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深夜の仲

「小浜さぁん、朝の品出し終わったー?」
  客の居ない店内に結城さんの声が響く。もし客が居たらどうするんだと思うくらい、深夜にそぐわない高らかな声だった。
「終わったよ。そんなでかい声じゃなくても聞こえるよ」
  結城さんは独特の笑い方でけたけたと笑い、最後に満足気に「いえい」と締めくくった。意味は私には良く分からなかった。

 雨で客足も遠のく、朝四時のコンビニ。品出しも検品もレジチェックもトイレ掃除も終わり、いよいよ朝のバイトとの交代の時間まで、私達に残された仕事は店番を残すのみとなった。しゃがみっぱなしで固くなった身体をほぐすように、ストレッチをしながらレジの奥へと戻る。昔はこんなことは無かったけれど、最近は急に腰が痛んだりして、全くたまらない。
  レジの中で腰をぐりぐりと回していると、結城さんがこちらを見て笑っていると気が付いた。
「ちょっと、人を見て笑わないでもらえるかな」
「ごめんなさいごめんなさい。なんかだって、年寄りみたいじゃん」
「とっくに年寄り側だよ。悪かったね」
  結城さんと私は同じコンビニの同僚で、私の方が2ヶ月だけ先輩だ。同期と言えばそうなのかもしれないが、コンビニバイトに同期という言葉も、まああんまり適切ではなさそうだ。更に言えば、20歳の女子大生と32歳のフリーターでは、通づる部分も大してない。
「来週、一番くじ来るらしいですよ。しかも2個」
  がっくり来る話題だ。私は手を握り天を仰いで目を閉じる。
「あぁ、お願いします神様。夜までに完売していて下さい。どっちも」
「その願い聞き届けました。受理」
  また結城さんはけたけたと笑う。

  私と結城さんは一周回って同じ蛇年の12歳差だ。12歳も歳が違えば、汎ゆる言葉も意味消失し通じないものだと私は思っていた。けれど結城さんと私は妙に気があった。互いに趣味も違えばライフスタイルも違うし、共通の話題なんてほとんどないはずだけれど、夜のコンビニバイトをやり過ごすのに、全く気苦労をしない間柄だった。
  まあ、気が合うというよりは、結城さんのコミュニケーション能力の高さが私をカバーしていると言った方が正しいのかもしれないけれど。

「小浜さんって面白いですよね。中々です。まあまあ。そこそこ」
「せっかく人を褒めるのに段々評価を下げることはないでしょ…… 優しい嘘を覚えなさい」
「私、正直者を美徳としているので。つまりそこそこは本心ですよ」
「結城さんも面白いよ。少なくともそこそこは」
  雨脚は更に強く、もはや嵐のような様相だ。台風が変化した熱帯低気圧の影響らしいが、こうして屋内から眺める分には、これはこれで夏らしく風情があって悪くない。お客さんも来なくて遊んでいられるし。

「小浜さん、小浜さん、聞いて下さい」
  私達はこうして夜の相棒となって、もうかれこれ半年以上は経つ。半年も一緒に居れば、導入だけである程度、話題の検討が付くようになる。結城さんは言葉の抑揚が強い方だから、尚更分かりやすい。予想しよう。これは多分、彼氏の文句だ。今日のバイト代を賭けても良い。
「私、別れました彼氏と」

 …… 今日のバイト代はどこに振り込めばいいのかな。
「あらら、意外だね。なんだかんだ馬が合う二人なんだと思ってたけど」
「馬は合いませんよ。喧嘩ばっかりだったし、知ってるでしょ?」
  思ったよりもセンシティブな話題に少し動揺したのか、私はなんとなくタバコのストッカーを確認し始める。言うまでもないが、大して必要の無い作業だ。
  結城さんには6歳年上の彼氏が居た。名前は池尻さん。職業はパイロット。ナイトクラブで知り合って、一年前から付き合い始めた。顔立ちは鼻が高く面長で、あまり日本人らしくない。曰くアメリカ人とのハーフで、国籍を2つ持っているとのことだ。
  私はこの池尻さんを一度見たことがある。

  深夜バイトをする彼女が心配だったのか、店に押しかけたのだ。背が高く紳士なハンサムだったけれど、どこか緊張感があり張り詰めている感じがした。私は良い彼氏じゃないと結城さんに話したけれど、結城さんは店まで来た彼氏のことを良く思っていないのか、当時の反応は悪かった。
  その後、案の定喧嘩をしたらしく、以来店に彼は訪れなかった。どうやら彼氏は結婚を真剣に考えていたらしく、まだ大学生の結城さんとはその点でよくすれ違ったらしい。
  つまり、僕と結婚するから深夜バイトは必要ない、ということだ。怠惰な私のような人間ならば飛びつきそうな話だけれど、どうやら結城さんは違うらしい。

  とまあ、その元彼氏も驚くくらいには、私は彼の話を結城さんから聞いている。
「私には良くわからないな。めっちゃ良い条件なんじゃないの?」
「条件とかそういうの、年寄りっぽいですよ」
  また失礼なことを。
「どうしてもここを辞めてほしかったみたいです。私は嫌だったんで、別れちゃいました」
「どうしても続けなきゃいけない程良い店だとは思えないけどね」
  そう言うと、結城さんは腕を組み少し唸った。
「そう言われればそうですかね……?」
「今からでも遅くない。羽田へ行きなさい。向こうで結婚式でも上げちゃえば」
「あ~それ良いですね。ドラマみたいじゃないですか」
  とは言うものの、まるで他人事のようにけたけたと笑う結城さん。
  池尻さんには悪いけれど、私は少しだけ、嬉しい気がした。パイロットの彼氏と深夜バイトなんて比べるべくもないけれど、天秤に掛けてこっちが重くなることがあるんだと。
  私も単純に結城さんとの深夜の時間は楽しみだけれど、結城さんも同じ気持ちだったのかもと思えば、悪い気はしない。
「ちなみに聞くけど、どうしてここを辞めたくなかったの?」
  また少し考え込む結城さん。
「そうですねぇ。だってなんか、ムカつきませんか?深夜バイト”なんて”とか言われるの」
「まあ、分からなくもないけどね。生物として可能であれば夜は寝るべきだし」
「そういう意味じゃないですよ。比べられるのがムカついたって言ってんです」
「なるほどね」
  確認するタバコもとうとう無くなってしまい、私は諦めて腰を上げた。立ち上がる瞬間、背中が一瞬だけぴくりと痛んだ。全く、寄る年が恐ろしい。
「じゃあ反発心のためだけにここを辞めなかったんだ。いやぁ、嬉しいね」
「もちろん小浜さんとのバイトが楽しいから辞めたくなかったんですよ」
  言葉尻を上げて、甘えたような抑揚だ。これは間違いなく、こちらをからかっている。
「楽しい楽しい。私も結城さんと働けるなら就職も結婚も諦めるし、腕の一本なら諦められる」
「重い重い重い無理無理」

  もしかしたら、結城さんは本当に私とのバイトが惜しくて彼氏と別れたのかもしれない。
  私も同じ立場だったら、もしかしたら結城さんと同じ選択をするのかもしれない。
  けれど私達はバイトの同僚で、たまにオフでご飯に行ったりはするけれど、それ以上の関係ではない。結城さんの彼氏には詳しいけれど、彼女自身のことはあまり詳しくない。私は自分の話をあまりしないので、逆はもっと知らないだろう。

  こんな関係をなんと呼ぶのだろう。

  すぐに友達、という言葉が浮かんで、私は首を捻った。友達という言葉は、私達にはどうにもしっくり来ないような気がする。
「多分気が合わなかったんじゃない。やっぱり」
「あの、さっきと言ってることが真逆ですけど。適当に喋ってますね」
  上の空で会話をしているのをすぐに見抜かれる。
  こんな関係をなんと呼ぶのだろう。
  その言葉は繰り返し反芻される。
「いいや、話を聞いてて、考えを改めた。非を認められる大人なので」
「それはそれはいい大人ですね。早く就職出来るといいですね」
「私は結城さんと働くために、絶対に就職しないよ」
「いい大人の言い訳にされるのはまっぴらですね。却下」

  こうして話をしていたら、時刻はもう5時を回っていた。雨脚は弱まり、お客さんもちらほらと増え始めた。作業着のお客さんが来られると、今日も一日が始まるのかと感じ入る。
  こうして仕事をする同僚に戻っていき、6時を周り朝のシフトと交代すると、私達は互いの生活へ戻っていく。何となく、私と結城さんの関係は、やっぱり友達には当たらないような気がした。
  カウンターにコーヒーと新聞、鮭のおにぎりが置かれる。レジ袋は不要とのことで、会計を済ませるとそれらを両手に抱えて去っていくおじさんを見送る。

  私は結城さんと友達になりたいか、という問いには、なりたいと応えるのかもしれない。ただし私達が友達としてうまくやっていけるかどうかという自信については、はっきり言ってまるでない。
  趣味も違えば歳も違う、共通する話題はコンビニに関係することだけ。どうも気まずいような気がしてならない。

  32歳にもなって、20歳の女子大生と仲良くなれるか悩んでいるなんて、どうもみっともない。きっと結城さんはこんなこと考えないに違いない。私は良く分からないこの命題について、思考を打ち切ることに決めた。
  私達は夜の暇な時間を共にやり過ごす仲間だ。それだけで良いじゃないか。
  なんだか言い訳めいた物言いに、自分の人生を振り返るきっかけを得そうになってすぐ捨てた。

  ロッカーに脱いだ制服を押し込んで、私は何も着信していない携帯を手に取った。
  肩にトートバックを掛けながら、バックヤードの出口へ向かう。つかもうとしたドアノブがひとりでに廻ったので、危うく私は結城さんとぶつかりそうになってしまった。
「ちょっと!早いですよ。少し待って下さい」
「あぶな…… なんで?」
  結城さんは返事をせずにいそいそと帰り支度を整えると、すぐにこちらへ戻って来る。
「元彼に押し付けられたんです。映画、見に行きましょうよ?」
  私はふと、違う、と思った。

  こんな関係をなんと呼ぶのだろうか。
  友達に足らないから、ではない。

  友達と呼ぶには勿体無い気がしたから、それを考えたのだ。


著/がるあん
絵/ヨツベ

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