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長く苦しい時間を、耐え凌がせてくれたもの

この記事は 自己紹介だ
目的は ただ 一つ

僕と言う 人間が
どんな 過去を持つのか
なぜ 痛みに拘るのか

それを 知ってもらうため だ

長く 辛い時間が あった

その時間 何もせず
耐えていたわけでは ない

僕にも 発散できる
手段が あった

今日はそれを 書いてみる

ひとつは 演劇だ

はじめに 関わったのは
小学校の 2年生

学芸会 で ピノキオ
サーカス団の 団長

  私たち一家の 人形芝居は
  お金をもって お客様が 
  見にいらっしゃる 見てくれるんだ

まだ 歌詞を覚えている
ステップを踏んで 歌って 踊った

小学四年生は やまんばの錦
ねぎそべ という 大きめの役をやった

小学六年生は 空気がなくなる日 という
オリジナル脚本
最後の歌を 覚えている

  生きることの 素晴らしさに
  今僕たちは 気がついた
  辛くたって 悲しくたって
  幸せは 必ず 訪れる

  みんなで 手を繋いで
  生きている 喜びと
  友情の輪を 広げ合う
  いつまでも この気持ち 忘れずに

中学に入ってからは 少し 時間が空くが
3年生で 映画を撮った

その時は 役者ではなかったけど
演じる 喜びを感じた

高校に 入ってからは 
第三舞台の 戯曲をやった

鴻上尚史さんの スナフキンの手紙 
そして パレード旅団

高三でやった パレード旅団では
受験で 一度 断ったけれど
この役はお前しかいない と
友人に言われて 演じた

あぁ 今思い返しても
夢のような 時間だった

演劇の 世界は 
僕にとって 自由だった

何の感情も 抑える必要は ない
どんな感情も 全開で表現していい
そして それが 求められる場所だった

楽しかった 心から
声を使って 表現することが

充実感が あった
生きている という実感があった

この世界が あったから
受験を 耐えることができた

この 演劇の経験は
自分の感覚にも 大きく影響した

台詞を言うには 背景を
理解しなければ ならない

また その台詞に 対して
どのように 話すのかは
意図を こめなければならない

さらには 声の大小 抑揚
高低 リズム トーン 間 を
駆使して 伝えていく

話す方 だけでなく
聴く耳も 鍛えられた

どんな 気持ちで話しているのか
どれだけ 本音を話しているのか

発した 言葉だけでなく
その背景を 声から探る 

話す 聴く

この感覚は 演劇が 育ててくれた

実は 演劇の他に 
もう ひとつある

それは 虫歯だ

僕は 身体に気を使っている方だ
けれど 無頓着だった場所がある
それが 歯 だった

僕は 銀歯がとても多く
神経を 抜いてしまっているのも多い

そのほとんどが
受験時代に 作られたものだった

はじめは なんでだか わからなかった
受験が 厳しかったから 
虫歯に そうなったんじゃないか

そのくらい 単純に捉えていた

勉強が 辛くなった時
ガムを 良く噛んでいた
歯磨きも しっかりやらなかった

だから 虫歯になったのだと 思っていた

しかし それだけでは なかった
きっとこれは ある種の復讐だった

虫歯になれば 両親は
当然のように 僕を歯医者に連れて行く

その時 僕は なぜか
嬉しい 気持ちがあった

嬉しいというか 
両親を 思い通りにできる 
たった一つの 事柄だったのだ

だから これについては
抑えることなく 続けてしまった

受験で抑え込まれた ものを
どこに出していいのか わからない

それをぶつけ 解消するという
歪んだ役割が あった

耐え凌いで 何かを成し遂げることは
確かに すばらしいことで

人生のどこかには そういう時間が
あって いいとは 思う

けれど 抱えきれない負荷は
何かの形で 発散される

良かろうが 悪かろうが

当時 何もわからなかったことも
自分にとって 何かしらの意味がある

紐解いていけば 人生に対して
どのような 影響があったのかが わかる

人生に 意味のないことなんて無い
全て 繋がっているんだ

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