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ウクライナをめぐる音楽:英雄マゼッパ・悲哀のドゥムカ・悲劇的演奏家グリンベルク

ウクライナの歴史を繙くと、その複雑に絡み合う物語の深さに圧倒されます。民族問題はモンゴル帝国の軛から解き放たれた頃から存在していて、ロシア人とウクライナ人の起源であるルーシ族にしても、北方のスウェーデンから来たバイキングであるともいう学説もあります。

古都キエフを取り巻く広大な地域に、同一民族から枝分かれしたらしい様々な東スラヴ人が数多く存在し、数限りない紛争を繰り返してきたというのが彼の国の歴史。

17世紀18世紀は日本の戦国時代同様に、いろんな民族や部族の人たちが入り乱れて中原の鹿を追い求めていたという印象です。

そんな戦国時代のような様相に終止符を打ったのが大北方戦争と呼ばれるロシアのピョートル大帝とスウェーデンの流星王カール12世の勢力とがぶつかり合った、東ヨーロッパの関ヶ原の合戦のような大戦争で、大事な役割を演じたのはウクライナコサックのイヴァン・マゼーパ(マゼッパ 1639–1709)と呼ばれる人物。

群雄割拠時代に相応しく、ポーランド王に見出されるのですが、さる高貴な夫人と不貞を働いたとして、若きマゼッパは裸にされて馬に縛り付けられて国外に追放されます(追放される馬上の全裸のマゼッパの姿の絵画がたくさん書かれています)。

ホラス・ヴェルネ (1789-1863)「マゼッパ」(1826年)

追放されたマゼッパはロシアに行き、ピョートル大帝の実力を認められて侯爵位まで賜ります。ですが最後にはスウェーデン王の陣営にゆき、有名なポルタヴァの戦い (1709) で敗走。終焉の地はオスマン帝国だったという波乱万丈の人生を生きたのです。

祖国のために戦った悲劇的英雄として、ウクライナのみならず、ヨーロッパでは広く知られたマゼッパの名は、イギリスのバイロンが1819年に詩として発表。

その詩に感化されたフランスのロマン派詩人ヴィクトルユーゴーはさらに壮大な叙事詩として謳いあげ(東方詩集1829年)、その詩を読んで感動したハンガリー(ドイツ)の音楽家フランツ・リスト (1811-1886) が音楽化して、不滅化されています(ピアノ版1852,管弦楽版1854年)。

リストの音楽はユーゴーの長大な叙事詩そのものに非常に勇壮な音楽。
なのですが、問題はウクライナはその後、強大化するロシア帝国に面従腹背する生き方を強いられてゆき、それが現代のロシアによる侵略にまでつながるのです。

日本という島国は戦国時代ののちに国土は統一されて、250年以上にも及ぶ太平の世を満喫して、成熟した国となり得ましたが、そうした国は世界的にみても稀なもの。

ウクライナという国、マゼッパの時代の後にも争い続けて止むことがなかったのだそうです。

ソヴィエト時代にも虐げられて、大祖国戦争では(第二次大戦でのドイツ軍によるロシア侵攻)ナチスドイツを解放軍として受け入れてモスクワに徹底的に抗したのです。大変な数のユダヤ人がウクライナ人の手によって殺害されました。

ナチスの亡霊はいまもなおウクライナには生きていて(独裁者プーチンの戦線布告演説に込められたプロパガンダは完全なでっち上げではありません)それがカラー革命と呼ばれる21世紀のクーデターにまでつながっているのです。2014年の政権交代時の騒動はまさに戦争のようなものでした。

なんとも悲壮な歴史ですが、音楽史においてそんなウクライナらしさを伝える音楽が存在します。

ドゥムカと呼ばれる哀歌の音楽形式です。言葉はウクライナ語起源なようですが、ポーランド起源という説もあるようです。いずれにせよ、東スラブ民族の民族的な音楽です。

二拍子で短調の哀しい調べが特徴的な音楽。

ポーランドのショパン (1810-1849) が若き日に歌曲をドゥムカのスタイルで作曲しています。

ウクライナには音楽史に特筆されるような高名な作曲家は19世紀には恵まれず、ドゥムカは隣国の旧チェコスロヴァキア(現在はスロヴァキア)のアントニン・ドヴォルザーク (1841-1904) が何度も作曲に用いてし この音楽形式を世界的に広めました。

高名なピアノ三重奏曲第四番は「ドゥムキー」(ドゥムカの複数形)という副題で広く知られています。

スラブの哀しい歌はチェコやモラヴィアやスロヴァキアやポーランドやウクライナなどで共有されるのですね。悲しい調べはそんな悲しい歴史を辿ってきた民族なのだということを思い出させずにはいられません。

二十世紀になると、大作曲家セルゲイ・プロコフィエフ (1891-1953) がウクライナのドネツク州(ドネツク人民共和国)の首都ドネツクにおいて生を享けましたが、ロシア領に生まれた彼は完全にソヴィエト・ロシア人でした。高名なヴラディーミル・ホロヴィッツ (1903-1989) もウクライナ出身のユダヤ人演奏家でした。

わたしが個人的に大好きなマリア・グリンベルク (1908-1978)は黒海に面したウクライナ南西部のオデッサで生まれ、ソヴィエト連邦支配下の激動の時代を生き抜いたロシアのピアニストでした。夫と父親を当局に逮捕・処刑された彼女もまた、政治に翻弄された哀しい人生を送ったのです。

生前は西側にはほとんど知られない演奏家でしたが、二十世紀最高のピアニストの一人であったと私は確信しています。数少ない彼女の遺された貴重演奏をYouTubeなどで無料で聴くことができる時間は至福の時です。

哀しい国であるウクライナの音楽の話でした。

ウクライナ民族楽器のバンドゥーラについてはまた後日。

ウクライナの音楽文化を論じた本投稿が、遠い見知らぬ国である彼の国を理解して頂ける一助になるようならば幸いです。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。