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Ivan Hašek~サンフレッチェ広島を築き上げたGM・今西和男がチェコ人ストライカーに託した思いに迫る⚽️+チョコっとチェコ語講座⑧
広島市民球場跡地群とその北側に幾棟も聳える公営基町アパートの狭間には、長い間、野放しにされた様なダダっ広い公園が漠然と横たわっていた。本通りからアストラムラインに乗って郊外の広島ビッグアーチまで、サンフレッチェの応援に通う度に、私の目には市民の憩いの場に成れている様には映らない、空き地にも見えるあの一等地に、ワシらのサカスタを作ってくれれば、飛躍的に集客が伸びるじゃろーに、と何度も溜息を吐いたものだ。 コロナ禍をそっくりチェコで暮らした後、思いがけず広島市に戻って来た。する
42Jackie Robinson Day: ワンポイント野球英語④=dodger(ドジャースはニューヨークからやって来た⚾)
1947年4月15日に黒人初のメジャーリーガーとして、ジャッキー・ロビンソンがブルックリンドジャースにデビューした日を記念して、1997年からMLB全球団が彼の背番号42番を永久欠番に指定した。黒人が多く暮らすマンハッタンのハーレム地区にオフィスを構えるビル・クリントン政権下の影響力も相まって、ジャッキー・ロビンソンと42番は、再び大きな陽の目を見ることになった。 2004年4月15日のゲームからは一日限定で全選手、監督、コーチが42番を背負ってベンチ入りすると云う、ファッ
かっとばせ!㊗️入園入学の野球少年に贈りたいワンポイント野球英語③=inside-the-park homerun⚾️走れ、クワン!
サンフランシスコジャイアンツ時代のバリー・ボンズの代名詞と云えば、右翼上空を越えてマッコビー湾に飛沫を上げて飛び込む場外ホームラン、いわゆる”スプラッシュヒット”でしたが、このボールパークで2012年に開催されたオールスターゲームに於いて、イチロー選手が放ったランニングホームランを記憶しておられるベースボールバグ【野球の蟲】の方も多いのではないでしょうか。 今週はオイっこ達の入園入学式が重なり、我が家の野球小僧どものバッティングピッチャーやキャッチャーをどっぷり陽が暮れるま
チェコ語で「だぁれ(dárek)」インドネシア語で「オレおれ(oleh oleh)」:ちょこっとチェコ語&インドネシア語講座
某自動車メイカー本拠地の在る日本のへそから、街なかスタジアムを舞台にJ1・サンフレッチェの開幕奪首に湧きかえる広島の街にめでたく戻って来ました。今回のクルマ関連の任務でも、昨春の大きなイベント群でも、周りの同僚通訳陣は名の有る実績組が多く、唯一私だけが名も無き凡人だなぁ、と感じさせられながらも、今回もまた一緒に大きなクジラに吞み込まれるドサクサを楽しんできました。周りから見れば何処の馬の骨か判らない立場って、余計なプレッシャーも少ないからか、案外、気楽なんですな笑。 毎度、
サンフレッチェ広島の栄光に君臨した2人のチェコ人プレーヤー@チョコっとチェコ語講座③;チェルニーとハシェックとハーチェクと。。。
広島ビッグアーチ(現、エディオンスタジアム)と共にサンフレッチェ広島の歴史は紡がれてきた。去る土曜日のG大阪戦は3-0の完勝で見事にエディスタの有終を飾り、その一部始終は森保一、高木琢也ら多くのレジェンドにも見守られ、NHK広島放送局は佳境の大相撲九州場所中継を45分も削って広島県民に向け放映した。 Jリーグ草創期の1994年、早くもサンフレッチェはファーストステージを制覇してみせる。英国紳士、スチュアート・バクスター監督は寒い日にはベンチでアフタヌーンティーを啜りながらも