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アニメになった児童文学から見えてくる世界<10>:動物たちの隣で

有給休暇を週末の連休につなげて、ニュージーランド北島中央の、わたしの住んでいる中規模の地方都市の隣にある小さな街を久しぶりに訪れました。

乳牛の街 Morrinsville

モリンスヴィル Morrinsville という名の、日本語を母語とする人が発音を苦手にしそうな名前を持つ街。

アクセントは最初のMoの部分。モリンスとヴィルで二音節の言葉。

舌を深く後ろに引いてR、上の歯を下唇に触れさせてVの破裂音、最後のLは舌を上の歯の後ろに触れさせて、発声すると、この街の名前は本当に美しい。
ヴィルは片仮名表記だと、むしろヴィウの方がそれらしいですね。

この地方の牧畜産業の中心地として知られています。この界隈の農場の乳牛たちの乳はこの街に日々集められて、人が飲みやすい牛乳として低温加熱後に出荷され、また一部は加工されて、バターやクリームやチーズになるのです。

牛の町として有名。

街中の通りという通りには、原寸大の乳牛の置物が至る所に置かれています。総数はおそらく百頭以上にもなり、今でも新しいものが定期的に設置されていて、訪れるたびに、アーティストたちにデザインされた斬新な乳牛に出会うことが出来ます。

牛のデザインは個性的で、とても楽しい
超巨大な特別な牛、Mega Cowと呼ばれています
こういうのは牛肉の勉強になる?

素敵な乳牛の置物は、酪農国家ニュージーランドの小都市にまことにふさわしい。

小さな街なので、半日ほどかけて歩き回ってスマホでインスタ萌えしそうな写真を撮りまくるのもいいかもしれません。カフェなんかも中央通りには何件か見つかります。

子供の最愛の友達

子供の頃、本物の牛など見たこともありませんでした。自分が知っていた動物は、テレビの中で見るばかり。

動物といえば、世界名作劇場。

児童文学の名作を毎年一作放映するアニメ番組を、昭和時代の終わりの小学生の頃の日曜日の夜には必ず見ていました。

女の子が主人公になる作品が多かったのですが、それでも日曜日の7時半の名作劇場だけは見ていたのです。男の友達に、あんなもの見ているのかと冷やかされても、密かに見続けたりもしたのです。

お陰でアニメ大好きな女子グループの数人に一目置かれたり(?)したこともありました。動物好きなルーシーの話をしたりすると、彼女らが一斉に主題歌を歌い出したことに驚きました。この歌は今でも大好き。世界名作劇場の主題歌でも屈指の名曲ですね。

テレビに出てきた、とろけるチーズを乗せたパンに憧れた小学生だったわたしは、今では英語の国で暮らしていて、名作劇場そのままの世界で暮らしているような感じです。

大学で教職に就いているわたしは酪農には関わりを持ちませんが、自家用車で数十分、少し郊外に足を伸ばせば、スイスのハイジ、アンネットや、フィンランドのカトリの世界に現実に出会えるのです。21世紀の農業は近代化していても、牛や山羊や羊たちのいる風景は昔と何ら変わりありません。

ちなみに我が家では、毎日卵を産んでくれていたニワトリやウズラを飼っていたこともありました。イヌとも長い間、一緒に暮らしていました。

世界名作劇場の動物たち

でも日本の都会で暮らしいていた子供時代には、動物に触れ合う機会など皆無でした。

ペットを飼っている友達は、自分とは違って、とても優しい心根を持った正直な子たちだったなと、今では思い起こすことができます。自分はペットを欲しいと思ったことはありませんでしたが、ペットが自分自身の人格形成の時期だった、子供の頃にいてくれたら全く違った自分になれていたのではないかなとさえ思えます。

世界名作劇場の作品には、必ず主人公のマスコットのような動物が登場しますが、そういう動物たちは子供の情緒形成に大きく影響を与えます。

「あらいぐまラスカル」や「フランダースの犬」のように、動物そのものが題名である作品もあるくらいですから、親友となるようなペットの存在は、本当に幸福な人生には不可欠なものではないかとさえ思わずにはいられません。

ロバやヤギや小猿やオコジョがいつだって自分自身の隣にいるような暮らし。都会に生きていると憧れのようなものなのかもしれませんが、世界名作劇場を見直していて、人は動物と生きていることは本当に大事なんだなと思うんです。

ニュージーランドの乳牛の街で、牧場のたくさんの牛たちを眺めて、百年前の欧州の情景を描いたアニメを見て、人のいない世界で、上手に棲み分けて生きている動物もいれば、人間に依存してしか生きてゆけない動物もいる。そんなことも考えます。

有名な1977年の「あらいぐまラスカル」は、人と動物の共生の問題がテーマ。1992年の「大草原の小さな天使 ブッシュベイビーもやはり同じテーマの作品。

世界名作劇場ではない「子鹿物語 」という日本のNHKアニメ作品 (1983-1985) も子供のころに見ました。

子鹿物語の少年は、情を通い合わせた、大きくなった子鹿を最後に自分自身の手で処分します。それが野生動物を飼い慣らすということ。

犬や猫を飼ったとしても、最期は看取ってやらねばいけないし、手に追えなくなれば、やはり責任を取らなくてはならないのです。

人を愛せないから、人ではないペットを可愛がる人もいます。

人ではない動物の隣で、人以外の動物にどんなふうに優しくなれるか厳しくなれるかで、わたしは出会う人の生き方と人格を推し測れるような気がします。

おまえたちはいいよなあ。そうやって一日中草食ってりゃいいんだもんなあ

こんなセリフを、1983年放送の「わたしのアンネット」の主人公の一人である苦悩するルシエンは、牧場で自由に草を食み続ける牛たちに対して語ります。

人はそれだけでは生きては行けません。悩み苦しむのは人間だけ。でもだからこそ、人間であることは意味深い。

「わたしのアンネット」第30話より

時々動物に話しかけることはいいですね。人に言えないことを動物に対して言葉にすることで、何かが変わることも、見えることもあるかもしれません。

我が家の寝てばかりいる愛玩動物のニャンコにさえ、語りかけることで自分は癒されたりしています。人は、人ばかり見ていると疲れてしまいます。

遠いNZの田舎町のモリンスヴィル、機会があれば訪れてみて下さい。

観光地ではありませんので、訪問には自分でレンタルカーでも運転しないと辿り着けないのですが、世界名作劇場のアニメのような世界に出会えるかもしれませんよ。

肉牛として売られてゆく牡牛たち


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