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「哀しみ」は半音階で出来ている?

悲しみと哀しみ。

日本語の不思議は、音が同じ言葉でも漢字が違えば、同じような意味を伝える言葉でも、ニュアンスが微妙に異なってくること。

同音異義語というには、異なる幅が狭くて、外国語には訳しようもないものかも。

悲しみは、より刹那的な直接的な「かなしさ」を伝える。
哀しみは、より深くて永続的な「かなしさ」を。
わたしにはそう思えます。

フリッツ・クライスラーというオーストリアのウィーン出身のユダヤ人ヴァイオリニストは、忘れ去られた過去の作曲家のスタイルを用いたヴァイオリン小品を幾つも作曲しました。

プニャーニというバロック音楽家の作品を古い僧院の書家で発見したと作品を発表するも、後に自作でしたと告白したことも。

「愛の悲しみ」Liebesleid は、正真正銘のクライスラーの真作。

1905年に「古いウィーン舞曲集」三曲中の一曲として発表された音楽ですが、古風な三拍子の揺れ動く、イ短調の「悲しみ」と、伸びやかな中間部の長調部分の対比が素晴らしい、ヴァイオリンとピアノのための音楽。ヴァイオリン奏者でこの曲を知らぬ人はいないことでしょう。

クライスラー同様に、二十世紀の無調へと進化し続ける前衛音楽に背を向けて、十九世紀の過去の時代の音楽スタイルでピアノ音楽を作曲し続けた、ロシアのセルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) によってピアノ独奏曲へと編曲されました。

ラフマニノフらしい半音階的な和音の連なりが印象的な名編曲。後半のカデンツァはラフマニノフだけの世界で、クライスラーの小さな歌はウィーンの古いワルツを聴く我々を別世界へと誘うのです。

クライスラーの瀟酒な「愛の悲しみ」は、ラフマニノフの手によって、より深い「愛の哀しみ」へと変容したのだと、わたしは思います。

カタカタでリーベスレイド。リーベはもちろん愛。英語のLOVE。

ドイツ語のLeidは、英語ではSorrow, Grief, Misery, Calamityなどに訳されます。もっと古風で大袈裟なLamentなども含まれるのでしょうか。

この曲を取り上げた素晴らしい漫画作品が、日本に存在します。

のちに映画化もされましたが、わたしはオリジナルの漫画の方が好きです。実際にな鳴る音では、漫画の画面と言葉に込められた想いは完全には再現できないものだろうなとわたしには思えるからです。

ネタバレしたくないので多くは語りませんが、人前でまともにピアノを弾けなくなった天才少年ピアニストが、ある少女の献身を通じて、本当自分らしさを見つけて、そして受け入れて、舞台へと再び復帰するまでを描いた秀作。

「君の膵臓をたべたい」にも似た、ベタな薄幸少女ストーリーかもしれませんが、物語最後の主人公である公生の言葉は心に沁みます。

作者はこの言葉を語りたかったからこの作品を書いたそうです(どんな言葉なのかは作品を読んでみて、または映画を鑑賞して見つけて下さい)。

この物語の転換点に置かれている作品が、クライスラー&ラフマニノフの「愛の哀しみ」。作者の選曲センスの素晴らしさに舌を巻きます。

ヴァイオリニストの少女と二人で舞台に立つはずのところ、とんだ番狂わせで主人公の少年が独りで舞台に立つことに。そしてヴァイオリンと共に演奏するべきはずのクライスラーの曲を、なんと独りで、ヴァイオリニストなしのラフマノニノフ編曲ピアノ独奏版を舞台で演奏するのです。

この曲には少年の母親の思い出が深く詰まっています。いろんな想いを込めて演奏される音楽。

実写映画版は広瀬すずが、薄幸のヴァイオリニストの少女を熱演。

この下の動画の演奏曲はカミーユ・サン=サーンスのロンド・カプリチオーソ。映画の中の二人の共演版。

この演奏(の録音)、わざとハチャメチャに弾いてるんですね、面白い。分かりますか?

ピアノはガンガン叩きすぎ。伴奏はもっと控えめに弾くべき。曲をよく知る聴き手には楽しい演出です。すこしわざとらしく弾きすぎているともいえます。

ミュージックリテラシーの問われる演技は、音楽的な耳を持たない普通の映画ファンには理解不能なので、こうした大袈裟な演技とならざるを得なかったのだとも理解はできますが。

ラフマニノフのピアノ編曲についてですが、ラフマニノフのピアノ音楽の特徴は、13度の音程さえも楽々と掴めたという、作曲家の大きな手を活かした、オクターブや10度の和音が半音階的にズレてゆくスライド奏法が特徴で、この曲にはそうしたラフマニノフのピアノ音楽の魅力がたっぷり詰まっています。

少し専門的な蘊蓄を書けば、こういうことです。

ジャズでは、2-5-1という五度間隔の和声進行が基本ですが、これはクラシックで言うところのII-V-Iという、バッハの好んだセカンダリー・ドミナントの和声進行。

バッハではしばしばiiの短調の和音は長調の和音に替えて、V/V-V-Iという和声進行が好まれました。最後にMaj7で終わるのはジャズらしさ。終結感が薄れてしまいます。
この効果はバッハにもラフマニノフにもないものですね。

ハ長調のポップス式で書くと、D7-G7-Cですが、ポップスでは代用コードというものがよく使われます。

オレンジと褐色の音符は共通音なので、代用和音となりうるのです

これはD7-G7-CのG7のコードを、G7のGBDFという四音の内のニ音が共通する、同じドミナント効果を持つ、VII7の和音をドミナントの和音の代わりに使うのです。BはC♭と読み替えます。

ニ音が共通するので、和声的には有効。でも残りの二音は別の音なので刺激的。VII7の和音はポップス的にはC#7で、和声の流れは旋律的に半音感の

D-C#-C 

と半音階になり、まさに普段我々がジャズやポップスでよく聞くモダンな響き。これがラフマニノフのピアノ音楽の人気の秘密のひとつ。基本的には伝統的な五度進行の和声なのです。

どんなに時代遅れな音楽だったと言われようと、ラフマニノフの音楽の魅力は絶対に半音階的な超ロマンティックな響きなのですから。

半音階進行は、愛の悲しみを「愛の哀しみ」へと変容させて、音楽に翳りを与えているようにわたしには思えます。

冒頭のアクセントのある音符のレ♯・ミ・ファ・ファ♯・ソ・ラと、
主旋律を導く1番上の声部の動き
これがラフマニノフらしさ

バッハがレ・ファ・ドと言う和音で書くところを、ラフマニノフはレ・ド♯・ドの和音を使ったのです。それだけで響きがクラシック的ではなくなるのです。

漫画や映画をより理解するためにも、ラフマニノフのピアノ協奏曲やパガニーニ狂詩曲などがお好きな方には是非とも聴いていただきたい名品です。

世紀のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー (1875-1962)

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。