今回の言葉遊びは、20世紀で最も重要な詩人と呼ばれる、アメリカ出身でイギリスに帰化した、ノーヴェル文学賞作家のトーマス・スターンズ・エリオット(Thomas Sterns Eliot)の楽しい詩集について。
モダニズム詩人T. S. エリオット
エリオットは普通、イニシャルをつけて、T. S. エリオットと呼ばれるのが慣わしです。
エリオットという苗字を持つ人が英語圏にはあまりに多すぎるからです。日本語圏で言えば、鈴木さんや田中さんみたいな名前。
でも長いので、単にエリオットと呼ぶことにします。
エリオットの文学的功績は、英語詩の生命である定型詩の韻律を壊して、自由な形式の、いわゆるモダニズム詩を普及させたこと。
英語というビート (アクセント) がないと存在できない言語においては、弱強五歩格など、強弱のビートの繰り返しが詩のリズムを作り、文章の締めくくりの最後の言葉を脚韻で揃えるのが何百年も大事とされてきました。
日本語で五七五のリズムが尊重されてきたのと同じですが、日本でも明治期に言論一致が叫ばれ、五七調の定型詩ではない詩がたくさん作られるようになったように、英語でも定型詩ではない詩が19世紀には生まれたのです。
英語話者ならば単語のアクセントを必ず把握していますが、どの言葉を並べるかで、文のリズムが変わります。
英語詩においては、ビートを規則的に並べるのが詩人の仕事。
さらにはリズムの他に、最後の韻を揃えると詩の世界に統一感が生まれる。
規則的なビートと押韻。それが英語の定型詩。弱強五歩格とか強弱八歩格だとか、組み合わせによって形式が変わる。さらには詩のスタンザ(聯)は4行だとか、全体で14行にまとめるとソネットと呼ばれるなどの形式も大事。
でも形式を伴わない美しい響きを持つ言葉も詩だとも呼ばれる。
シェイクスピアの劇中の言葉は韻文であることが多いですが、弱強弱強の繰り返しなど、リズムが整っているけれども、でも各行の終わりで韻を踏んでいない文もある。
そういうものはBlank Verse(無韻詩)と呼ばれます。
シェイクスピアの劇は、完全な韻文の部分と、韻を踏まない自由詩のセリフと口語体の散文の部分の組み合わせで出来ている。でも韻が不規則でも、ビートが整っていると詩であると言える。だからシェイクスピアは劇詩人なのです。
口語の言葉は必ずしも詩にはなりませんが、優れた演説は詩のように美しいリズムを持ちます。
エリオットの詩は定型詩ではないですが、どの詩にも独特の規則正しいリズム感があります。無韻詩でもなく、リズムも伝統的な詩とは一線を画した詩。それが自由詩。
韻(Rhyme)を考慮せず、強弱強弱のような伝統的な律(Rhythm)を無視して、独自のリズムパターンを独自に考え出すのがモダニズム詩人の仕事。
韻律から自由な形式な詩なので Free Verseと呼ばれます。
自由詩の始まり
英語の自由詩は、アメリカのウォルト・ホイットマンから始まったとされます。
ホイットマンなどのアメリカ発祥の自由詩を、モダニズムという、20世紀文学の特徴である、既成の価値観の否定、都会における疎外や共同体の喪失などと結びつけた先駆が、アメリカに生まれて文化伝統の地のイギリスに憧れて移住したエリオットでした。
わたしは英語の韻律が好きなので、自由詩にはいまのところ、あまり興味はないですが、ホイットマンの書いた数少ない韻文である「O Captain! My Captain!」は素晴らしい詩だと思います。でも、この詩のことはまた後日。
T. S. エリオットの定型詩
エリオットといえば、モダニズム詩の金字塔として知られる「荒地 The Waster Land」という詩が有名。
第一次大戦で欧州の秩序が失われて、世界が変わってしまったことを誰もが実感するようになった1922年の出版。
第一部は「埋葬 The Burial of the Dead」と題されていて、厳しい冬が終わると訪れる麗しい春を讃えるのではなく、四月は酷いというアイロニーから始まります。
和訳は無理やり英語の改行に合わせて訳してみました。
意識の流れはそう訳さないと伝わりません。
文法的には行ごとに文は完結性を持つべき。
でも中途半端にそのまま次の行まで続いてゆくのが、意識がいつまでも続いているという文になる。
この詩の言葉の「Memory and Desire」から次の映画が生まれました。参考までに。
さて、エリオットの詩の革新性などを書き出すと、全然本稿の主題である「キャッツ」にたどり着かないので、難解な「荒地」は置いておいて(書いてゆけば何万字になるでしょうか)、猫の話を始めましょう。
大詩人が子供たちのために書いた猫の詩集
エリオットは「荒地」などの斬新な英語近代詩の新境地を開拓したことにより、1948年にノーベル賞を受賞。
宗教的に保守な人だったので、旧時代を否定する新しい形式の詩を書いたにも関わらず、詩の内容はどこか古いという作風の作家でした。英国国教会に属したほどだし。
機械文明が支配する20世紀を受け入れられない人たちの悲しみを歌ったとも言えます。彼は二度結婚しましたが、子供は出来ませんでした。
でも子供は好きだったようで、言葉の達人の彼に多くの人が子供の名付け親になって欲しがり、たくさんの名付け子がいたようです。いわゆるGodfatherだったのです。
詩人の素晴らしい造語力にあやかろうとした友人たちがたくさんいたのですね。
そしてGod Childrenのためにある時、クリスマスプレゼントとして子供のために詩集を書いたのでした。大詩人の書いた気楽なお遊びの詩集とも言えますが、これがのちにミュージカル「キャッツ」の台本として使用されることになったのでした。
ミュージカル「キャッツ」の原作である
がそれです。
序文には次のように書かれています。
猫好きな子供達と一緒にこうたらどうとかこんなのダメだとか一緒に楽しみながら書かれた詩集なのでしょう。
いくら猫好きのエリオット一人では、こんなに楽しい個性的な猫たちのアイデアは出てこなかったのでは。
だからアイデアを出し合った名付け子達に詩集は献呈されているのです。出版は1939年のこと。
そしてモダニズム詩人エリオットには珍しく、伝統的な韻とリズムで持って書かれています。スタイルもさまざま。子供が好きそうな語呂合わせや言葉遊びがたっぷり詰め込まれていて、エリオット流のナンセンス詩と言えるでしょう。
詩集は全ての猫たちがどれほどに犬と違って個性的で、実践的なスキルを持って、人間たちと距離を置きながら、都会で暮らしているかを書き綴ったもの。
犬好きには受けそうにないですが笑、まあ猫の生態を愛してやまない人には大受けする作品です。
猫は人に飼われていても、犬のように召使にはならずに、適度な距離を取り、なんとも独特な生き物。
飼われているくせに傲慢で自分勝手で好き放題やりたい放題で、お腹が空いた時だけ飼い主に擦り寄って来て、お腹が膨らむと感謝もせずに好きなところに行って昼寝をする。
まあ猫とはこういうもの。
詩集の題名のPractical とは今流行りの言い方では、Street Smart と言い換えることができるでしょう。いろんな日本語訳が出ているようですが、どれも詩集の邦訳が違うのです。
ミュージカル「キャッツ」が生まれるまで
アンドリュー・ロイド=ウェッバーのミュージカル「キャッツ」は1965年のエリオットの死後の1980年に作られましたが、Old Possum’s Bookの劇場作品化に一躍買ったのは、30歳以上も歳の離れた、二人目の奥さんのヴァレリーでした。
詩集はエリオットの死後、ディズニーによるアニメ化が何度か提案されたそうですが、著作権管理者のヴァレリーは却下。
でも彼女はロイド=ウェッバーのミュージカルが提案に興味を持ち、作曲家が作曲した数曲の歌に惹かれたのでした。
そこで詩集が子どもたちのために書かれた作曲当時の事情を知るヴァレリーは、エリオットが書いたけれども、落ちぶれたり老いた娼婦の雌猫のための八行だけの詩を作曲家に見せたのでした。
子供向きでないというボツにされたのでしたが、ミュージカルは別物です。
さらに、この猫がロンドン随一の高層ホテルだったラッセルホテルを超えて、今では忘れ去られた、ラジオの電波がながれるというヘヴィサイド層と呼ばれる、大気圏の上層部を抜けて、天へと昇ると言う詩句も付け加えて、みすぼらしい老いた雌猫グリザベラを主役に据えた、のちの大ヒットミュージカル「キャッツ」の構想が完成したのでした。
詩集に含まれていない八行だけのグリザベラの詩はこのようなものです。
詩集の中の猫たち
詩集には14篇の詩が含まれていますが、前回からの「不思議の国のアリス」繋がりの言葉のある最初の詩だけを読んでみます。
「メモリー」の歌詞もまた、実は詩集には含まれてはいず、エリオットの有名なモダニズム詩の言葉を借りてきて書かれた歌です。
The Naming of Cats
ラジオで知られたエリオットの肉声も現存していますので、作者詩人の朗読もどうぞ。
上のミュージカル版ではたくさんの猫たちが一斉に喋っているので、舞台上で完璧に詩句を聞き取るのは困難です。でもこちらは当然ながら分かりやすい。
三行目に
というセリフがあります。
わたしはアリスへのオマージュかなと勝手に思っています。
というわけで、この詩集、いろいろ訳の分からない言葉が奇想天外に展開されます。どんなふうに楽しむのか?
詩の読み方は人それぞれですが、やはり英語のリズムの面白さを体感できるといいですね。「荒地」などと違って全然深刻さのない、子供のための詩なのですから。
最後から三行目、大詩人も遊んているなあと微笑ましく思える楽しい言葉の数々です。
造語はルイス・キャロルの専売特許でもなんでもなく、英語もまた、造語力豊かな楽しい言語。
Absobloominlutely!
ミュージカル「マイフェアレディ」にはAbsolutely (絶対に)という単語の中にBlooming (咲き誇る、花のように美しい)を引っ付けた変な言葉もありましたね。
Absolutely を語幹で分解して、
Abso+Lutelyの間にBloomingをサンドイッチみたいに間に挟む!
英語に親しめば親しむほど、こんな楽しい言葉に出会えるようになれます。
英詩は日本語詩よりもずっと遊んでいるなあという印象を受けるのはわたしだけでしょうか。
音とリズムが詩の最大の構成要素だからでしょうね。
押韻とリズムの共通する語彙選びは遊び要素たっぷりですからね。
日本語は詩作において意味が最初かもしれないけれども、英詩では音とリズムが絶対なのです。
そんな韻律への束縛から詩を開放したのが、ホイットマンであり、エリオットなのでした。
次はエリオットがみすぼらしい娼婦を描いた自由詩を読んで見ます。名曲「メモリー」はその詩の中から生まれたのです。