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真夜中喫茶店

  ちりん、ちりん。

  ドアベル代わりに取り付けられた小さな風鈴が、客の来店を知らせる。
  カウンター越しに客の姿は見えず、ドアだけがやがてぱたりと閉まる。私は椅子から腰を上げると、ようやく客と対面した。
「いらっしゃい」
  本日初めてのお客は大人用のワイシャツに身を包んだ、手ぶらの少年だった。見た所中学生くらいだろうか。いや、小学生かもしれない。

「好きな所に座って、どうぞ」
  お客は少し戸惑ったようだった。無理もない。こんな深夜に中学生が一人でふらついていたら、大抵の大人は心配するものだ。まあ、私は別になんとも思わない。これがこんな酔狂な商売の醍醐味ともいえる。

  私がそれだけしか言わないものだから、少年はやがてすごすごとカウンター席の隅に座った。私は水とナプキン、おしぼりを彼に渡す。少年は渡された水に飛びつくように、あっという間にコップ一杯、飲み干してしまったのだった。
「喉が乾いてましたか?」
  そう言いながら次の一杯を注いでいくと、少年は口を開く。
「あの、俺、金なくて……」
  なるほど、少年の挙動がおどおどして見えた理由を得心した。
「別にいいですよ。コーヒー飲めますか?」
  どうやら少年は一般的な経済倫理を理解しているようだった。金を欲しがらない商売なんて在り得るのかと、訝しげにこちらを見やった。

  結局少年は何も言わなかったので、私はオニオンスープを一杯カップに汲むと、少年の前に置いた。流石に水のようには飛び付けないようで、しばらくまごまごした後、ようやくスープを啜り始めたのだった。

  ちりん、ちりん。

 深夜の住宅街の静寂に、静かな風鈴の音が響く。
「いらっしゃい」
  ドアの前に立っていた男は、黄土色のトレンチコートに身を包んだ、白髪の交じる壮年の男だった。黒い革の手袋を身に付けて、それが彼のアイディンティティなのだろうと私は思った。
「すみません。スナックか何かかと、ここは?」
  男は当たり前の質問を投げ掛ける。こんな住宅街の片隅にこんな店があるとは、確かに誰も思うまい。

「ここは喫茶店です。申し訳ないですが酒は置いてません」
  そう言うと少し落胆したような素振りを見せたが、男はやがて正面のカウンター席へ腰を下ろした。
「そうですか。ここは通勤路なんですが、初めて知りました」
「趣味でやっているものですから、不定期なんです」
  男はおしぼりで手を拭きながら店内を見回すと、カウンターの隅で気配を消していた少年に気が付き、それから腕時計を確認した。
  ホットコーヒーを男の前へ置き、伝票を静かに並べると、私の仕事はほとんど終わった。
「あの、マスター」
「ああ、私はマスターじゃないんです。ただのアルバイトですよ」
 そうなんですか、と一瞬興味を惹かれたようだったが、男は気を取り直し続ける。
「あちらは、ご家族ですか?」
「いえ、お客様です」
「お客、ですか」
  男は更に何か聞きたそうだったが、私はそれ以上は答えないことにした。既にピカピカに磨かれたグラスを手に取ると、意味もなく布巾で磨く作業を始めた。

  二人のお客は互いが気になって、どうも落ち着かないらしい。二人はどこか気まずい親子のようにも映った。
「君」
  そう口火を切ったのは、壮年の男だった。それからいくつかの言葉を飲み込んだ後、続ける。
「親御さんは?一人でここに?」
  少年はしばらく思案したのち、返答する。
「一人です。家出してんです」
  私はこの少年を聡明だと思った。この後の展開が見えているのか、まるで先手を打つように真実を告げたようだった。案の定、男の方がどぎまぎしてしまい、困っている。

  私はそれから二人に自己紹介を促した。二人はしばし逡巡したが、結局は互いに自己紹介を始めた。それはこの店の、ある種の魔力のようなものなのかもしれなかった。

  少年は浜家という名で、中学1年生、現在家出中。
  壮年の男は岸という名で、元警察官、現在就活中。

  それから私は一切の会話に干渉せず、会話を聞くことだけに集中した。それがここの本当の主人の願いでもあった。
  しばらくは浜家を心配する岸との帰る帰らないの押し問答があったのち、現職でもない自分が出張る訳にもいかないと納得し、彼は引き下がった。
「どうして家出したの。そっちの方なら話せるかい」
  私は直感的に、岸からある種のプライドの高さを見て取った。年齢相応の振る舞いを心がけ、私の目を気にする様子も伺える。元警察官であることをわざわざプロフィールに加えるあたり、自身の現状についての自信の無さが表れているようだ。

「普通に、親と折り合い悪いだけっすよ。岸さんは家族、子供居ますか?」
  私は直感的に、浜家からある種の諦観を感じていた。大人に対する諦め、信頼の無さが滲んでいる。その上で、そんな自分を好きになれない。素直に育った人間への羨望、そんなイメージが湧いてくるのだった。
「息子が居るよ。君と歳も近い」
「じゃ同級生かもしんないっすね。岸…… 名前は?」
  浜家の言葉には、どこか露悪的であけすけな態度が見て取れた。まるで警察の取り調べのように、岸のウィークポイントを探っている。

「まあ、僕のことはいい。それより親と何があったのか、もう少し聞けないかな」
「いいすけど、気まずくなりますよ。母親が万引きで捕まったんです。それで俺が怒ったら、逆ギレされて、マジで終わってますよ」
  それはまた。これで浜家の諦観の何たるかが少しだけ分かった気がした。私は忘れないよう、頭の中のプロファイルを開き脳裏でペンを走らせる。
「万引きか。お父さんはなんて?」
「親父は死にました。俺が生まれてすぐに」
「…… そうか」

  確かに浜家の言う通り、親の話は気まずくなるような要素しかないらしかった。彼の言った通りに事が運ぶのを容認出来なかったのか、岸は努めて明るい調子で続ける。
「俺もなぁ、人のことをとやかく言える立場じゃないしな。けど、大変だったな」
「おじさんは、どうして警察辞めたんすか」
  元来この店には、似た類の人間ばかりが寄り付いていく。浜家の質問には、その何たるかが要約されているような気がした。

  見かけで判断した人間性によれば、岸は会話の主導権を握られるのを嫌うだろう。さて、どうなのかは知れないが、彼はなるべく同じ調子で続ける。
「僕はね、まあ色々あったけれど、要は警官が嫌いになっちゃったんだな」
「どうして嫌いに?」
「ん…… まあ、警察は世界は点数稼ぎが目的のサラリーマンばかりでね。足の引っ張り合いも多くて、重箱の隅を突こうと互いを監視し合ってる。そういうのに疲れたんだ」
「そうなんすか」

  私は一切、彼らに干渉はしない。どんな沈黙が流れようとも。
「そういうのに疲れたってことは、おじさんは多分いい人なんじゃないですか。大丈夫っすよ」
  いかにも中学生らしい素直な言葉に、私は好感を抱く。
「そうかなぁ。そうだと良いな」
  言葉を切って、岸は続ける。
「君も万引きに怒れる倫理を持っているのは、正しい事だ。誇りに思って良いよ」
  そう言い合うと、二人は照れくさそうに笑った。
「なんか不思議だなぁ。深夜に知らない子供と励まし合ってるなんて」
「いや、マジそうすよ。結構落ち込んでたんですけど、ありがとうございます」

  二人はそれから、互いの趣味の話や人生の話など、様々な話で盛り上がった。その間に新しい客は一人も訪れず、深夜ということもあり、それを二人は疑問には思わなかったようだ。

  私は次第に二人の会話に注意を向けなくなった。十分なプロファイルは取れたので、仕事としては完了している。

  二人の入店から1時間が経過した頃、岸と浜家は席を立った。
「2人分、まとめて会計をお願いします」
  それは岸の声だった。私は二人の前で久しぶりに口を開く。
「お代は既に頂いていますので、そのままおかえり下さい。ありがとうございました」
  私がそう言うと、二人は顔を見合わせた。どういうことなのかと問い詰められると、私は店主に言われた通りに答える。

「趣味でやっている店なものですから、いいお話が聞ければお代を頂くなという主人の趣向でございます。お二人の話はとても興味深く、充実した時間になりました」
  深夜に開いている喫茶店、その趣向が独特であるのに不思議はない。結局二人は納得して店を後にする。どうやら岸が浜家の友人宅まで送るらしい。
  端から見る分には、二人は本物の親子のように映った。

  さて、皆様は嘘を食べて太る悪魔というものをご存知だろうか。
  この店は悪魔を太らせる為に開いている。来店する客が嘘をつけば、それがお代になる。
  私が集めるのは、嘘の「可能性」の種だ。

  二人の不自然な点をプロファイルから紹介しようと思う。
  浜家は大きな大人用のワイシャツを着ていた。生まれてすぐに亡くなった父親のことを「親父」と呼び、万引きで捕まった母のことを「母親」と呼んでいた。
 岸は警官が嫌いになったと言っていた。しかし元警官であることを始めにわざわざ露呈した。子供の名前を明かせない事情があった。
  これらが私の邪推であれば、私は主人から怒られるが…… まあ、十分だろう。

  静かになった店内で、橙色の柔らかな電球の光が、くらりと揺れる。
  四角い店内が丸くなったように脈動すると、主人からその真偽が告げられる。
  浜家の母が万引きをしたのではなく、彼自身が万引きをした。父親は生きていた。
  岸は現職の警察官だった。所帯は無く独り身だった。

  二人がどうして嘘をついたのか。それは私も主人も興味の外のようだった。


著/がるあん
絵/ヨツベ

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