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夕越しの切符

20年といえば、長く続いた方だろうか。
  国道沿いのローソンが潰れると聞いて、こうして何となく足を運んでみても、その様相はまるで時が止まったように変わらず、凡庸に映った。
  地元を離れて久しい僕が、今更こうして郷愁に縋ろうとするのも、なんだか厭らしいか。
  駐車場の朱色の車両侵入禁止のU字ポールに腰を掛けて、煙草に火を付ける。今はもう駐車場で煙草を吸うのはマナーに抵触するかもしれないけれど、この一本だけすみません、とひとりごつ。吐かれた煙は秋晴れの薄い青の奥の方へ溶け込んで、すぐに消えた。高く綺麗な空の向こう側に消えたそれを見やると、U字ポールに縛り付けられまんじりと動かない自分が少し惨めな感じさえした。

  国道沿いにローソンが新規開店したのは、僕が小学四年生の頃のことだ。
  どこへ行くにも車が必要だった僕らの街で、子供が自転車を漕いで行ける距離に新しい店舗が開くという話題は、僕らの小学校でも話題を一世風靡した。しかしコンビニはどこまで行ってもコンビニでしかなく、駄菓子屋に比べ子供が手を出せる商品も少なく、結局はすぐに子供達の足は遠のいていった。
  僕らと竹地は子供達がコンビニから去った後も、足繁くローソンへ通った。それは買い物が目的というよりは、コンビニそのものに対して魅力を感じていたからなのだろう。
  入店した瞬間にまるで別のどこかへ瞬間移動したかのような錯覚に囚われる。白い蛍光灯の光や塩化ビニルの磨かれた床が、どこか場違いな僕らを暖かく迎え入れる。店内放送は専用の有線で、ローソンの新メニューについてプロのナレーターが声を当てている。見たこともない雑誌が店の奥まで立ち並び、ショーケースのようなガラス扉に並んだ飲料類は、どこか未来的で心が踊る。レジの奥に均整に並べられた煙草の列は、見ているだけで少し大人になったような錯覚を覚える。

  今だから思うことかもしれないけれど、田舎のコンビニには在る種の魔力があった。鈍く燻ったセピア色の街から抜け出して、そこには画一化されたミニチュアの都市が出来上がる。
  都会への慕情、この商品はきっと大都会のローソンと同じものが売っているんだという満足感。特に小学生だった僕にとって、そういう愉悦がたまらなく心地が良かった。それは多分、竹地も同じだったのだと思う。二人で買ったビックリマンチョコのシールは大したものが出なかったけれど、それでもこのU字ポールに座って食べるウエハースチョコは、そういう特別な味がしたように思う。

  僕と竹地は別段小学生として特筆する点のない子供だった。それでもどうしてか、クラスの大きなグループには馴染めず、僕らは浮いていた。二人共運動が嫌いだったのが原因だったのかもしれない。サッカーやドッジボールなどの輪から逃れるように、僕らは放課後に二人だけで集まって、家の中で出来る遊びに興じたのだった。

  それまで、僕と竹地にとって外に出る機会のほとんどは、駄菓子屋しか無かった。だから僕らにとってローソンの開店は青天の霹靂だったのかもしれない。夕暮れに白く輝く平屋のコンビニと、その光に寄り集まる僕ら。二人で何をしたのかはもう殆ど覚えていないけれど、その夕景だけは今も脳裏に張り付いて、いつだって鮮明に想起出来た。竹地の顔も、もうはっきりとは思い出せないのだけれど、郷愁に紐付く彼の顔はいつも鮮明だった。

  中学に入っても、僕と竹地は二人だけで遊ぶ機会が多かった。このコンビニも通学路になり、帰りには禁止されている買い食いをしてU字ポールの前で腰を降ろした。僕と竹地が仲が良かった理由は、やはり、その精神性に共通する部分が多かったからだと思う。
  中学の剣呑とした学校社会は、小学生以上に互いに馴染めず、僕らはクラスも離れてしまったこともあり、放課後以外の時間は一人で過ごしてばかりだった。はっきり言えば学校が楽しくなくて、正直たまらなかった。わかりやすいいじめには合わなかったけれど、どこかで自分が馬鹿にされているような感じがして、いつも両腕に頭を埋めていた。目を閉じ耳をふさいで、なんとか毎日をやり過ごしていた。どうして馴染もうとしないのか、どうして楽しもうとしないのか、今ならそんな自問自答も生まれるけれど、それでも当時の私はきっと、必死だったのだと思う。穏便で平穏な学校生活を送るために、木陰に隠れる小動物のように、いつも大型の獣の群れが去るのを震えて待っていた。それはただ待つだけだったとしても、命懸けの生存戦略には違いない。
「俺達ってしょうもないよな」
  ある日のローソンの駐車場で、竹地がそんなことを呟いた。
  なにがどうしてしょうもないのか、それは今でも判然としないけれど、しかし今でも変わらず同意は出来る。確かにそうだ。僕らはしょうもなかった。だから当時の僕も多分、同意したのだと思う。
「なんかうまくいかないよな」
  それも同意出来る。僕らはいつも、なんかうまくいかない。学校社会に溶け込めない。溶け込む意思も無い。家の外で僕を赦してくれるのは、竹地と、夕方のコンビニの白い光だけ。
「まあ、しゃあないか」
  結局何をどれだけ話しても、僕と竹地は最終的にはすべてを納得する。納得していなくても、受け入れる。明日の自分にエールを送り、互いの明日を励まし合い、コンビニの角で別れる。もはやそれは、僕と竹地のルーティンのようなものだった。自分をなんとか維持するために、互助出来る唯一の関係だった。もし中学時代に竹地が側に居なかったらと思うと、心底ゾっとする。多分、どこかで立ち行かなくなっていたと思う。まるでそれは兄弟よりも深くて、両親よりも優しい関係だった気がする。少なくとも、あの時だけは。

  コンビニの駐車場にたむろするだけなのが忍びなくて、僕と竹地は何か飲み物を買って帰る。僕はパックの豆乳、竹地はリプトンのレモンティー。これは変わらない、僕らの不文律だった。
  それは夕方と夜を跨ぐための切符のようなものだった。僕らは二人で小さなU字ポールに腰を下ろして、とにかく凄然とした気持ちを押し殺した。

  僕と竹地の長い互助関係に亀裂が生じたのは、中学二年生の後期、秋頃の事だった。
  原因は今でもはっきりと思い出せる。竹地がとうとういじめに逢い始めたのだ。
  この頃の事を思い返せば、悔恨の思いと共に心に打ちつけられた楔が、今でもずきりと胸を突き刺す。こういう言い方が正しいのかは知れないが、いじめに遭っているヤツは、とにかく忙しくなる。僕も高校生の頃に、短期間ではあるがいじめを受けた経験があるので分かるけれど、奴らは僕らの時間をとにかく奪いに来る。まるでどこかに指南書でもあるのだろうか。その方法、手法は一辺倒だ。竹地が当時受けていたいじめに比べれば、僕が受けたものなどよほど軽いものだったけれど。
  竹地は上級生のやんちゃなグループにどうしてか目を付けられてしまい、いわゆるパシリのような事をさせられていた。僕と過ごす時間は如実に減り、それから放課後のほとんどの時間を、僕はこの場所で一人で過ごした。来るかもしれない友人をまんじりと待ち続けた。

  当時の僕は知っていたのだ。彼がいじめに遭っていると。まあ、心の楔の正体は、この時竹地に何もしてやれなかったという悔恨だ。今でも当時の僕に何かが出来たとは思えないけれど、何かをしようとしたかどうか、という点では双方に明らかな違いがある。僕は正直、竹地を助けようともしなかった。出来なかった。僕は僕で、彼の二の舞いにならないようにと、剣呑な学校社会を渡り歩くことに必死だった。どうしてこんなに世の中が残酷なのか、心底から世界を憎んだ。
  日暮れ時のコンビニは、今日も変わらない白い光を放って憚らない。その光は僕をここに居てもいいと優しく包み込むけれど、それでも竹地の居ないコンビニの駐車場は空虚だった。
天を仰ぐと赤から青に滲む空のグラデーションが、悲しいくらいに美しかった。
  そしていつまでも来ない友人を待ち続けるのも辛くなってしまった僕は、あのU字ポールに腰を掛ける頻度も次第に減らしていった。週に3回、週に1回、最終的には一ヶ月に1回か2回程度しか赴かなくなった。
  僕らは中学3年生へ進級したが、あれから竹地は一度もコンビニへ姿を現さなかった。
  勉学にだけは真面目に取り組んでいた成果が出たのか、僕は高校へは推薦入学が決定し、それからはただひたすら時間を持て余した。久しぶりにコンビニでぼうっとしてみると、竹地と二人でグズグズしていたあの日々が、まるで夢のように感ぜられた。

  僕はパックの豆乳を買って、U字ポールへ腰掛ける。目を閉じて、意味もない事を考えてみる。最近はそうしてここにいる間の時間を潰して遊んでいた。
  脳裏には中学二年の頃のまま、あの時の竹地が現れる。推薦入学が決定し、中学生活のほとんどを終えた気分だった僕は、心のままに問いかけてみる。
「結局、僕らの学校生活ってなんだったのかな」
「何って、何?」
「いや、例えば、どうして皆に馴染めなかったんだと思う?」
「あ~…… 普通じゃなかったからじゃない?」
「普通。普通を決定するのって、僕らじゃなくて社会だよね」
「気に食わないって感情は、自分と違うものに感じると思うんだよ。それを定義するのが普通という言葉。そして概念を決めるのは強いやつ」
「じゃあ、僕らは弱いから概念を社会に定義出来なくて、そういう戦いに負けたんだ」
「どうして馴染めなかったのか、という疑問の答えは、弱かったからってことになるね」
「この世はかくも残酷じゃけぇの」
「全く」
  僕は心の中で逡巡する。そしてようやく打ち明ける。
「竹地は、僕のことを怒ってる?」
「いや?むしろ申し訳ないと思ってる」
「どうして?」
「ずっと待ってたでしょ、たまに通った時に、見かけたから」


  目を開け現実へ帰る。
  僕は本当に、自分がおぞましくて醜くて、とうとう耐えられなかった。竹地を助けられなかった記憶は、永劫僕の人生に付きまとって離れないような気がした。僕はもう、今竹地がどこで何をしているのか、全く検討もつかないのだ。トレーディングカードも、ゲームも、ベイブレードも、もう辞めてしまったろうか。
  友人の為に涙も流れない僕は、薄情者だろうか。
  短くなった煙草を携帯灰皿に捨てて、僕はU字ポールから腰を上げる。今回の帰省は3日の予定。明日は家族で遠出をし、夜には東京に戻るから、多分、もうここには来ない。

  竹地はあれから不良グループに居場所を見つけ、彼らとうまくやるようになった。彼は彼の問題を自分で解決したのだ。高校に進学してからも、しばしばここには足を運んだけれど、二人がここで再会する機会は、ついぞ訪れなかった。ローソンが閉店してしまっては、これからもその機会は訪れないような気がした。

  私は腰を上げ歩き始める。今日はまだ日が高い。
  夕暮れを超えるのに、今はもう、切符はいらなかった。

著/がるあん
絵/ヨツベ

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