見出し画像

「メディアがつくっているもの=記事・番組」じゃない

皆さんも、日常生活の中でテレビを見たり、ネットの記事を見たりしている時間が、毎日いくらかあると思います。
最近は家にテレビがないという人も結構いますが、だからといってメディアに触れることが一切ないという人は稀でしょう。ニュースサイトやニュースアプリを直接見ないという人でも、SNSを通じてニュースを知っているはずです。

これらのニュースがどうやってつくられるのかというのを、元スポーツ記者の経験に基づいて言います。まず最初に、どれをニュースとして取り上げるのかというのが来ます。日々、いろいろな出来事が起きている中で、自分の体をどの現場に持っていくのかということです。そして、取材を終えた後にどの部分を中心に取り上げるのかということも、デスクと呼ばれる上司と相談して決定して、記事を書いていました。これらの話は、以前、この講義でも説明しています。


したがって、ニュースで取り上げていることは、真実とは違っているということです。同じ取材の現場に居合わせていても、それぞれの取材者が大事だと思うことは違っています。そして、それが報道される内容に反映されています。複数の新聞を読み比べると、すぐにわかります。

そして、人々は報じられた内容に影響されています。なぜなら、ほとんどの場合、取り上げられている問題について経験していることが限られているからです。会ったこともない選手、見たことのないチームについては、報じられた内容だけで、頭の中が構成されています。言い換えると、これが偏ってしまうことは避けられません。

今から100年以上前、1922年に書かれたウォルター・リップマンの「世論」という本があります。一部分を紹介しましょう。

「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義しているものを拾い上げる。そしてこうして拾いあげたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。」

※ダイヤモンドオンライン記事 激動の時代は「一貫性のない人」が歓迎されるワケ、名著『世論』を読む を参照しました。

つまり、自分のステレオタイプな価値観で判断しています。どんな専門家でも、取材する人であってもそれは避けられません。

例えば、「あるプロスポーツ選手が重い病気にかかっている子どもを支援する寄附を行っている」というニュースを見たとします。「スポーツ選手なのに、直接スポーツには関係しないことまでやっていて偉いな」と思う人もいるでしょうし、「寄付を行っているのはいいとしても、それをわざわざメディアで知らせるのは売名行為だ」と思う人もいるでしょう。

さらに、このような一人ひとりのものの見方が集まると、そのグループのものの見方、もっと言うと、社会のものの見方ができます。

メディアが本当につくっているものは、「ものの見方」なのです。

メディアはそれだけの影響力がありますし、ものの見方から、価値観や信念、さらには文化をつくっていく力さえ持っています。
日本のスポーツ界の例でも、「スポーツチームが地域貢献活動を行うのは当たり前だ」という価値観は、1993年にJリーグが誕生してから広まって、定着したものです。

日頃、そこまでは意識していないかと思いますが、メディアに触れている限りは、こうした影響からは逃れられないということや、自分がメディアを通じて情報発信している場合は、ものの見方をつくって、広めているということは、頭の片隅に置いておいて損はありません。

よろしければ、サポートをお願いします。新しいことを学んで、ここにまた書くために使わせていただきます。