語学には長けていますので、外国語で歌われるオペラには全く抵抗がありません。でも歌われる言葉のすべてを聴きとれるわけではありません。

ドイツ語やイタリア語は結構わかりますが、そもそもオペラとして歌われると、アクセントが変化して母音も歪んで、ネイティブスピーカーだって聞き取れないのですよ。

バロック音楽の奇跡、ヘンリー・パーセル

英語で歌われるオペラというものも何曲かあります。

有名なのは、バロック時代のパーセル作「ディドとアネアス Dido and Aeneas」や、20世紀のベンジャミン・ブリテン(「ピーター・グライムス」など名作が何曲もあります)や、アメリカに住んでいたイゴール・ストラヴィンスキーの「放蕩者の成り行き Rake's Progress」など。

「サマータイム」で有名なアメリカのガーシュウィンの「ポーギーとベス」は、ほとんどミュージカルなので、ここでは含めません。

オペラの筋書きは他愛のないもので、カルタゴの女王ダイドーと、滅びた祖国から逃れてきたトロイの王子アネアス(アニーアス)との悲恋。祖国再興を願うアネアスは一人去り、置き去りにされたダイドーは、悲しみのあまりに有名なアリアを歌いながら息を引き取り、オペラは幕を閉じます。

この動画は字幕付きです。是非とも聴いてごらんになってください。

50分ほどの短いオペラ。

大バッハ (1685-1750) やヘンデル (1685-1759) と同時代人のヘンリー・パーセル (1659-1695) の筆より生まれた、1689年に世界で最初に「英語で」書かれたオペラ。

でも天才パーセルはこれ以外に本格的なオペラを書き上げることはなく、37歳という若さで亡くなります。

その後、英国音楽界は、パーセルの生まれる前の時代に起きたクロムウェルの清教徒革命による文化大破壊 (1639-1660) の影響を受けてか(世俗音楽を禁じて、音楽教育の廃止、ついには教会音楽さえも極端に制限しました)、もはやパーセル並みの偉大な音楽的才能を19世紀の終わりにエルガーなどが登場するまで、200年にわたり、持つことができないのでした。

オペラ最後の「ダイド―の嘆き」。本当に美しい悲しみの結晶のような歌。

20世紀前半にはエルガー、ホルスト、ヴォーン=ウィリアムスやディーリアスなど、20世紀半ばには天才ベンジャミン・ブリテンが登場して、ようやく英国は世界的な芸術音楽を産出する国になりますが、どうにも遅すぎたようですね。

クラシック音楽の世界では、英国は音楽不毛な国として知られています。

YouTubeなどでブリテンのオペラを幾つか聞くことができますが、コメント欄で英語ネイティブが、

自分には半分しか聞き取れない

と書かれていました。その言葉に対して、

自分も英語ネイティブなのに同じくわからないよ(笑)

と別の方が返信を書かれていて微笑ましい。

英語という言語の音楽性はここでは横に置いておいても、オペラって基本的にそんなものなのです。

言葉は大事だけど、音楽の方がより重要。

聞き取れないのは当たり前。

劇を理解するのに、粗筋だけ大体わかっていればいい、というのがオペラ鑑賞の基本です。

チェコ語で歌われる世界で最も美しいアリア

ですので、一語も解することのできないチェコ語のドヴォルザークやヤナーチェクのオペラを聴いて心打たれるし、楽しめるわけです。

たとえば、このドヴォルザーク晩年の名作歌劇「ルサルカ」の有名なアリア。

日本ではアントニン・ドヴォルザークといえば、「新世界交響曲」や「ユーモレスク」や「チェロ協奏曲」や「スラブ舞曲」など、器楽音楽の作曲家として知られています。

ですが、世紀の名作「スターバトマーテル」などを若き日にドヴォルザークは作曲しましたし、名曲「我が母の教え給いし歌」は何度聴いても感動的。

彼は偉大な声楽音楽作曲家でもあるのです。

いらすとやさんによるドヴォルザークの肖像

西洋音楽の歴史数百年のうちに何百というオペラアリアが作曲されましたが、その中でも掛け値なしに最も美しいものがこの「月に寄せる歌」。

わたしには一語たりとも理解できないけれども、言葉がわからないことはオペラアリア鑑賞にはそれほど重要ではないのです。

プーチン大統領とのコネクションから、音楽活動を現在自粛させられているアンナ・ネトレプコによる絶唱。世界最高の指揮者の一人であるロシア人指揮者ゲルギエフと同様に、彼女の芸術活動が再び許されるのはいつの日のことでしょうか?

YouTube再生回数はほぼ400万回。映像の質は酷いものですが、音源として本当に素晴らしい歌唱。音楽ファンならば聞いて損はない名演です。

ついでにドヴォルザークの歌曲もどうぞ。この曲はドイツ語です。カタカナ字幕付きですので歌ってみてください

英語(ドイツ語)は野蛮?

伝統あるオペラの末裔である、または大衆的に音楽的レヴェルを下げて作られたともいえるミュージカルというジャンルがありますが、より分かりやすい歌唱方法を用いて英語で歌われても、なかなかすべての言葉を聞き取るのは難しい。

歌われる言葉の聞き取りが難しいのは、言葉の音楽(イントネーション、リズム、アクセント)が作曲家のつける音楽とは異なるから。

優れた作曲家ほど、歌いやすくわかりやすいのは、ヴェルディやモーツァルトなどという優れた歌劇作曲家が、言葉の音楽と音楽の音楽らしさを完璧に理解しているから。

でも合唱になると、やはり聞き取りにくい。

映画アマデウスでは、たくさんの人が同時に喋り出すと、何を喋っているのか分からなくなるという話が出て来て、モーツァルトは音楽がついていれば理解できるのだと主張します。確かにそういう場合もよくあるのですが、やはり歌われた言葉は聞き取りにくい。確かに語られるよりは分かりやすいけれども。

母音の豊かなイタリア語ならば理解できるのでしょうか。

日本語で歌われるオペラはピンとこない。オペラという音楽ジャンルが西洋音楽なので、日本語と相性が悪いからでしょうか。木下順二の戯曲によるオペラ「夕鶴」とか。もとの日本語は美しいのに、音楽に乗ると、途端におかしく響く。音楽なしの演劇の方がよほど美しく自然ですね。

映画「アマデウス」の別の場面にはこんなやり取りがあります。

新しいオペラの言語を決めるのに、ドイツ語とイタリア語を比べて、言語的アクセント(強拍)が存在しないがために、歌の翼に楽々と乗るイタリア語に対して、

ドイツ語は野蛮、粗野、野卑である(Brutal)である

と、イタリア人宮廷音楽家ジュゼッペ・ボンノ (1711-1788) は、ドイツ語オペラを推進したい啓蒙君主ヨーゼフ帝に反対意見を述べ立てます。

1:23より(上に引用した動画はその部分から始まります)。
Majesty. I must agree with Herr directeur.
German is… Excuse me… ??? …Too brutal for singing…

陛下、音楽監督閣下と同意見でございます。
ドイツ語は、お許しを、(イタリア語らしい言葉を挟んで躊躇いがちに)
歌うにはあまりに粗野であります

今では忘れ去られた宮廷作曲家のボンノさん。映画でも、モーツァルトを評価しない音楽監督ローゼンベルクの腰巾着に合わせるだけのなんとも情けない役柄なのですが、劇中では彼の言葉は非常に少ないので、この言葉、非常に印象的なのです。

ちなみにモーツァルトの正歌劇「イドメネオ」を高く評価してウィーンに呼び寄せたのは、映画でも重要な脇役のファン・スヴィーテン男爵。のちにモーツァルトの死後にもベートーヴェンに交響曲第一番を献呈される音楽史上における重要人物です。

ドイツ語は英語同様に、強いアクセントと弱いアクセントとの繰り返しにおいてできています。ですので音楽的なアクセントとしばしば一致しません(四拍子だと1,2,3,4は強弱強弱というパターンです)。

この音楽的アクセントのある音符に言語的アクセントを合わせるという作業が大変。だからドイツ語オペラは難しかった。それを世界で最初に成し遂げたのが、子供の頃より4か国語を流暢に話せた、史上最高のオペラ作曲家モーツァルトでした。ラテン語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、そして少しばかりの英語でした。

モーツァルトは英語は上手にしゃべれなかったそうですが(使う機会がなかったため)、長生きして英国へ行く生前の計画を実現させていれば、英語のオペラも完璧に書き上げて英語オペラを大改革したのではというようなことさえ思えます。

幻の英国行きのためにモーツァルトは英語を生前猛勉強して、英国で披露するために、最後の3大交響曲を書き上げたのでした。あれだけの大作K.543, K.550. K551が生前にオーケストラで演奏されなかったという理由です。

まるでシューベルトの未完成交響曲のような話。

クラリネット版という別のヴァージョンの存在するト短調交響曲だけ、どこかで演奏されたと推測されていますが(状況証拠だけで、記録はどこにも残されていません)。

興行師ザロモンがモーツァルトの代わりに英国へと招聘したのが、かのヨーゼフ・ハイドンでした。大歓迎されたハイドンは、二度の英国演奏旅行で巨万の富を得たのでした。

子音だらけの英語は歌うのに適しているのか?

さて、強いアクセントのある英語は音楽向きな言葉なのか?

20世紀以降の英国とアメリカのロックミュージックの隆盛をみるにつけ、全くの愚問であると思われる方も多いかも知れませんが、ロックのようなビート音楽だから、跳ねる音の多い音楽だから、英語が合うのですね。

英語圏では教会の讃美歌はもちろん英語で歌われますが、わたしは英語で歌うよりもラテン語やイタリア語で歌う方が、いやアクセントのない日本語の聖歌の方がずっと美しいと思いますよ。

美しく歌うためにはアクセントをなくして歌うことが必要。でもこの歌手、やたらアクセントをつけて英語らしさを強調している。アクセントを無視して、もっと平べったく歌う方が音楽的なのに。

有名なハレルヤコーラスを含んだ、英語で書かれたヘンデルの傑作オラトリオ「メサイア (1742)」を聴くたびに、英語がうざいなと思うのはわたしだけでしょうか?

日本語の文部省唱歌やそれに準じるようなスタイルで書かれたアニソンは美しい。日本語の美しさがああいう単純なアクセントのない音符に乗ると最高です。

英語の歌は音が跳ねないとだめです。

以上が英語のオペラがいまいちなのはどうしてかな?という個人的な考察から書いてみた独り言でした。

英語のミュージカルはどうなのか?

英語の歌で好きなのはミュージカルナンバーですが、あれもアクセントのない言葉で歌うともっと美しく歌えるのではないかなと思う今日この頃です。

英語で歌われる、この美しい祈りの歌。

中間部の

He's like the son I might have known 
If God had granted me a son.

なんて部分は喋るように歌っていますが、こういう語りになると子音が前面に押し出されて、尖がっているように聞こえます。

でも英語が理解できないとどうでもいいのかも。

オペラ鑑賞は言葉を理解できなくてもいい。でも、子音の強烈な響きは好きじゃないなあ。

歌は「母音」を伸ばすと美しいというのがわたしの持論。子音は付け足しくらいに母音中心で歌ってほしい。だからイタリアオペラは美しい。わたしが好きな歌はそんな歌。

だから日本語の子供の歌、本当に美しいと思うのです

アイウエオの豊かな母音が基調の日本語は、母音が音としての言語を支配する言葉。英語は子音に支配されている。

チェコ語は子音が非常に複雑ですが、子音が母音のように響く不思議な言葉。だからドヴォルザークは本当に美しいし、ヤナーチェクのオペラも素敵です。

日本語は母音主体の言葉。

だからですよ。わたしがアニソンばかり世界名作劇場をネタにして語っているのは(笑)。


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