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幸せは自分自身の中に
「朋遠方より来たるあり。また楽しからずや」
論語の有名な言葉、原文はこういうものですね。
有朋自遠方来、 不亦樂乎
友達が遠くから来てくれることはなんて嬉しいんだろうって意味。
でもここ数年、コロナ禍で人にあまり逢わなくなり、もともとよくなかった人付き合いがめっきり減りました。SNSがほとんど唯一の人とつながる手段となり、訪ねて来てくれる友も数少なくなりました。仕事でも人に逢うのはZOOMを通じてオンラインでばかり。
友やネットで知り合った人から届く言葉に依存して、幸せはSNSでのメッセージという歪んだ(?)生活をしばらくずっと送っていたのです。
でもSNSはやめました。
メッセージが届くと、幸せ。
でも届かないと、悲しいし、寂しい。
そんなふうに感じるようになったからです。
いつも一緒で知的な刺激を与えてくれることのない家族のことよりも、見知らぬ他人(SNSで新しく知り合った人とは逢ったこともありません)からの言葉に一喜一憂する毎日。
「信遠方より来たるあり。また楽しからずや」
中国語では手紙は「信」。
だからこんな言葉に言い換えてみました。
SNS依存していた頃の私そのものですね。
世界中から届くメッセージや「いいね」や「スキ」。
とても楽しいけれども、いつしかそれに慣れ過ぎてしまってもっと新しい刺激が欲しくなる。さらなる交流を求めてしまう。
でもそうなると、自分が自分でなくなってしまうんです。
他人に支配される毎日なわけです。
だからSNSは辞めたのです。
アランの幸福論
SNSで自分の見たこと聞いたことしたことを誰かとシェアして共有できると嬉しい。
喜びはシェアされるとともに語り合う楽しさから倍増するし、悲しみや苦しみはシェアすると和らぐもので半減します。
でも大切なのは、自分自身。
ここにある自分が幸せで、その幸せを他人に伝えることこそが大切です。
幸福であることは他人に対する義務である
フランスのアランAlain (本名:エミール・シャルティエ 1868-1951) という幸福論を書いた哲学者は、人は他人を幸せにする義務があるとさえ説きました。
漫画にさえもなっています。なかなかよく書かれた作品です。
暗い顔をしてると周りの人も暗くなる。
でも自分が明るく振舞うと、自分の明るさは他人さえも明るくしてしまう。社会的な人間は他人を不幸にしてはいけないから、幸せを振りまくことは義務でもあるとアランは説くのです。
実践するのは難しいかもしれないけれども、真理ですよね。
笑顔は誰か別の人を笑顔にもしてくれるし、冗談はだれかを明るくできたりもしますよね。笑う門には福来るかな。福は御裾分けできるんです。
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元気を分け与えることは尊いことです。
自分は幸福な想いを閉じ込めてあるアート作品などから元気をもらいます。芸術とは幸福の発露であるという言葉もあります。
いつだってそれを見たり聞いたり奏でたりすると幸せにしてくれるもの。わたしは楽譜を開いて眺めていると、音楽の躍動感から幸せになれたこともありました。ゴッホの生命力あふれる絵画に勇気づけられて、子供のアニメに大人になってから忘れていた感情を思い出しました。
アートが与えてくれるもの
イギリスの小説家ジョージ・ギッシング (1857-1903) は「アート」を次のように定義しています。私の大好きなアート(芸術)の定義。
It has occurred to me that one might define Art as: an expression, satisfying and abiding, of the zest of life.
アートとは何かと定義しようとしてこうした思いが浮かんだ。
アートとは、いつだっていつまでもそれを味わうものを満足させることのできる、生きることの喜びの表現であると。
たくさんの幸せの感情を、毎日、自分の好きな映画や音楽や美術を鑑賞することからわたしは頂いています。分け与えてもらっています。
アートには生きてゆくための喜びがたくさん詰まっているんです。
アートは生きる力の結晶したものです。
平凡な毎日を送っていると忘れがちなそんな生きる事への情熱(Zest)を過去のアーティストからわたしは思い出させてもらっているのです。
昨日はラフマノノフの音楽のことを書きました。懐かしくなる生きる喜びの表現でした。また先日はドヴォルザークの哀しいドゥムカにも心打たれました。生きているから悲しいんです。でも歌うことで悲しみもまた昇華されます。
大切なことは自分が幸せであると感じること。幸せだった自分を思い出すこと。幸せになること。
自分が幸せでないと他の人を幸せになんてできないものです。汝自身を愛するように他の人を愛しなさいと言う聖書の言葉にも通じます。
まずは自分自身から。
でもSNSばかりしていたことは、そうしたことを語りたいと必死でした。幸せになるために書いていたのです。書くことが目的になっていました。
メッセージが届くようにと意図的に作為的に投稿を書いたりして。
書くために読み、
書くために聴いて、
書くために観る。
でも、それでは本末転倒。
読んで感動したから書く。
聴いて感動したから書く。
観て心動かされたから書く。
読んだ感動をシェアしたい、
聞いた感動を共に語りたい。
そうありたいですね。
いまは自分の幸せの記録としてNoteに毎日書いています。
義務でも誰かからの「スキ」のためでも(自己承認欲求を満たすためではなくて)なく、ただ世界に自分と同じように感じてくれる人がいると嬉しいなという想いで一杯です。
Noteをたくさん読んで、たくさんスキを送っていますが、ただ感謝したいから。たくさんの幸せがNoteにあるっていいなと思います。
あまりに緊密な人間関係のSNSは疲れてしまいます。いまはNoteくらいの人との距離感がほど良いですね。
素敵な人に出会えてうれしいという気持ちも書けたらいいのだけど、プライヴァシーもこともあり、なかなか書きにくいものです。Noteで素敵な記事を読んで、書いた人のことを引用したり、メンションしたりするのは遠慮しています。ご迷惑になるといけませんからね。
ですので、ここでは、たくさん自分の好きな音楽や文学や美術などのことを書いていたいです。
自分を幸せにしてくれたものたちへの感謝を込めて。
そしてその想いを少しばかりでも分け与えていられると嬉しいなと思いながら。
レオニート・アフレモフ
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ヴェニスの運河
幸せを色彩で表現する芸術家レオニート・アフレモフ (ロシア・イスラエル 1955-2019) のカラフルな油絵を見ていると、JOYって、ARTって、素晴らしいって思い起こされるんです。
こんなカラフルな幸せな世界のことを忘れないでいたいですね。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。