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ピアノのバッハ 18: ヨハン・セバスチャン・バッハの作品第一番

バッハが生前に出版したクラヴィア練習曲集は全部で四巻あります。

第二巻は二段鍵盤のための作品である「イタリア協奏曲」と「フランス風序曲(パルティータロ短調)」:

第三巻はオルガンのための<オルガンミサ曲集>:

第四巻はバッハ鍵盤音楽の最高傑作「ゴルトベルク変奏曲」でした。

今回は、第一巻パルティータ BWV825-830」 について。

記念すべき作品1

実はこの曲集、ヨハン・セバスティアン・バッハの記念すべき出版楽譜作品1なのでした。

パルティータ初版版の冒頭のページ
Clavir Ubungは「クラヴィア練習曲」という意味
終わりの三行には
Opus I
In Verlegung des Autoris
1731
(作品1、作者により出版=自費出版、1731年)
と書かれています
第一番前奏曲

十八世紀前半の出版は、著作権法が整備される十九世紀以降とは事情が全く異なりますが、作品第一番の出版はいつの時代でも重大事。

もちろんバッハが最初に作曲した作品ではなく、既に数百と作曲された作品から、出版第一作目として選り抜かれた作品だったのが「六つのパルティータ」なのでした。

鍵盤楽器のための「六つのパルティータ」出版は1731年。

バッハは既に46歳になっていました。

人生50年時代の晩年です(バッハの寿命は65歳だったので当時としては大変に長生きでした。きっとたくさんの家族に囲まれて暮らしていたので、年老いても死ぬまでいつだって誰かに囲まれて暮らしていたから長命だったのでしょう。長生きするためには家族は大事です)。

宮廷楽長として活躍したケーテンを去って、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)となって数年のちのことでしたが、自分を高く評価してくれた前の雇用主ケーテン侯レオポルトに男の子が生まれたことを祝い、「パルティータ第一番」を作曲して作品をケーテン候に献呈。

その後、さらなるパルティ―タを五つ続けて作曲して、六曲の全集としてまとめたのでした。

バッハはもはや教会音楽の専門家であり(教会の仕事はかなりの激務)世俗的な音楽を仕事の一環としては書けない立場にいたので(つまり世俗的な音楽の作曲は余暇の副業)自由な時間があまりない中、これまでの一連の世俗音楽を総括するような意味合いを込めてパルティータ集を出版したのだと私は思います。

十八世紀の作品一

バッハはどのような思い入れを持ってパルティータ集を世に送り出したのでしょうか。

バッハより43年のちのヨーゼフ・ハイドンの最初の公式出版楽譜は「エステルハージソナタ集」と呼ばれる六曲のチェンバロ音楽(旧番号でソナタ21番から25番)でした。

1774年のこと。宮廷楽長ハイドン42歳。

初期の弦楽四重奏曲集が通常、作品1として知られていますが、あれは作曲家が全く預かり知らぬ海賊版の出版番号でした。

そういう時代だったのです。

ホロヴィッツにも愛されたハイドンのソナタの中でも特に人気曲のソナタ23番ヘ長調が含まれています。

モーツアルトの最初のピアノソナタ集K.279-285のモデルになった名作集。

ハイドンの自信作である「逆さまのメヌエット」もこの曲集の一部。

モーツァルトの作品1は「選帝侯ソナタ」と呼ばれる六曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタ集(K.301-306)でした。

就職活動中のモーツァルトが雇用されることを期待して選帝侯に作品を献呈、さらには出版。

出版には選帝侯を喜ばせようとした意図があったことは明らか。残念ながら就職目的の出版には成果なく、徒労に終わってしまうのですが。

有名なホ短調ソナタもここに含まれています。

1779年の出版。後述するようにザルツブルク宮廷を追い出されて就職活動中だった無職のモーツァルトは23歳。

若いベートーヴェンもたくさんの作曲の試行錯誤を繰り返して、その中からピアノトリオ三曲(変ホ長調、ト長調、ハ短調)を作品1として出版したのでした。

1795年のこと。フリーランスピアニストのベートーヴェンは25歳。

第三番は当時の音楽としては桁外れに劇的で重苦しい色調のハ短調だったので、ハイドン先生にこの曲の出版は止めた方がいいとアドヴァイスされた、いわくつきの作品。

ベートーヴェンは誰も聴いたことがない斬新な響きがたくさん詰まったハ短調の自信作を作品1として世に出したかったのでした。

上記のように、作品第一番として出版される作品はデビュー作品ともいえる存在なので、作曲家にとって何よりも重要だったのです。

バッハもまた、「六つのパルティータ」に深い思いを込めて出版したはずです。バッハの場合、人生の後半になってようやく自作を出版することができたのでした。感無量だったのでは。


画期的な鍵盤音楽

鍵盤楽器のためのパルティータ集全六曲は次のような構成です。

  1. 変ロ長調:お世継ぎの誕生祝いのための作品なので、全曲喜びに満ち溢れた明るくて楽しい舞曲集

  2. ハ短調:悲劇的な色調の厳かな舞踏音楽

  3. イ短調:宮廷音楽的ではない粗野な踊りの曲集

  4. ニ長調:雄大な序曲から始まる、華やかな式典の舞踏会のような曲集

  5. ト長調:どことなくユーモラスで楽しい気さくな舞曲集

  6. ホ短調:暗い色調の叙事的で壮麗な舞踏音楽

これらはすべて一段鍵盤楽器のための音楽。

1716年製の一段鍵盤チェンバロ
ウィキペディアより

ですので、二段鍵盤のためのゴルトベルク変奏曲を一段鍵盤の楽器ピアノで弾いたときに生じる、同じ音域の音が交差して同音反復になって旋律が行方不明になるような演奏問題はありません。

素晴らしい両手交差の妙技は「六つのパルティータ」第一番のジーグで楽しめますが、ゴルトベルク変奏曲のように楽器を置き換えたために演奏難易度が驚異的に上がってしまったというようなことはありません。

1590年製の二段鍵盤ハープシコード(チェンバロ)
ウィキペディアより

「六つのパルティータ」は、オルガンではなく、チェンバロを念頭に置かれて作曲されたので、チェンバロ的演奏技巧の粋を極めた曲集といえるでしょう。

  • オルガンは鍵盤で演奏する管楽器なので(キーを押すと風がパイプ=菅に送られて音が鳴ります)自然と長く伸びる音になります。

  • チェンバロは鍵盤で演奏するギターのようなものなので(キーを押すと楽器内に張られた弦が爪弾かれます)弦が引っかかれた音は短い跳ねる音になります。

バッハは楽器指定をしない音楽を書いたりもしていますが、パルティータの場合は明らかに爪弾かれる音が曲の中心となる作曲で曲が構成されているのです。

「六つのパルティータ」は隅から隅まで音をはじくチェンバロのために細かい音符がびっしりと詰まっています。

ですので、指の技巧に自慢のあるピアニストには最良の作品のようにも見えますが、チェンバロ的な音符をピアノで弾くことは、やはり一筋縄では行かないのです。

ダンスミュージック組曲

まずパルティータは小品集であり、曲集の中身は

舞曲=ダンス音楽

なのでした。

ここがのちの古典派のソナタやロマン派の描写的音楽とは決定的に異なります。

バロック時代とはダンスの時代

フランス王ルイ14世がダンス狂いで逢ったことが広く知られるように、バロック時代とは王侯貴族たちのダンスの全盛時代でした。

太陽王と呼ばれたルイ14世(1638‐1715)
あまりに長い治世だったので
一昔前の時代の人のようですが
14世の晩年はバッハの時代 (1685-1750) と重なり
同時代人でもあるのです

ダンスの時代の鍵盤音楽奏者はダンス曲を弾ける能力を備えていないといけませんでした。

まず、バッハのパルティータを演奏するには、パルティータがダンス曲であることを理解していないといけません。

パルティータはダンス音楽なのです。

古典派・ロマン派との違い

古典派以降の作品は、音楽のフレーズが長くなり、良く歌われるメロディが中心とされた音楽です。

だからホモフォニーという

メロディ+伴奏

多声音楽(ポリフォニー)の場合は
メロディ+メロディ+伴奏
または
メロディ+メロディ

という形が音楽の基本となったのです。

長い長いフレーズをよく歌うことが求められるようになるので、メロディやハーモニーほどには音楽のリズム的要素は重んじられなくなります

バロック時代の音楽が「歌う」ではなく「語る」音楽であるといわれるのは、リズム主体なので音楽的フレーズが短いから(長いフレーズでは繰り返されるリズムの躍動感は感じられなくなります)。

つまり、規則的なリズムの繰り返しが音楽の基本となるのです。

12・12・12
123・123・123
1234・1234・1234

という基本の拍のリズムが執拗なほどに意識される音楽構造、つまりダンス要素こそがバロック音楽の音楽らしさなのです。

もちろんロマン派音楽にも123・123というリズム要素は大事なのですが、歌う要素が強調されるとリズムの躍動性は目立たなくなってしまいます

<バロック音楽>と<古典派ロマン派音楽>は違う音楽だといわれるゆえんです。

パルティータとは

パルティータとは、<組曲>という意味のイタリア語。

フランス語や英語の組曲 Suite/Suites(鍵盤楽器のフランス組曲や無伴奏チェロ組曲や管弦楽組曲の場合はスウィート・スウィーツ)ではないことに作曲者としての意気込みを感じさせます。

ラテン語直系言語のイタリア語は十八世紀の音楽家の公用語。

パルティータなのか、ただの組曲なのか、で作曲家にとっての作品価値が違ってくるのです。

鍵盤楽器用のパルティータの他に、バッハには

無伴奏ヴァイオリン曲三曲
無伴奏フルート曲一曲

があります。

いずれも作曲家バッハ屈指の世紀の名作。

組曲には、

四曲の管弦楽組曲
六曲の無伴奏チェロ組曲
鍵盤楽器のためのフランス組曲、
鍵盤楽器のためのイギリス組曲

がありますが、明らかに「六つのパルティータ」は、バッハ的にはこれらの組曲よりも上位に位置する存在なのだと題名から見て取れるのです。

無伴奏チェロ組曲は二十世紀初頭にパブロ・カザルスに「発見」されるまで、芸術的に劣る練習曲集とみなされていました。

題名がパルティータではなかったからです。

舞曲を学ぶためのパルティータ

十八世紀の音楽家(バッハの息子や弟子たち)にとって、パルティータ&組曲を学ぶ最大の目的は、バロック時代の音楽の中核だった舞曲の型をすべてマスターすることでした。

指遣いの習得なんて、音楽家には当たり前のこと(バッハの子供たちは早い段階でレベルを卒業して、即興でダンス曲を作曲演奏できるようになることが求められていました)。

つまり、鍵盤楽器を弾けるようになる目的とは、踊りの伴奏ができるようになることだったのです(フーガは教会の声楽音楽のための勉強でした)。

これこそが宮廷における音楽家の役割だったからです。

バロック時代の音楽とは踊りのための音楽が中心。

バロック時代の文化の中心は宮廷だったからです。

バロック時代には祝典のための鑑賞用のオペラも発明されて発達しましたが、王侯が日常的に楽しんだのはダンスです。

アルマンドはこんな踊り。

王侯貴族は暇さえあれば踊りに夢中になり、いろんなダンスのタイプが宮廷において考案されて、踊りごとに特徴のあるリズムの音楽が作り出されたのでした。

次の動画は日本語解説付きのメヌエットとブーレにガヴォット。

フランスのヴェルサイユ宮殿ではこんな舞踏会が何度も何度も催されていたのです。

繰り返されるリズムに特徴があるダンスには同じ三拍子でも、どの拍がどんなふうに強調されるかで踊るパターンが変わってきます。

例えば

三拍子のサラバンドは、タタタ|タター|タタタ|タター
メヌエットは、タータ|タータタタタ|タータ|タータタタタ
粗野なジークは、タタァー|タァータ|タタァー|タァータ|
二拍子のガヴォットは、タ|タタタ・タ|ター・タタ|タタタ・タ|

カタカナでリズムを
表現すると楽譜よりも
分かりやすいでしょうか(笑)
ダンスのリズムは通常、二拍で一組です
この組み合わせが延々と続くから
バロック音楽は規則的で特徴的なリズムに
支配されるわけです

今日こんにち、社交ダンスとして誰もが思い浮かべる「ワルツ」は十九世紀のダンス、「サルサ」や「タンゴ」などのラテンダンスは、二十世紀に知られるようになったダンス。

でもフランス革命以前の十八世紀欧州の宮廷ダンスの時代に、バッハやモーツァルトやヘンデルやハイドンは生きていたのでした。

十八世紀の音楽家とは

バロック時代の音楽家は実質的に芸術家ではなく、言われるがままに貴族の身の回りの世話をする召使いと同レベルの「楽師」でした。

ハンガリー=オーストリア二重帝国最大の領土を持った大貴族エステルハージ家に仕えた宮廷楽長ヨーゼフ・ハイドンは、毎朝侯爵が起きる前に侯爵の隣の部屋に控えていて、呼ばれれば起床のための音楽を用意しました。夜には寝る前の音楽を奏でた後に侯爵が寝てから自分は自室へ下がるのでした。

二十年ほどもこんな忠勤を続けていたハイドンはすごいです!(勤務後半は名誉楽長となって副楽長にやらせていたようですが)。

エステルハージ家の貴族たちは、朝になればBGMをスマホから流して、寝る前にはスマホから流れるリラックスする音楽を聴きながら眠る現代人とさほど変わらない生活ができていたのでした(日本の江戸時代中期なのに)。

でも十八世紀にはスマホはないので、音楽狂いのニコラウス侯爵は召使いたちにBGMを四六時中、生演奏させていたわけで、ハイドンは侯爵にとってのBGM用のスマホ的存在だったのです(笑)。

しかしながら、笑い話ではなく、これが十八世紀の音楽家には当たり前の召使い的な人生なのでした。

ハイドンよりも二世代下のヴォルフガング・モーツァルト (1756-1791) は召使い的な人生が大嫌いでした。

召使い扱いされたくないモーツァルトは、ザルツブルク大司教様(聖職者の伯爵様)と取り巻きの貴族たちに身分不相応に歯向かって、最後には大司教の側近アルコ伯爵に尻を足蹴にされて宮廷を追い出されてしまいました。

憤慨した本人が手紙にどのような屈辱を受けて司教から自由になったのかを故郷の父親レオポルトに詳細を誇らしげに報告しています(手紙を読んだ父親は真っ青になって大司教様に息子の復職を懇願したのでした)。

なにはともあれ、モーツァルトが嫌った楽師の仕事とは、王侯貴族が心地よい時間を過ごすためのBGMを奏でることでした。

だからこそ、音楽家は宮廷にはなくてはならない存在だったのです(音楽は贅沢な生活必需品。BMGのない宮廷生活は殺風景でしょう)。

当時のBGMはターフェルムジーク(つまり英語の Table Music)と呼ばれていて、小気味よいリズム感のある音楽やリラックスするためのセレナードなどを求められると楽師はすぐに演奏しないといけなかったのでした。

ですので、フランス組曲やイギリス組曲、パルティータを完全マスターして、

アルマンド
ブーレ
メヌエット
パスピエ
クーラント
エア(アリア)
ガヴォット
ジーグ
フォルラーナ
ロンドゥ
ポロネーズ

バロック音楽は個性的な作品よりも
定型の形式に戻づいていることが大事
個々の楽想よりもそれぞれの形式の
リズム感を味わうための音楽
19世紀以降の個性的なロマン派音楽とは
発想が全く異なるのです

などの基本のダンス形式を徹底的に学んで、求められればダンス音楽をすぐに奏でられる能力が十八世紀の音楽家には必須だったのです。

だからバッハはダンス音楽をたくさん作曲して息子や弟子たちに学ばせたでした。

舞曲を実用的に使うと

ターフェルムジークではなく、式典用の管弦楽組曲は、舞曲を集めて組まれています。

例えば、組曲第一番ハ長調 BWV1066は

序曲
クーラント
ガヴォット I&II
フォルラーナ
メヌエット I&II
ブーレ I&II
パスピエ I&II

組曲第三番二長調 BWV1068 は少し曲数が少なくて

序曲
エア(いわゆるG線上のアリア)
ガヴォット I&II
ブーレ
ジーグ

という構成。

このようなリズム的に多様な変化に富んだ舞曲を組み合わせた機会音楽を貴族のいろいろな催しで披露できることが楽長には大事だったというわけなのです。

だからバッハが最初の出版楽譜として自信をもって世に出したパルティータは、バロック音楽(十八世紀音楽)を理解するのになくてはならない曲集といえるでしょう。

舞曲の形式を学ぶのに最適な本が日本語に翻訳されて出版されています。

バロック音楽演奏に興味をお持ちの方には必読な一冊です。

パルティータは交響曲の雛型である

バッハの息子たちの時代には、宮廷舞曲は次第に形を変えてソナタ形式というものへと発展してゆくのですが、パルティータの基本形は四楽章でした。

  1. アルマンド(テンポ早めのドイツ舞曲)

  2. クーラントまたはメヌエット(ユーモア感あふれるリズム感に富んだフランス舞曲:テンポは速かったり遅かったり)

  3. サラバンド(ゆったりとしたイタリア舞曲)

  4. ジーグ(急速なテンポの快活なイギリス舞曲)

この基本形はバッハより後の時代のソナタ形式に通じます。

  • 第一楽章:早めのテンポの音楽(アレグロ)

  • 第二楽章:メヌエット=ゆっくりとした優雅な三拍子

  • 第三楽章:ゆっくりとした歌謡楽章(アンダンテまたはアダージョ)

  • 第四楽章:最も早いテンポの音楽(プレスト)

要するに「起承転結」構成が音楽の基本なのです。

でも実用音楽としては、貴族の舞踏会のためには:

最初には入場の音楽または舞踏会開始を告げる音楽として

序曲(オーヴァチュア)
前奏曲(プレリュディウム=プレリュード)
交響曲(シンフォニア)
トッカータ
幻想曲(ファンタジア)
プレアンブルム(ギリシア劇の前口上=前置きという意味:シューマンは組曲「謝肉祭」の最初の曲にこの形式を選んでいます)

のどれかが演奏されました。

いわゆるファンファーレ的な音楽。

どれにするかは楽長(作曲家)次第。

会の開始のための音楽が終わると舞踏会本番になります。

続くのはさまざまなスタイルのダンス:

アルマンド
クーラント
サラバンド
ジーグ

が演奏されるのですが、締めくくりのジーグの前にインテルメッツォ(間奏曲=つまり最終曲までのつなぎの曲)として

メヌエット
パスピエ
ガヴォット
ブーレ

上記の基本のダンスも併せて
これらのダンスを踊れることが
宮廷貴族の教養なのでした

などがも挿入されるのが慣習でした。

上記の管弦楽組曲第三番は基本形に近くて、第一番はもっと複雑な構成なわけです。

まとめると組曲は最低四曲、全体として六曲から八曲くらいが一度に演奏されたのでした。

この組曲形式を理解すると、どうしてバッハのピアノ曲にはダンス曲がたくさんあるのかが理解できますよね。

各組曲の個性

パルティータはイタリア語と書きましたが、パルティータにはイタリア式の本式組曲という意味が含まれていて、このタイトルが使われるときには明らかに玄人向きな作品という性質も帯びるのです。

イタリア語のパルティータは変奏曲という意味もありますが、ドイツでは基本的に組曲のカッコいい呼び名として使用されました。

バッハの鍵盤音楽の場合

バッハの「フランス組曲」の場合、イントロ部分(前奏曲や序曲)がついていなくて、いきなりダンスのアルマンドから始まるのですが、これはフランス王ルイ14世の作曲家リュリーやクープランたちのスタイルだったのでは、とも言われています。

きっとダンス狂のルイ14世はイントロなんていらない、すぐに躍らせろ!という考えだったのでは(笑)。

バッハの「イギリス組曲」には、どの曲にも長大な前奏曲がつけられていて、「フランス組曲」よりも規模が大きな組曲です。

どうして「イギリス」なのか、誰にも説明がつけられないのですが、一説ではイギリスの大作曲家ヘンリー・パーセル( 1659?-1695) のスタイルの組曲だともいわれています。

パーセルも一応、バッハの同時代人。

同じく英国の作曲家でバッハと同い年のゲオルグ・ヘンデルの組曲もまた、パーセル様式を踏襲しています。

規模と音楽的複雑さで「フランス組曲」「イギリス組曲」を質量ともに凌駕する「イタリア式=本格」パルティータは、舞曲の前にはそれぞれ

  • 第一番:前奏曲

  • 第二番:シンフォニア

  • 第三番:ファンタジア

  • 第四番:序曲

  • 第五番:プレアンブルム

  • 第六番:トッカータ

と性格の違う交響曲的な導入部が取り付けられているという豪華さです。

曲の構成などからも「六つのパルティータ」はバッハの書いた舞曲組曲の集大成であることは間違いありません。

だからこそ、バッハも作品1としてパルティータを世に送り出しました。

時代遅れとみなされていた対位法音楽のフーガとは違い、世間の評判も良く、自費出版の費用をすべて回収するだけの売り上げを上げるどころか、第二版、第三版さえも販売されて、かなりの利益さえも上げたのでした。

しかしながら、パルティータは音楽的に音符や多すぎて、ダンス音楽なのに複音楽的な対旋律も含まれていて、必ずしも踊るためには実用的ではなく、ショパンのワルツ同様に、踊れない舞曲集

ショパンのワルツをワルツのシュトラウス一家の音楽と比べると、どちらが踊りやすいかは誰の耳にも明らかなはずです。

ショパン作は音符が多すぎて、踊りを補助するリズムセクションの音楽としてはリズムが分かりにくいですよね。

でもバッハにせよ、ショパンにせよ、器楽音楽として純粋に鍵盤楽器で演奏するための舞曲集だったから、それでよかったのです。

パルティータをピアノで演奏すると?

しかしながら、バッハの作品1「パルティータ」、わたしの見立てたところ、現在では「フランス組曲」や「イギリス組曲」ほどにはよく演奏される音楽だとはいいがたい。

わたしはよくピアノ演奏会に足を運びますが、よく弾かれるのは「フランス組曲」や「イギリス組曲」ばかり。

「パルティータ」はめったに耳にする機会がない。

ダンス音楽なのに多声音楽要素が前作よりも色濃く、おかげで演奏難易度が高くなり、アマチュアが気楽に演奏できる音楽でないことも原因なのですが、人気薄なのは、やはりバロック音楽の舞曲とは何であるのかがよく理解されていないからなのでは。

そのようにわたしは推測していますので、バロック舞曲とはなんであるかにたくさんの字数を費やしたわけなのですが、舞曲はそれぞれに個別のユニークなリズムがあり、それが理解されないと聴いていても、曲の真価が理解できず、あまり面白い音楽とは思えないのです。

でも虚心坦懐、改めてパルティータは平均律曲集ともインベンションとも全く違うジャンルのダンスミュージックであると理解して聴くと、パルティータが理解できるはずですよ。

聴き方のコツとしては、ダンス音楽なので、足踏みして強拍と弱拍で規則正しく繰り返されるビートを感じながら聴いてみてください。

音楽への感じ方が全く変わりますよ。

体を揺らしてリズムを体感しながら聴いてみると、パルティータは類まれなるダンス曲なのだと分かりますよ(踊れないけれども)。

第一番変ロ長調

演奏技術的にも「パルティータ」は「フランス組曲」「イギリス組曲」よりも難易度が高いのは明白です。

たとえば、第一番アルマンドの前半部の終結部。

ここまで急速な二声の音楽だったのに突然、右手左手それぞれに対旋律が加えられて四声になるのです。

同じ調子のリズムの音楽がずっと繰り返されるばかりでは、これまでのフランス組曲やイギリス組曲と何も変わらないわけですが、終結部の終わりに小気味よいリズム変化が与えられる。

こうした粋な細かい工夫が凝らされることで玄人的な音楽愛好家の超えた耳を刺激して、音楽の彩りが重層化して、どんな聴き手をも唸らせるわけです。

でもこのように音楽を複雑にする試みは、実際に踊るためには意味のないものです。パルティータはそういう手の込んだ音楽なのです。

グールド録音の0:30から前半部最後の二小節
ここに加えられた対旋律はとても印象的
(演奏しづらいけれども)この二小節
アルマンドの価値を大変に高めるものです
グールドはリピートして前半を繰り返しますが
後半部分はリピートなし
前半部のコーダ部分(四声の部分)
を際立たせようとしていたのでは

第三番イ短調

第三番には「スケルツォ」が含まれています。

スケルツォは、宮廷舞曲として愛されたハイドン風の優雅なメヌエットは優雅すぎるとして、ベートーヴェンがメヌエットの代わりに好んで使用した武骨で粗野なリズムが特徴のダンス音楽(庶民の音楽)なのですが、ブレハッチはピアノの打楽器性を生かして野蛮なリズムの強調するなど、かつらをかぶった宮廷人または教会音楽家バッハらしからぬ面を強調しているかのような音楽。

バッハの荒々しいスケルツォ、ベートーヴェンよりも半世紀以上前の音楽なのに、二人の楽精神は時を超えて通じ合っていて素晴らしい。

第三番には「ブルレスカ(Burlesca)」も含まれています。

イタリア語で冗談や滑稽や嘲りを意味する上品ではないダンス。やはり庶民の音楽が起源。

この荒々しいリズムのブルレスカのスタイルを踏襲したのは、二十世紀のリヒャルト・シュトラウスでした。

バッハは他の作曲家にとって、まさに霊感の泉なのです。

第六番ホ短調

第六番冒頭の長大なトッカータは、まるでバッハ作曲の「バラード」。

声高く歌うのではなく、悲劇を物語る吟遊詩人の竪琴のような音楽。

ピアノで演奏されるとピアノ本来のロマンティックな雄弁さが映えるために、優れた演奏者に手にかかると全く感動的。

厳かな張りつめた空気の中の舞踏といった趣が何とも言えません。

現代最高のバッハ弾きの一人、マレイ・ペライアの演奏の小気味よいリズム感、拍の取り方、語り方、どれも大好きです。

一般的にペライアは「良く歌う」バッハを奏でますが、この演奏ではリズムが良くはじけていて素晴らしい。やはりこの曲の性格を知り尽くした人の名演奏です。

第二番ハ短調

第二番には本来はダンス音楽ではないカプリッチョ=奇想曲がフィナーレのジーグの代わりに採用されています。

カプリッチョはいろんな楽想が交代に登場する音楽のことなのですが、それでもバッハの場合は規則的なリズム感は常に保たれていて、ダンス音楽であり続けたまま、奇想曲として自由に展開します。

曲想は変則的なのに、規則正しいリズム要素が強調されてダンスのスタイルで書かれているので、なんとも不思議な感じがする音楽です(このスタイルを踏襲したのがブラームスのピアノ小品でした)。

パルティータ第二番を得意中の得意曲にしているマルサ・アルゲリッチのリズムの躍動は筆舌に尽くしがたい魅力にあふれています。

アルゲリッチの演奏は、ダンスとは芸術舞踏であって、肉体的運動でしかないスポーツとは違うのだということを思い知らしてくれます。

クラシック音楽をスポーツ的な運動として演奏する精神性の希薄な音楽家もいますが、規則正しいリズムの要素を決して損なわないまま(前のめりにならないで)、ピアノで語り掛けると(強弱の弾き分けやためらうような間の取り方などで語る!)バッハのダンス音楽は聴き手の心を動かされずにはいられない。

こういう音楽をわたしは精神の踊りと呼ぶにふさわしいと思うのです。

肉体的に踊らないし実際には踊れないけれども、心は踊り出すのです。

まさに芸術的なダンス音楽のバッハなのでした。

まとめ

今回紹介した舞曲は、バッハの作品1パルティータの魅力のほんの一部。

これほどの音楽的な多彩さは、前作の「フランス組曲」や「イギリス組曲」にはなかったものでした。

貴婦人たちの宮廷舞曲の優雅さを表現した音楽としては、「フランス組曲」が素晴らしい。

王侯たちの宮廷舞曲の荘厳さを表現した音楽としては、「イギリス組曲」が素晴らしい。

でも聴けば聴くほど味わい深いのは、舞曲なのに多声音楽で、多声音楽なのに声楽的ではなく鍵盤を打楽器パーカッションとして打ち付けてゆくパルティータが一番素晴らしい。

バッハのピアノ曲は(ピアノ特有の)

レガートではなく

レガートにすると
リズム性が後退します

(チェンバロ的な)

セミ・スタッカートで弾くべき

音を切ると
リズム性が強調されます


とはバッハのダンス音楽のための言葉なのです。


次回はパルティータ二回目、クラウディオ・アラウとディヌ・リパッティの遺産について。



ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。