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英語詩の言葉遊び(8): ラプソディから生まれた名曲「メモリー」

前回からの続きです。

「キャッツ」は、子供でも楽しめる、言葉遊びに富んだ愉快な個性的な猫たちのことを書き綴った詩集「ポッサムおじさんのストリートスマートな猫たちの本」が原作です。

マキャビティとかマンゴジェリーとか泥棒猫みたいな性悪な猫が多いのですが、まったくそれが猫の本質なので仕方がない。

And when you hear a dining room smash 台所でスマッシュ(お皿が壊れる)音がしたり
Or up from the pantry, there comes a loud crash 食料置き場から大きなクラッシュ(物が崩れる)音がする
Or down from the library, there comes a loud ping それとも図書館で騒々しく本が破けてビシッ(ピンッ)
From the vase which that was commonly said to be Ming 中国明の陶器の壺は大抵がミシッ(ミンッ)
And the family will say そんな音がしたら、家族はこういうんだ
Now which was which cat? どの猫がやったんだ?
It was Mungojerrie それはマンゴジェリーと
And Rumpelteazer ランペルティーザーがやったことさ
There is nothing that ought to be done about it それに関しちゃ、もうどうしょうもないわけだ

伝統否定を売り物としたモダニストの T. S. エリオットなのに、韻が完璧
子供のためにならばこんな楽しい言葉遊びの詩も書けるのです

キャッツというミュージカル

いろんな猫たちが舞台上で自分たちはどれだけすごいかを自慢し合う。ひたすら猫たちの自慢大会ダンスショーが延々と続く。

自分はこんな凄い猫だと言い合うばかり。猫は自分が一番偉いと思ってる動物なので、まさに猫らしいのですが。

ジェリクルキャットという野良猫一族のベストキャットを選び出すのが劇の物語の骨子だけれども、ハッキリ言ってドラマがない。

踊りと軽い音楽で派手な衣装とメーキャップの猫たちがひたすら見せびらかすというドタバタ喜劇的ミュージカルなので、深みに乏しい。

物語の中にキャラの成長要素がない。誰も変わらない。

原作はそういう詩集だから、詩集のミュージカル化を提案されて検討したエリオット未亡人ヴァレリーもまた作曲家ロイド=ウェッバーに、エリオットが子供のための詩集には悲しすぎるとして作者が不採用にした猫の詩を取り出してきたのだけど、それだけでは足りたいので、彼女が選んだのは、若き日のまだフランスのパリにいた頃の若きエリオットが書いた有名な詩なのでした。

詩の名前は「風の夜のラプソディ」。

詩集には「メモリー」が含まれていないのは、「メモリー」はラプソディから生まれたから。

1911年に書かれた詩

第一次大戦が勃発する前夜、20世紀という機械的文明が人間の人格を押し潰してゆく様を描いた詩。

このモダニズム文明の中で失われてゆく古い時代の人間の悲劇を徹底的に描写したのが前回紹介した1922年の「荒地」でしたが、名曲「メモリー」を誕生させた「風の夜のラプソディ」は文明そのものではなく、真夜中のパリの陰惨な都会の情景が描かれた詩。

「荒地」の前日譚のような雰囲気の詩ですが、難解です!

でもそんな詩を、はちゃめちゃ猫たちの詩集に嵌め込んだのです!

ヒューマンな深みに欠ける原作の猫の猫らしさ全開の詩集なのは、人間ではない猫たちの物語だから当たり前なのですが、それだけではショーにはならない。猫好きには、性悪猫や怠惰な猫の歌だけでも受けるかもしれないけれども。

でも普通の人はもっとヒューマンなドラマを求めてしまう。だからヴァレリーもまた、全然別な世界観の詩をここに持ってきたのだと思います。

子供のための喜劇的詩集と20世紀人の悲劇を歌った悲劇的なモダニズム詩の融合(詩の中の言葉にもある Synthesis)。

それがミュージカル「キャッツ」なのです。

こんな具合なので、ミュージカル「キャッツ」ってラプソディそのものなんだなとも思います。

T.S.エリオットの「風の夜の狂詩曲」

狂詩曲、または狂想曲と訳されるラプソディは、理路整然とした音楽的展開のない音楽の形式。

ナンセンス詩のように違った曲想が前後のつながりなしに流れてゆくのですが、やはりナンセンス詩のように夢の情景のような音楽とも言えます。

ソナタやロンドやワルツのような統一感のある形式のない音楽。

それがラプソディ。

ファンタジーにも似ていますが、幻想性よりも狂ってるというか、どこかユーモラスなメロディやヘンテコなリズムが出てきたりと、やはりナンセンス要素が高いのがラプソディらしさ。

クラシックとして最も有名なのは、トムが演奏したフランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」でしょうか。「Cats」仲間なので、この動画を貼っておきます笑。

叙事的なカッコいい出だし、でもすぐに付点付きの舞曲に変わり、やがては行進曲に。こんなふうに色々ごった混ぜなのが「狂ってる=狂詩曲」なわけです。

ジェリーが鍵盤上を飛び跳ねても違和感がない笑。

他にもモーリス・ラヴェルの「スペイン狂詩曲」、セルゲイ・ラフマニノフの「パガニーニ狂詩曲」そしてジョージ・ガーシュウィンの「憂鬱な狂詩曲=ラプソディ・イン・ブルー」など。知名度は低いですが、クロード・ドビュッシーにもありますね。

クラシック的なQueenの名作「ボヘミアン・ラプソディ」もまた同じジャンルの音楽。

さて、エリオットの詩もまた、これらの音楽のように自由自在に展開してゆき、それぞれの素材もまた、奇想天外なもの。

唐突におかしなオブジェが飛び出してくる。

英語のRapsody はEipc Poem つまり叙事詩という意味でフランス語由来。だから山あり谷ありの波瀾万丈でどこか滑稽な叙事詩的な音楽や物語はラプソディ。

詩の中心テーマは「記憶=メモリー」なのですが、機械的な繰り返しばかりの生活に追われる都会人は記憶さえも失って影のように生きてゆくという詩。まるでミヒャエル・エンデの「モモ」にも通じるような世界観ですが、こういう都会に押しつぶされてゆく人間性の告発こそが詩に隠された真のテーマ。

わかりにくい詩ですが、詩人に語り掛ける街灯が見せる真夜中の都会の情景から浮かび上がる記憶がテーマ。

狂詩曲の最後には朝が訪れるらしいけれども、非人間的な日常の世界はそのまま時間が流れても変わることがないというのです。

詩のキーワードはTWIST=ねじる。捻じられているのは、記憶であり、ひきつった作り笑いであり、笑えない眼差し。

対訳は逐語訳的に行の言葉をそのまま改行しないで訳しています。

日本語の詩としては前後を入れ替える方が良い訳ですが、英語の詩の味わいを残したいので、語順は極力変えないでおきます。

Rhapsody on a Windy Night 風の夜の狂詩曲

Twelve o'clock. 真夜中の12時=ミッドナイト
Along the reaches of the street 街の通りの広がりに沿って
Held in a lunar synthesis, 月明かりが混じり合う中に
Whispering lunar incantations 月の囁きが姿を表す所
Dissolve the floors of memory 記憶の一番奥と
And all its clear relations, 記憶に繋がる明らかなものの全て、
Its divisions and precisions, 記憶の部分、そして不明瞭ではない記憶を全て溶かしてしまう=つまり、月明かりが記憶の全てを思い出させるということ
Every street lamp that I pass わたしが通り過ぎるどの街灯も
Beats like a fatalistic drum, 運命を刻むドラムのようにビートを刻み、
And through the spaces of the dark そして闇の空間を通じて
Midnight shakes the memory 真夜中は記憶を揺さぶるのだ
As a madman shakes a dead geranium. 気狂いが枯れてしまった小さな鉢植えのゼラニウムを弄るように

Half-past one, 一時半
The street lamp sputtered, 街灯はぺちゃくちゃおしゃべりする
The street lamp muttered, 街灯はぶつぶつ呟く
The street lamp said, 'Regard that woman 街灯は言う「あの女を見てごらん
Who hesitates towards you in the light of the door ドアの光の中の君にためらい
Which opens on her like a grin.
ニヤニヤ笑いみたいに彼女に対して開いてる
You see the border of her dress
彼女のドレスの端は
Is torn and stained with sand
, 破れてて、砂がついて汚れてるのが見えるだろ
And you see the corner of her eye
彼女の目元は
Twists like a crooked pin.'
歪んだピンみたいに曲がっている

The memory throws up high and dry 記憶は吐き出す、酔って、嘔吐は乾いてこびりつく
A crowd of twisted things; 捻じ曲げられたものの一群を
A twisted branch upon the beach 岸辺に打ち上げられたねじ曲がった枝は
Eaten smooth, and polished 綺麗にしゃぶられていて
As if the world gave up 世界は磨き上げられた秘密を
The secret of its skeleton, 諦めてしまったかのよう
Stiff and white. 硬くて骸骨みたいに真っ白だ
A broken spring in a factory yard, 工場の庭先の壊れたバネ
Rust that clings to the form that the strength has left 力を失ったバネの形に縋るような錆
Hard and curled and ready to snap. 硬くて、曲がっててポキッと折れそうだ

Half-past two, 二時半
The street lamp said, 街灯は言う
'Remark the cat which flattens itself in the gutter, 「あの猫を見てごらん、ドブに身を潜めて
Slips out its tongue 舌を突き出して
And devours a morsel of rancid butter.'  悪臭放つバターのかけらにむしゃぼり喰っている猫を」
So the hand of a child, automatic, そしたら子供の手が機械仕掛けのように
Slipped out and pocketed a toy that was running along the quay. すり抜けて波止場を走り向けてきたおもちゃをポケットに押し込んだ
I could see nothing behind that child's eye. 子供の目の向こうには何も見えなかった
I have seen eyes in the street わたしが見た街路には
Trying to peer through lighted shutters, 明かりで照らされた鎧戸から覗き見ているたくさんの目
And a crab one afternoon in a pool, ある午後の水溜りの一匹の蟹
An old crab with barnacles on his back, 年寄りでフジツボが背中にへばりついていて
Gripped the end of a stick which I held him.  わたしが握る棒の先に、その蟹はしばりついた

Half-past three, 三時半
The lamp sputtered,  街灯はぺちゃくちゃおしゃべりする
The street lamp muttered in the dark 街灯はぶつぶつ呟く
The lamp hummed: 街灯は鼻歌を歌う
'Regard the moon, 「月を見てごらん
La lune ne garde aucune rancune, 月は恨みを抱かない (この部分はフランス語)
She winks a feeble eye, 彼女(月)は弱々しく瞬きする
She smiles into corners. 彼女は街角に微笑む
She smoothes the hair of the grass. 彼女は芝生の伸びた髪を滑らかにする
The moon has lost her memory. 月は記憶を失ってしまった
A washed-out smallpox cracks her face, 洗われたままのあばたが彼女の顔をひび割れさせている
Her hand twists a paper rose, 彼女の手は造花の薔薇を捻じ曲げる
That smells of dust and old Cologne, 薔薇には塵と古いオーデコロン(香水)の匂いがしている
She is alone 彼女は独りなのだ
With all the old nocturnal smells 古びた夜の匂いが
That cross and cross across her brain.' 彼女の頭の中を斜めに脳裏に響く」
The reminiscence comes 追憶があふれてくる
Of sunless dry geraniums 陽に当たらずに乾いたゼラニウムと
And dust in crevices, ザリガニの泥からやってくる
Smells of chestnuts in the streets, 道端のくるみの匂い
And female smells in shuttered rooms, 閉じられた部屋の女の匂い
And cigarettes in corridors 通路の煙草
And cocktail smells in bars. バーのカクテルの匂い

The lamp said, 街灯は言った
'Four o'clock, 「四時だ (中途半端な三十分という時刻がここで一時間の始まりに戻る)
Here is the number on the door. この扉には番号がついている(家にたどり着いたということ)
Memory! 記憶よ (鍵を持っていること覚えている、と夜の徘徊の中で遭遇した記憶の両方がかけられている)
You have the key, 鍵を持っているね
The little lamp spreads a ring on the stair, 小さな灯りが階段の上に丸い輪を作る(上の階へと登ってゆく)
Mount. 乗りなさい (部屋に入り、ベットの前に立つ)
The bed is open; the tooth-brush hangs on the wall, ベッドは寝れるようになっている、壁には歯ブラシがかけられている
Put your shoes at the door, sleep, prepare for life.' ドアに靴を置いて、眠り、生活に備えなさい」

The last twist of the knife. ナイフの最後の捻り(ナイフが心をねじるように、記憶にも残りそうにない、無機質な生活がまた始まってゆく。長い夜明け前の放浪も、目覚めるとまた虚しい生活の繰り返しで目覚めてしまうということ)

語り手の詩人の目に映る、月明かりの中の真夜中の街路の情景
詩人に街灯が語りかける。
みすぼらしい女、みすぼらしい猫、そして淡い光を放つ月を見よと
意味不明なメタファーだらけに思えるかもしれませんが
何を語っているのか大体分かるでしょうか
記憶(思い出)をたぐる詩人の目には全てが捻り曲がって見える
全てが捻じ曲がる
モダニズム詩なので、韻もリズムもバラバラ
これもまた、伝統の喪失の表現

太字にした第二聯の「Regard that woman」以下の部分はグリザベラを紹介する語りとして、そのまま劇中に引用された、前回引用した部分。

気が付かれたでしょうか。

この詩には名曲「メモリー」のキーワードがたくさん含まれているのです。

The moon has lost her memory は疑問文にすれば、歌詞そのもの。

この詩の言葉を選び取って書き換えて、名曲「メモリー」は作られました。

上の歌詞の太字にした部分は歌詞に採られた部分や関連部分。

でも捻じ曲げられた記憶は、ミュージカルの中では肯定的な生きる力の源という風な解釈をされるのです。

名曲バラード「メモリー」

月明かりの下の街灯が詩人に語った、みすぼらしい女と猫の姿は、ミュージカルにおいて、主人公グリザベラへ昇華されるのです。

「子供には悲しすぎる」という理由でエリオットが不採用にしたグリザベラの詩に相応しくするには、希望の歌に変えること。

グリザベラという雌猫は詩の中に歌われたようなみすぼらしい猫。かつての美貌を失った落ちぶれた猫。

そんな猫が今もなお、希望を失わないでいたとすれば?

狂詩曲の言葉は次のように言い換えられるようになります。

Midnight  ミッドナイト
not a sound from the pavement 石畳には音一つない
Has the moon lost her memory? 月は思い出を失ってしまったのか?
She is smiling alone 彼女は一人で微笑んでいる
In the lamplight 街灯の光の中
The withered leaves collect at my feet 枯葉がわたしの足元に集まる
And the wind begins to moan そして風は嘆き始める

Memory メモリー(記憶であり、思い出でもある)
all alone in the moonlight 月明かりの中、ただ一人の
I can smile at the old days わたしは古い日に微笑むことができる
I was beautiful then あの頃はわたしは美しかった
I remember 覚えている
The time I knew what happiness was 幸せとはなんだったかを知っていた時のことを
Let the memory live again またメモリーを蘇えらせよう

Every street lamp どの街灯も
Seems to beat a fatalistic warning 避け難い警鐘を鳴らしているようだ
Someone mutters at the street lamp gutters 誰かが街頭の溝で呟いている
And soon it will be morning もうすぐ朝が来ると

Daylight 陽の光よ
I must wait for the sunrise 朝日を待たないと
I must think of a new life 新しい人生を思い起こさないと
And I mustn't give in 諦めてはいけない
When the dawn comes 夜明けが来れば
Tonight will be a memory too 今夜もまた思い出の一つになる
And a new day will begin そして新しい一日が始まる

Burnt out ends of smoky days 煙たかった日々の終わりは燃え尽きて
The stale cold smell of morning 古びて冷たい匂いの朝
The street lamp dies, another night is over 街灯は消えて、また夜が終わる
Another day is dawning 新しい日が始まるんだわ

Touch me (月よ)わたしに触れて
it's so easy to leave me わたしを置いてけぼりにするのは容易いこと
All alone with my memory 陽の光の中の思い出の中では全くのひとりぼっちだった
Of my days in the sun
If you touch me あなたが触れてくれるならば
You'll understand what happiness is 幸せとはなんであるか、あなたもわかる
Look a new day has begun 見て、新しい一日が始まる

ラプソディでは街灯にPrepare for lifeと言われる受け身な存在だった詩の語り手に対して
この歌詞のグリザベラは「自分で人生を作り出そう」と歌うのです
朝起きるために寝なさいと命令されるラプソディに対して、
新しい生への決意の歌であるメモリー
同じメモリーを歌った詩でもこれほどに違う!
最後には月にさえも語りかけて、月に明日のために生きることさえも教えるのです!
これもラプソディとの対比

こうして悲しい都会の夜の詩から、新しい希望に溢れた深い詩が生まれたことで、はちゃめちゃ猫たちの陽気な歌芝居は変貌。

翳りを帯びた落ちぶれた雌猫グリザベラを主役としたブロードウェイ・ロングラン・ミュージカル「キャッツ」はこうして世界中で愛されるようになったのでした。

その昔、なんでエリオットみたいな堅苦しい大詩人がこんなふうな軽薄なミュージカル原作者なんだろうと以前は訝りましたが、エリオットの言葉はこうして和歌の本歌取りとも言える手法によって生かされていたのです。

ミュージカルソング「メモリー」には作詞者たちの横には「エリオットの詩をもとにして」という断り書きが必ずつけられています。

暗い夜道も悲しげな月明かりも、見方を変えると、悲惨にも、また逆に希望溢れたものにも、見えるようになるものです。

この詩を思い出します。

フレデリック・ラングリッジの「不滅」。

二人の囚人の詩

「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の冒頭に掲げられていた言葉
二人の男は鉄格子から外を見た、一人は泥を、もう一人は星を見た
エリオットの原詩は地面の泥を見た囚人のようなもの
でも上を見上げて夜空の星を見た囚人はグリザベラ
いつだって星を見たグリザベラのようででありたいものですね

「キャッツ」もまた不滅です。

この単純な、でも奥深いバラード「メモリー」を愛して止むことはありません。

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