シェイクスピアと音楽(15):美辞麗句の喜劇
人生はバランスです。
楽しいばかりだと、楽しみもいつしか色あせて、楽しく感じられなくなります。
ほっぺたの落ちそうなおいしいケーキでも、食べ過ぎると飽きてしまう。
人生もケーキみたいなもの。
Life is not all cakes and ale!(人生は楽しいことばかりじゃない!)
順風満帆な人生でも、時には挫折もあった方が後で振り返った時、自分の人生はあの苦難のおかげで彩られたのだと思えるし、苦しい時代を乗り切った時にしか体験できない感動もあります。
悲劇と喜劇の相対性
次のような言葉があります。
愉快な騎士のファルスタッフが登場する史劇「ヘンリー4世」からの名セリフ。ヘンリー王子の言葉。第一幕から。
真理ですよね。
わたしはシェイクスピアの真作とされる37の劇をすべて英語原文で読破しようと試みています(今のところ、10作ほど)。
Noteへの日本語での投稿は学んだことを記憶するためのアウトプットなのですが、どんなにシェイクスピアが面白くても、人生の痛切な真理を描き出す悲劇ばかりでは心が暗くなるし、悲壮な出来事にも慣れてしまって、悲しいことだと思えなくなる。
シェイクスピアには
歴史劇:10作
悲劇:10作
喜劇:17作
あるとされます。
後期の劇は喜劇と悲劇が入り混じり、どちらともいえないとも言われますが、シェイクスピア作品の内容は本当に多岐にわたり、シェイクスピアだけ読んでいても、悲劇や喜劇を交互に読んだりすれば、ずっと飽きずに幸せでいられる人たちがたくさんいることにも納得です。
でも上記のヘンリー王子の言葉のように、シェイクスピア悲劇がどれほどに素晴らしくても、悲劇ばかり読んで見ていては人生暗くなり、楽しい喜劇ばかりだと、辛い人生を送っている人に共感できなくなる、他人の痛みを我がことのように感じなくなってしまうのかも。
だから何事も、バランスが大事。
初期の喜劇「恋の骨折り損」
悲劇の次には喜劇を読んで、明るい喜劇の次には悲しい悲劇も読まないと。
人生山あり谷ありといわれるように、明るい面と暗い面のすべてを見てこそ、人生は素晴らしい。
というわけで、人殺しばかりが起きる陰惨な悲劇「ハムレット」と「マクベス」を続けて読んで、冷え切ってしまった私の心は、明るい喜劇を求めたのでした。
だから底抜けに明るい喜劇、「恋の骨折り損」を読んでみました。
1590年代に青年シェイクスピアによって書かれた劇。20代半ばから30代前半の作品。
シェイクスピアは1590年に史劇「ヘンリー六世」でデビューして、1592年のペスト大流行でロンドンから避難。
1994年に伝染病終息後、暗い世相を打ち破る喜劇「間違いの喜劇」や喜劇「恋の骨折り損」で、キャリアを再開させたらしいです。
英国以外ではほとんど知られない英国の作曲家ジェラルド・フィンチ (1901-1951) による劇付随音楽は次のようなもの。気軽な喜劇に相応しい軽い音楽です。
言葉遊びの喜劇
「恋の骨折り損」に登場するのは、この頃のシェイクスピアと同世代の人物ばかり。つまりみんな若い人ばかりの世界。
原題は、Love's Labour's Lost。
題名は、劇の内容を暗示させる役割を担いますが、この英語題名は、劇の性質さえも伝えてくれます。喜劇なのでLOVEから始まります。
題名にLという文字が並び、歯切れの良い頭韻を形作りますが、劇中、こうした言葉遊びが最初から最後まで、壮大に繰り広げるられるのです。
いかにして骨折り損となるかは読んで見てのお楽しみ、といいたいところですが、解説すると、恋愛禁制を劇冒頭で宣言しながらも、事情により、美しい女性たちと出会い、禁制の誓いを破るのです。また更なる事情により、恋は成就しないというもの。
「恋の骨折り損」は、シェイクスピアの喜劇の中ではカルト的な人気を誇る一方、通受けする作品なので、上演機会には乏しい作品です。
「恋の骨折り損」が不人気な理由
理由は:
16世紀終わりごろの当時の政治風刺がたっぷり(当時の政治事情に通じていると、気障なスペイン人アルマーダーが英国の宿敵だったスペイン無敵艦隊アルマダのパロディであることや、ナヴァール国とフランスの国境紛争、フランス王アンリ四世の「ナントの勅令」をめぐる宗教事情などが揶揄われていることがわかります。エリザベス女王の御前で上演された記録がありますので、アルマダ艦隊を打ち破り、世界の制海権を手にしたばかりのエリザベス女王はさぞ楽しまれたことでしょう)
美辞麗句や神話などの引用がふんだんに盛り込まれていて、古典に通じていないと理解が難しい(劇の一番最後の「アポロの歌のあとではマーキュリーの言葉は耳障りでしょう」という言葉はどういう意味でしょう。劇の最後に二つの歌が置かれていて、それが結婚を揶揄う詩の神アポロの歌でいいのですが、伝令と商業の守護神マーキュリーが結婚の神でもあることを調べてようやく理解しました。この喜劇を見て笑うためには、こういうことを調べずに理解できる教養が要求されます!)
語呂合わせと駄洒落だらけで、外国語にはほとんど翻訳不可能!
笑いのツボの多くは、シェイクスピアの書いた華麗な言葉や語呂合わせにあるがために、日本語で鑑賞するのは大変に難しい。
同じように言葉遊び要素に富んでいる「十二夜」や「お気に召すまま」はドラマ性が高くて、翻訳されてても十分に面白さを満喫できる素晴らしい喜劇。
でも「恋の骨折り損」は、それらの人気喜劇とは一味違います。
わたしは定評ある小田島雄志さんの1983年の翻訳を手にしましたが、駄洒落だらけのシェイクスピア英語を現代日本語に置き換えようという大変な健闘にもかかわらず、40年前の翻訳は古くて笑えない。
冗談は文化を超えてゆかないし、流行りのギャグや時事ネタはすぐに古くなる。
だから日本語版を読んでて、滑りまくる「寒いなあ」と感じる駄洒落と語呂合わせに苦笑しました(笑いの本質がずれている!)。
松岡和子さんによる新しい訳も2003年のものだそうで、20年前の翻訳。
こういう作品は翻訳では読みにくい、親しみにくい。
でも英語原作で読みならば、400年前のシェイクスピアの語呂合わせ、駄洒落はそれほどに古びてはいない。
英語という言語は響きと音の言語なので、意味が分からなくても韻を踏んでいると聞いていて気持ちのいいものです。
だから英語上級者の方はYouTubeで劇が上演された動画を見るなり、映画版を鑑賞するなりして、英語で楽しまれることをお勧めします。
私はこれを見ました。
当然ながら日本語字幕はありません。野外上演を録画したものです。なかなかの名演技。
この作品の英語を読んでいると「不思議の国のアリス」を読んでる気分がしました。
ルイス・キャロルの「アリス」は子供向きの本とされていますが、ナンセンスな言葉遊びだらけな本で、英語で読むと音の響きが最高に楽しいのがアリスです。
TailにTaleなどの同音異義語から始まって、理解不能だけれども、音読すると楽しい詩などが満載な「アリス」。続編の「鏡の国のアリス」にはこういう理解不能な詩も。意味は分からないけれども、音としては「Jabberwocky」は非常に楽しい詩です。
言葉の意味を理解するのはネイティブでも大変に難しい。
そういうアリス的なシェイクスピアの喜劇「恋の骨折り損」。
むしろ、アリスの言葉遊戯の源泉ともいえるのかも。日本語版を読んで、あまりにつまらないと思われた方は英語原文を音読されてください。
楽しいリズムと音の遊びを堪能できること間違いなしです。
言葉遊びとは?
ある単語が複数の意味を含蓄しているとき、その言葉の意味を取り違えることで、言葉遊びが楽しめます。言葉の二重性があるからこそ、「しゃれ」が楽しめる。同音異義語は言葉の世界を重層的にしてくれます。
特に和歌の掛詞は言葉の重層性の芸術です。
さて、英語がよほど堪能でないと、英語の「しゃれ」なんて楽しめるものではないのですが、上記の「ふみ:文と踏み」や「魚:さかなとギョ」など、外国人には理解しがたい日本語(理解できても笑えない)のような表現がたくさん詰め込まれた「恋の骨折り損」の英語ジョーク、少し解説してみましょう。
第一幕より
若い王様は、女性は学問を究めるに気を散らせるので、遠ざけることにして、向こう三年間は女性を宮廷には入れず、また学友の貴族三人と共に、女性とは会話をしないという誓いを立てます。
女性は勉学の邪魔!(もちろんこの論理は後でひっくり返されます)。
お触れも出します。政治風刺なので、おとぎ話のような展開。
そしてお触れに対して違反したというコスタードという道化が連れてこられます。
シェイクスピア劇の宮廷には大抵、道化師が出入りしているのです。
飾り立てられた修飾語だらけの宮廷言葉で書かれた、冗長な報告書を読み上げたのち、王はコスタードに禁令を犯した罰を与えるのですが、王自身が問いただします。
続きは王様の裁きの場面。
FERDINAND Did you hear the proclamation? 布告のことは聞いていたか?
COSTARD I do confess much of the hearing it but little of ほとんどのことは聞いていたと認めますが、ほとんど理解はしていませんでした
the marking of it. 全然認められません
FERDINAND It was proclaimed a year's imprisonment, to be taken
with a wench. 女っこと一緒だったら、一年の入牢に処す、と布告してあるのだ
COSTARD I was taken with none, sir: I was taken with a damsel. 女っこじゃなくて、女の子と一緒だったんですよ
FERDINAND Well, it was proclaimed 'damsel.' そうか、布告は「女の子」とも書いてある
COSTARD This was no damsel, neither, sir; she was a virgin. 閣下、それなら女の子じゃあなくて、処女でしたよ
FERDINAND It is so varied, too; for it was proclaimed 'virgin.' 言葉はいろいろ解釈される。布告には「処女」も含まれる。
COSTARD If it were, I deny her virginity: I was taken with a maid. それじゃあ、あの娘が処女だったのも否定します。俺っちは経験ある女と遊んでいたんです
FERDINAND This maid will not serve your turn, sir. 経験ある女といったところで、お前の役には立たないぞ
COSTARD This maid will serve my turn, sir. いや旦那、経験ある女は俺っちが楽しむには、とても役に立つんでさあ
FERDINAND Sir, I will pronounce your sentence: you shall fast わかった、お前にはこれより一週間
a week with bran and water. 糠(もみ殻)と水だけの断食だ
COSTARD I had rather pray a month with mutton and porridge. ひと月、羊肉とお粥の方がいいのですが。
という具合。こんなふうな言葉の応酬が2時間ほどの劇でひたすら続いてゆきます。
Serve my turn「役に立つ」をコスタードはわざと意味を取り違えて答えます。
Womanじゃないと、女を意味するWench, Damsel, Virgin, Maidなどをいう言葉を並べ立てて言い訳しています。
こういうのは英語原文の方が面白いと思います。
MuchとLittle、HearingとMakingが呼応していて、この道化、なかなか弁が立ちます。
禁欲して学問を極めんとする若者たち
「恋の骨折り損」の主人公たちは宮廷人。
現在ではもはや存在しない国ナヴァール。この喜劇の舞台はもはや政治的に消滅してしまった国。
フランスとスペインの間に挟まれた土地に存在していた実在の王国で、現代でも独立運動が活発なバスク地方の北側、つまりイギリスよりの土地に存在した国。
そのナヴァール国での出来事で、お隣のフランス王女が訪れるという約束をしていたことを忘れていたのがナヴァールの若い王様フェルディナンド。
土地問題の解決のための使者として王女が代役を務めるのです。
仕方がないので、誓いの決まりを少し緩めて、若い王様はフランスの妙齢の美しい王女様に会うのですが、宮中には入れないという誓いは変えることなく、お城の外で王女様に会います。
でもせっかくの誓いにもかかわらず、王様や三人の学友はそれぞれ、王女と王女のお付きの三人の侍女たちに一目惚れてしまうという筋書き。
恋をしても公には恋を打ち明けられず、大っぴらに会うこともできないのです。だから会えないので恋文を書いて、それが行き違って大変な騒ぎとなります。
でもどんな美辞麗句ばかりでは、本当の愛は語れない。
本当の美の前には「言葉」は色褪せてしまう。
これがこの劇のテーマ。
言葉を弄ぶ達人であるナヴァール王の学友ビローンもまた、女性なしで学問を極めようとした自分達を否定して、こう言い放ちます。
禁欲して学問に精を出そうと誓い合った男たちは、言葉で言い表せない恋の素晴らしさの前に禁欲の誓いを破ってしまうのです。これが第四幕第三場。
そして次の第五幕に登場するのがこの言葉。
この馬鹿らしい王侯たちを揶揄う道化コスタードの次の言葉。
ラテン語紛いの合成語。まるで「不思議の国のアリス」です。
シェイクスピアが劇中で使った最も長い綴りの単語(英語で最も長い単語の一つ)。シェイクスピアが発明した言葉として知られています。
とにかくこうした言葉遊びだらけ。
誓いを簡単に破っては沽券にかかわるので、モスクワからの外国人に変装して女性たちのお城の外の野外テントに出向いてゆく男4人。
手紙のやり取りから試みはバレバレで、女性たちもマスクを着けて、それぞれ別々の女性のふりをして、お互いの恋人とは違う相手に対応して揶揄います。
こうして馬鹿にされる男たち。
舞台では男たちは笑い物となります。
劇の最後には劇中劇も繰り広げられて、この劇のフォーマットはのちの「夏の世の夢」で再現されます。
取り替わる恋人たち、くだらない劇中劇、最後に結婚式。
でも「夏の世の夢」とは異なり、結婚式は行われず、誓いを破ってまで愛を伝えた苦労は唐突に徒労に終わります。王の訃報という事態で、王女は一年の喪に服すこととなるからです。
「恋の骨折り損」を締めくくる歌
劇の最後には、歌が二曲登場します。
言葉遊びの応酬劇を締めくくるのは、アイロニーに富んだ、劇中の恋遊びをたしなめる道化たちによる歌。
ナヴァール王たちの燃え上がる恋の成就はお預けとなるのですが、若い男女の思いは一年も保ち続けられるのか?彼らは待つことができるのか?
春と冬のための愛の歌が歌われます。
一つ目は「春の歌」。
郭公はまさに「カッコー、カッコー」と歌い、英語でも名前が鳴き声そのものでCuckoo。
イギリス読みで「カックーˈkʌˌku:」、アメリカ読みで「クックーkúːkuː」。
雌鳥は別の鳥の巣を見つけては、そこに卵を産み付けて、別の鳥にひなを育てさせることで知られています。カッコウは寝取られ男の象徴。
歌が暗示しているのは、一年も離れていると、女性の愛情はあなたのもとにはないですよ!結婚なんてしないで自由を満喫すれば!
なんてことでしょうか。
なんといってもトーマス・アーンの歌が素晴らしい。
次は冬の歌で、こちらはフクロウが歌います。
冬の歌は、幸せな家庭の情景でしょうか。結婚したらこんな風だとか。
クィルターとヴォーン=ウィアムズの作曲がなかなか良いです。
三年の禁欲を最初に誓った四人の童貞の男たちは、女性の美と恋愛のすばらしさに目覚めても、12か月もののお預けを食らいます。
遠距離恋愛を続けられるものなのか?
そういう素朴な疑問を聴衆に投げかけて、喜劇は幕を迎えるのです。
結婚してハッピーエンドには至らないで、代わりにカッコーの歌で終わるという皮肉。何とも後味の悪い喜劇なのでした。
だから恋の「骨折り損」なのです。
時事ネタでウケを狙ったシェイクスピアの若気の至りという作品でしょうか? 女王様には受けたらしいので、まあよかったのでしょうが。
華麗な言葉を縦横自在に駆使できる若いシェイクスピアの才能はすごいのだけれども。
めったに上演されないので、見る機会があればぜひともお見逃しなく。
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