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スポーツメディアと法律

今回から「スポーツメディアと法律」をテーマに話していきます。

選手を取材して、メディアが報じるという関係において、常にどこまで話すか、どこまで報じるかという緊張関係があり、それが法律の問題になることも珍しくありません。歴史を振り返っても、メディアが訴えられたケースがいくつもあります。

法律では、メディアの側には、「表現の自由」という憲法で保障をされた規定があります。
過去の最高裁判例において、事実の報道の自由については、表現の自由を規定した日本国憲法第21条の保障の下にあるとされています。
また、法人である報道機関にも人権は保障され、表現の自由が認められています。

他方、憲法第13条にあるプライバシー権というもので、個人のプライバシーは守られています。ただし、有名人の場合はプライバシー権が及ぶ範囲が一般的な場合と異なるとの考え方もあります。なぜなら、一部のプライベートな情報(例えば、年齢、趣味趣向など)は、本人にとって周知、人気の上昇、保特に役立つ事柄だと考えられるからです。

ここで一旦、法律を離れて、報道の歴史を振り返ってみます。
スポーツの報道は元々、プレーだけ、競技面だけを報じられることが長く続いてきました。アメリカでは19世紀後半から新聞産業が盛んになりました。古いアメリカの新聞に描かれている遠征の様子では、選手と報道陣の距離も近く、中には友人関係と言えるくらい関係もあったことが分かります。そういう距離感では、記者も選手のプライバシーについて報じようとは思わないはずです。

しかし、1950年代にテレビ普及することで、その状況は大きく変わります。テレビの登場で変化したことは、この講座でも一度話したことがあります。

テレビを見ることで、結果やプレーはすでに知られている。そのため、新聞や雑誌においては、別の角度から報じることが求められるようになったのです。そうなると、今まではプレーの描写の差異で済んでいたものが、報じる内容がそもそも違い、競争が激化します。それによって、自分たちの新聞や雑誌が売れるかどうかが決まるからです。

スクープを取りたいという意識が強くなったり、そこまで行かなくても、より多くの人を引き付けるネタを求めることになります。その結果、競技以外の部分、その人の人間性や私生活を報じることが増えていきました。

そうした私生活の部分をどこまで報じていいのかという線引きは、もちろんマスメディアの編集の中で判断した上で、出しています。しかし、選手の側が、それが行き過ぎていると感じた場合、許しがたいところまで来ているとなった場合、名誉棄損など訴訟になるケースがあります。

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