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まな板の鯉


”ああなりたい” とか、”こうなりたい” とか、そういう理想って誰しもあったりするけど、別に無くても上手くいくんじゃないか。いや、むしろ無い方が上手くいくことさえあるんじゃないか。そんな思い出がありました。


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部員十数人の小さなサッカー部にいた、才能ある中学生。上手で、スピートもあって、精神的にも強い。チームのエースになりうる存在です。

当然、攻撃的なポジションを試すのですが、どうも才能が存分に発揮されていないような気がする。何か物足りない。もっと凄いプレーができそうなんだけど。それで、どうしたものかと頭を悩ませていたら、

「コーチ、僕は試合に出られればどのポジションでもいいです。コーチにお任せします」

そういうことを言われたのは初めてでした。大抵中学生ぐらいになれば、自分の希望ポジションがあるし、それは結構”かたくな”だったりします。まして上手な選手なら尚更。フォワードがいい、ディフェンスは嫌、そういうことはよくあります。でも彼は、”試合に出られれば、どこでもいい” と。


それで試行錯誤した結果、左サイドバックというポジションが彼を輝かせました。攻撃的ポジションでは空回りしていた気の強さが内に秘められ、展開を読む力や、的確な判断力が存分に生かされるように。

また、彼は左利きだったので、プロでも人材難と言われる”左利きの左サイドバック”。そうして試合で活躍を続けていたら、あれよあれよという間に、県の選抜チームに選ばれてしまいました。


彼は最初に会った時からある程度上手でした。でもそれはおそらく、どこの中学校にも何人かいるような、大勢いる上手な選手の一人でした。それまで選抜チームとか、そう言ったものに選ばれたことはなかったのです。

ただ、彼は軽やかでした。いつでも、どこでも、何をしていても、楽しそうに。サッカーができればそれで幸せ、そんな雰囲気がいつもありました。


そういえば。学生の頃、中盤のポジション、ミッドフィルダーにこだわっていた自分。そしたらある時 ”人がいないから、センターバックやってくれない”、そう頼まれてしまいました。それで仕方なくやってみたら、意外にも活躍!初めてコーチから褒められる、そんなことがありました。

才能というのは、時に自分ではわかりづらかったりするものですね。まな板の鯉のつもりで軽く考えていた方が、結局いるべき場所に、上手く収まっていくのかもしれない。前回の”軽い人”を書きながら、そんな思い出がよみがえりました。



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