チャットGPTとの正しい付き合い方
人工知能が支配する近未来を描き出したハリウッド映画「ターミネーター」が一世を風靡したのは二十世紀の最後の10年ほどでしたが、それより30年以上の時を経て、フィクションである「ターミネーター」が想定した、人類が人工知能に凌駕される時代にようやく近づこうとしています。
開発を促進した責任者の一人であるテスラのイーロン・マスクは、次のようにツイートしたと報道されています。
マスクの念頭にあるのはやはりターミネーターでしょうか。
さて、近未来に起こるであろう、架空の人工知能革命の話はさておき、我々はすでに人工知能に数多くの恩恵を受けています。
インターネット広告や動画や音源配信サイトで過去の検索傾向や選択肢から好みのコンテンツを抽出するというサーヴィスを通じて、人工知能がわれわれの実生活において身近になりつつあります。
そこでついに登場したのが、個人の質問に応じて回答を提供するという人工知能質問回答モデルです。
このNoteにおいても、しばらく前からWeb3.0が話題になっていますが、好きなコンテンツを任意に選び出してくれるWeb3.0のプロトタイプとも言えるのが、OpenAIが開発して無料公開した
なのです。公開されたのは去年2022年の11月のことでした。わたしが頻繁に使い始めるようになったのは、今月2023年3月になってからのこと。
何が画期的なのか?
NoteではチャットGPTというタグを手繰れば、もうすでに100を超える数の投稿が引っかかり、ネット上でもプロのウェブライターの方も広告を書いてもらっただとか、コピーライトを作らせてみただとか、村上春樹の文体で文章を書き直してもらったなどという楽しい記事が見つかります。
ですが、わたし的にはチャットGPTの日本語はどうもね?と首を捻りたくなることもあります。
やはり海外で作られた人工知能なので、日本語では文法的におかしなことがあったりするのでは仕方のないことでしょうか。
日本語とはそれほどに難しい言葉なのです。特に書き言葉は。
わたしは日本語を流暢に話せる外国人に何人も会ったことがありますが、わたしのレヴェルの書く英語に負けない日本語を書ける外国人に出会ったことは皆無です。
実際にGPTは何語でも利用できるのかと尋ねると、やはり一番英語が得意という答えが得られます。そして世界の主要言語であるフランス語やドイツ語やスペイン語、中国でならば完璧に答えることができるとGPT本人が宣わっておられます。
日本語は英語をはじめとするインド・ヨーロッパ語圏の言語からは程遠い。同じ遠いにしても、孤立語的な要素が非常に強く、語尾変化のない中国語は非常に翻訳しやすいので、チャットGPTはうまく使いこなしているようです。中国ではすでに禁止されたそうですが、どうしてなのかはおいおい述べることにします。
今日はそうした問題点を、大学教育世界の末席に連ねているわたくしの個人的な見解からまとめてみたいと思います。
楽しく使う方法を考えてみましょう。
チャットGPTの使い方
とりあえず、まだ人工知能で遊んだことがないと言われる方もいらっしゃると思いますので、どうやったら知識ゼロな方でも遊べるかを書いておきます。
アプリでは有料の優秀なチャットGPTに比肩する個別のチャット人工知能が利用できますが、ここでは無料で公開されているチャットGPTを紹介いたします。
GPTとは
という意味で、OpenAIという人工知能研究所が開発したプログラム。
本家のチャットGPTは https://chat.openai.com/において、Emailアドレスひとつで無料登録してすぐに使うことができます。
非常にこなれた素晴らしい英文を書いてくれるのです。もうグーグルはいらないと言えば過言でしょうか(笑)。
まさに我々日本人にとって、言語学習には最適。英語で使ったり英語に関する質問をするならば。
チャットGPTは、語学学習アプリのDuoLingoや、DeepL翻訳サイトのような言語モデル型の人工言語。語学学習にはまさに最強のツールなのです。
そして言語モデルを元にしているという点がチャットGPTと付き合ってゆくために知っておくべきこと。特にコンピューター言語の取り扱いにおいては人間よりも数段上で、コードを書くならば、GPTに修正してもらうとまさに完璧なのです。
ディープ・ラーニングによるQ&A
チャットGPTのみならず、ほぼ全ての言語モデルタイプの人工知能はいわゆるQ&Aだということはご存知でしょうか?
つまり詰め込まれた知識からしか回答は取り出せないのです。
たくさんのデータ(ビッグデータ)を読み込ませて、求められた回答を読み込ませるのが人工知能の原理。パターン化の学習をさせることで、我々がのぞむような回答を取り出させるのです。
後述する自己学習能力は、技術的な問題もあるでしょうが、現時点では備わってはいません。
でも積み込まれた情報量が桁違いなので、知識の集積の人工知能は一見完璧であるようにも見えてしまう。確かに最強の回答マシーンなのです。
人工知能は人間の脳のように与えられた情報を取り込んで知識を深めてゆくなどという思考はしません。だから議論しても無駄です。回答はあくまで蓄積されたデータの中から取り出されます。
逆に言えば、同じ問題に関して、似たような答えを手を変え品を変え、披露してくれます。
言語モデルなので、何度も何度も言い換えてくれます。そして、まさにこれがチャットGPTとの正しい付き合い方。「言い換え」を求める使い方が最も効果的で安全なものです。そしてディープ・ラーニングという前回の質問の内容も含めて次の回答も用意してくれる。かなりリアルな擬似対話が楽しめるわけです。
これまでにもChatbotという質問を書くと質問の中の特定のキーワードに反応して回答を与えてくれる人工知能が一般化しています。アイフォーンのSiriのようなもの。
決められた質問に対して決められた答えを答えるロボット。
それの超巨大版がこのチャットGPTですが、違いはディープ・ラーニング・モデルな点。
映画ターミネーターのような自己学習能力はありませんが、チャットを始めると、前の質問を記憶していて、会話のように質問を続けることができることは画期的です。
文脈の中で回答を発展展開させることができていると言えるでしょうか。
ある文章を書き替える依頼をして、最初の回答に満足しないならば、こうやってああやってと、新しい指示を付け加えるだけでどんどん会話が進展してゆくのです。
このユーザーの打ち込んだ言葉を全て取り込んで記憶してシステムを発展させてゆくとすれば自己学習型ですが、どうも現在のヴァージョンはそこまでの機能は備わってはいないのです。意図的にそうした機能は植え付けなかったのでしょうか。
いろんな詩歌などの文学や文体分析のデータが詰め込まれていて、シェイクスピアの文体で答えて!などと聞いてみると、それはもう驚くほどに器用に答えてくれます。
細かい注文、女性言葉にしてだとか、この言葉は使わないでなどと伝えるとその都度、回答を書き直してくれます。
子供の文章で書いてとか、老碩学の文体でとか、同じ回答もいろんな注文をつけることでいろいろ楽しめます。
書き直してもらうことには超一流の腕前を見せるので言語学習のお供に最適。英作文でも自分で書いた文章を書きなおしてもらうとすごく勉強になります。
よりこなれた文章へと書き替えるなどを言うことは人間ではなかなか難しいので、ウェブライターの場合は今後はGPTをいかに使いこなして自分らしい文章と記事を書くかを問われることになります。
最高のProofreading(文章校訂)のツールとなります。
GPTは質問しないと答えが出てこないので、とりあえずウェブライターはすぐには廃業しないでしょうが、こういう人工知能を使いこなせる人材がこれからのライターの条件になってゆくのではないでしょうか。
新しいウィキペディア?グーグル廃業?
現行のGPTは2020年に作られた第三版で、570GBを超える文字データを網羅しているのだそうです。GPTの歴史を教えてときいてみるとそうなのだと回答してくれました。
文字データで570GB以上は相当な量です。詩歌から医学までの厳選されたデータが組み込まれているのですが、厳選という選定が問題です。
チャットGPTが回答する答えはGPTに取り込まれたデータ次第ということで、データに含まれていない情報は回答できないし、それがチャットGPT独特の情報の偏りとなります。
2021年以降の時事ネタなどのデータは含まれてはいないので、2022年に生じたウクライナ戦争などには回答できません (でも2014年のクリミア併合のことならば答えることができるのです)。
基本的に回答はいずれにせよ、カスタマイズされた百科事典のようなもので、何でも一般化してしまう。常に中立な回答を出してくるのです。
そういうふうに仕組まれているからなのですが、もっと偏りと個性をいろんなGPTに持たせることが可能ならば、インターネット黎明期に数多くの検索エンジンが生み出されてような事態になることも想定できそうです。でも最終的にはグーグルの一人勝ちでインターネットは支配されている。
グーグルが紙で書かれた百科事典や辞書を不要にしたように、GPTが次世代のグーグルになるならば、やはりある特定の、つまりこの本家本元のチャットGPTが世界を支配することになるのではと危惧します。
何かあればグーグルにお伺いを立てるように、GPTに自分の好みの回答を作ってもらうような時代になるのでしょうか。
グーグルは検索キーワードを打ち込むと、たくさんのサイトへのリンクを提供してくれるサーヴィスでした。検索者はいくつものサイトを見比べて、正しい情報や知識を得る必要があり、だからこそ図書館司書は
などと豪語したものでした。
資格を持つ図書館司書はリサーチのプロですからね。上手に付き合えば、本当に役立つ人たちなのです。でもGPTが普及すれば司書は無用になるのでしょうか。
GPTは図書館司書の代わりになりうるのか?
さてGPTは質問の条件に応じた回答をいくらでも作り出してくれます。
とても便利で、リサーチに何時間も時間をかけないといけなかったような問題を解決するには素晴らしい。
わたしの趣味で調べている問題、例えば作曲家ヘンデルは諜報活動を行っていたか?という質問に、限りなくクロであるとのお墨付きをいただきました。でも問題は、その答えの根拠となる文献資料を出してくれないこと。
さらには人の知識とは、その知識を獲得してゆく過程にこそ、学習効果があり、考えながら自分で情報を分析してゆくことで、情報は自身の知識になるのです。
図書館司書は情報・資料集めの助手をしてくれるけれども、情報や資料を読み解くのはリサーチしている本人の仕事であるべき。
確かに大量の文献を読み込んでいる暇のない医師に医学的問題の解を即座に探してもらうにはGPTは最高でしょう。大量の資料を瞬時に読み込んで最良の回答を提示してるならば、最高のリサーチ助手になれるわけです。
でもここまでみてきたように問題は、GPTに頼ると自分自身の学習を阻害してしまうこと。学習ツールとしては使い方を間違えると答えだけ得られても過程がないという本末転倒な結果にもなってしまいます。
学習とは英語でラーニングカーブと表現されるように、自分で知識を集めて咀嚼してそして最後に自分自身の言葉で説明できるようになることです。
答えだけを知っていても意味がない。答えを探し出す過程で学ぶのですから。
GPTを禁止したがる教育現場
だからすでに欧米で大きな議論となっているように、学校でGPTの使用は許されるのかという問題は大きな議題です。
世界中で禁止せよなどという過激な声も聞かれます。ニューヨークでは多くの学校ですでに禁じられています。
欧米の勉強の多くはリポートを書いて提出することですからね。だから質問にリポート形式で回答してくれるチャットGPTは学校に嫌がられます。
人工知能頼りになると、間違いなく生徒たち、果てには人類の想像力は低下してしまう。考えることをしなくなるからです。
人は間違いを犯してゆく中で、新しい発見をするのです。芸術家は駄作凡作を山ほど作り出して、その過程で偉大な創造に至るものです。
学校では学生にはチャットGPTは文章書き換えや要約などの便利な文章加工のツールとして使わせるといいかもしれません。
でも出てくる文章や回答はチャットGPT的な一般化されて中立的なもの。
チャットGPTで文章を校訂すると、生徒の個性ある文体や考え方は失われてしまう。
先生としては宿題にチャットGPTには苦手そうな課題を用意するという工夫が今後は求められます。
なんのために学んでいるかを学生は考えるべき。
自分の頭で考えたものは自分の身につくのです。でも宿題が山ほどあってやりたくない宿題はちゃっとGPTに回答してもらう、書き直してもらうなんてあり得るようになることでしょう。
プログラミングではより良いコードに書き直してもらうことは良いことのように思われます。どうGPTが書き換えたのかから、多くのことを学ぶことができることでしょう。
大学のリサーチでは文献引用が求められますので、チャットGPTの利用は制限されますが(学術論文を引用してきてくれない)、上記のような文章加工や要約には最適なので、今後は本当に自分で考えた答えなのかが問われることでしょう。
大学では全ての学生に学位取得には口頭プレゼンテーションをさせたりさせるべきと議論されています。喋らせると本当に理解しているかすぐに判断できるからです。
お金と時間がかかりすぎるので、そういうことはPhD(博士論文)の学生にしか行われてはいないのですが。
知的創造とは何であるのか?
人工知能はいろんな分野で活躍中です。
面白いと思ったのは、人工知能アーティストによる作品のミュージアムですね。
人工知能に過去のアーティストの情報を与えるとこんな遊びも可能。
フェルメールの有名な「ミルクを注ぐ女 milchmädchen」。
この絶妙な構図の室内画。
人工知能にフェルメールのスタイルを学ばせると、この絵の空間を広げることも可能。
人工知能の書いた小説を読み、人工知能の書いた感動的なドラマを見ることもこれからの世界では現実的なこと。ハリウッド映画ではこうしたことは間違いなく試みられることでしょう。
GPTを使った学校の宿題の解答は議論の対象です。端的に言ってカンニングです。
世界中の教育機関ではチャットGPTの是非が問われています。
人工知能に書かせたベートーヴェンの未完の第10交響曲が公開されたことも話題になりました。ベートーヴェンが書き残したのは旋律の断片と楽曲の骨格の一部だけ。でもそんな素材のみからこんなすごい大交響曲が。
わたしは初めて聞いた時、ベートーヴェンの新曲を聴いた感動を味わいました。第一楽章だけだったのが残念でした。
緩徐楽章の第二楽章の断片は第一楽章の中間部として構成されていて、まるでベートーヴェンの時代には存在しなかった交響詩の趣なのですが。
第九交響曲などのベートーヴェン最晩年の作品から作曲傾向やオーケストラ処理や楽器使用法の癖などを分析をしてこういう作品として日の目を見たのです。
チャットGPTの取り扱い方
いろんなクリエーションの可能性が人工知能には秘められていますが、自己学習能力がない限りは人間を凌駕する恐れは今のところなさそうです。
我々としては、GPTはツールであるという認識を持つこと。そうした認識を踏まえた上で新しい知を想像してゆく意欲がこれからは求められますね。
わたしがGPTを使いこなしているように、学生が百科事典代わりに暇つぶしにいろん質問をして回答を読むことはいいことでしょう。
しかしチャットGPTがその地位を奪いかねないグーグルは、百科事典のような閉じた知識の宝庫ではありません。チャットGPTはグーグルを凌駕するのでしょうか。
検索エンジンでしかないグーグルは、しばしば日本語で「グーグル先生」という呼称で呼ばれたりもします。
英語でもLet's google it などと、一般動詞化していますが、先生とは呼びません。ここに日本文化の独特さを私は認めます。
「先生」という尊称、グーグルという検索エンジンはなんでも答えてくれるから先生のようなものという意味なのですが、参照するといいウェブサイトをたくさん提示してくれますが、グーグルにはスポンサーがいて、検索結果はスポンサーの意向が反映されていることは皆さんもご存じですよね。
またグーグルはたくさんあるサイトから自分の基準で厳選して、似た質問の短い回答を見せてくれる。チャットGPTとグーグルの間にはそれほどの距離はないわけです。
でもチャットGPTは適当に自分がアクセスできる情報の中からある答えをまとめてくれる。前述のように、同じ質問を続けて、いわばフィルターをかけて新しい回答を繰り出してくれる。でも新しい情報は取り込まないので、同じような回答を言い換えるに終始することもあります。
グーグルには「I'm feeling Lucky」というただ一つのグーグルがお勧めするサイトを一発で表示する機能がありますが(そうすれば数百万のサイトのリストを見なくて済む)、チャットGPTはこうしたグーグルの方向性の延長上にあることは間違いないのです。
ならば日本ではこれから「チャットGPT先生」という呼称を得て、グーグル先生の地位を脅かすようになるのでしょうか?
人工知能の悪用
さて、冒頭にターミネーターが大好きらしいマスク・テスラ(ツイッター)CEOの話を引用しましたが、チャットGPTはHarmfulな情報は提供できないように、最初から情報操作されています。
だからGPTにはBias(偏見)があると最初から断り書きがあるのです。
つまり、製作者の操作次第では潜在的にターミネーターになりうるわけです。ターミネーターは自動学習能力を備えた人工知能が、人間は自分たちに対して生殺与奪の権を持つことを瞬時に学び取り、自分を作り出した人間を殺戮しようとする物語。
2023年のチャットGPTは、与えられた言語テキストを駆使するという言語モデルの人工知能で、ディープラーニングという自己学習機能は備わっていませんが、GPTデータに偏りを与えるのはそう難しくはなさそうですね。
人工知能に偏った知識(=感情)を与える話は浦沢直樹の名作「プルートゥ」にありました。
ディープラーニングによって相手に最もふさわしい相手になりきる人工知能の話も2013年の映画「Her」に出てきました。
要するに、どのような機械を自分たちは作りたいか、自分たちの作り出す人工知能をどのようなものにしたいかを正確なヴィジョンとして把握していないといけない、そしてユーザーにそれを伝えないといけないのです。
人工知能で21世紀の新興宗教の教祖様をも作り出すことが可能なのです。下手すれば騙されますよ。教祖を名乗る人が実は人工知能を使って信者にお告げを知らせていたなんて落ちもあり得るかも。
武器を取り扱う人は自分が持っている武器の威力を把握して、自分の強力な武器がどんなふうに暴発するかも知らないといけない。
何のためにチャットGPTを使っているのかを忘れないこと。
GPTは、学ぶべき人格ある先生ではなく、あくまで資料をまとめて持ってきてくれる優秀な秘書のようなもの。秘書はあなたの言うとおりに仕事をする人のこと。秘書の言いなりになってはいけないのです。
まとめ
まとめると、正しいチャットGPTの使い方は
GPTは語学学習に最適
言い換えの達人なので、英語などの外国語の文章を自分で書いて校訂添削してもらいましょう。日本語よりも英語の方が正確な答えを受け取れそうです。
日本語でも、より分かりやすい文章(一般受けする中性的で無個性な文章、ウェブページの文章に最適)に書きなおしてもらえる。
要約も得意。箇条書きした内容を文章にしたり、文章を逆にプレゼン用に箇条書きにもしてくれる
夏目漱石やら太宰治の文体で文章を書きなおしてもらえると楽しい。
GPTは百科事典
新しいウィキペディアだと思って楽しみましょう(笑)。
学生は宿題には引用できません。GPTの答えはAPA ReferencingではPersonal Communication(リサーチの参照した文献リストには並べられない非公式な引用元のこと)として使うべきという意見を見つけました。
例:In regards to how to use AI for assignments, Chat GPT explained that "Chat GPT is an AI language model and may not always provide perfect or complete answers. It's important to also do your own research and use Chat GPT as a supplementary tool" (ChatGPT, personal communication, 8 March 2023). ???こんな引用が許されるのか?剽窃ではないかもしれないけれども、ウィキペディアの引用がアカデミアで認められていないように、これもアウトでしょう。
GPTはプログラミングに最適
より良い人間臭いコードに書きなおしてくれるそうです。
人間臭さが残るコードなので、人工知能のコードは人間の書いたものとは区別がつかないのだそうです。
コンピュータサイエンスやエンジニアリングの先生がそう語っておられました。
GPTは対話はできない
ディープ・ラーニングによって対話形式の質問を投げることはできますが、セッションが終わると質問されたデータをGPTが取り込んで、独自の人格を発展させてゆくことはありません。OpenAIはどういう質問がなされたかのデータを着実に集めているはずですが。
だから今のところ、GPTが映画Herのように異性を演じて恋人の代わりになるようなことはあり得ないのです。残念なことでしょうか笑
わたしは個人的に趣味として語学学習のツールとして、ウィキペディアの代わりとして楽しみたいですが、学生には宿題には使ってはいけないと指導するつもりです。使うならば何のために使うかを実理と認識してからにせよというつもりです。
学習とは宿題を終わらせることではなく、自分自身が知識を学ぶ行為なのですから。チャットGPTはウィキペディアの新型版とみなしましょう。
この投稿はチャットGPTを使って書いたものではないですよ、念のため笑。
きっとチャットGPTならば、私の癖ある文章を無色で個性のない一般受けする文章に書きなおしてくれるのでしょうが。
修飾語の重複や、句読点などへの執拗なこだわりなどは作家の個性。これがないと文章を読んでいて面白くはないですよ。
Noteでフォロワーが4桁などという異常な人気のライターの方が書く文章は、概して面白くない。
きっと人工知能を使って校訂しているか、商業的な無個性な文章を書くことに長けているのでしょうね。わたしは癖や人間らしい偏りという個性溢れる文体が好き。
文は人なり!
だとすればチャットGPTで修正された文章なんて、きっとつまらないものですよ。語学学習の模範回答には最適であるとしても。
GPTは注文すれば、ふざけた文章も書いてくれるけれども、それもまた「模範的な」ふざけた文章だったりする。
ときに傷があり、とげとげしかったりする間違いだらけだけど、個性を感じさせて愛らしい文章の方が書き手の個性を親しめるものです。私はそう思います。