らいとらいとる

司会・リポーター・パフォーマー・ライター・フォトグラファー、インドネシア語・チェコ語・…

らいとらいとる

司会・リポーター・パフォーマー・ライター・フォトグラファー、インドネシア語・チェコ語・英語の翻訳・通訳etcしています。MLB・欧州サッカー・カープ・サンフレ・ドラフラや帯同したチェコ共和国代表を応援しています。 お問合せは、 spojka69@yahoo.ne.jp まで。

最近の記事

チェコアニメ界のドラえもんは、モグラくん《Krteček》

 《もぐらたたき》のハンマーを嘲笑うかのように、モグラは自然、土にモグる。チェコ語でモグラを《Krtek:クルテク》と呼ぶから、チェコを象徴するそのアニメのメインキャラクターは、そのまんま何のひねりも無く《クルテク=モグラ》と名付けられたはずなのだが、この愛くるしいモグラくんを、まんま《クルテク》と呼ぶチェコ人は、滅多に存在しない。  万が一、そんな輩がゐるとすれば、おそらく他所の土地で生まれ、大きくなってから何らかの事情でチェコに棲む事になった、いわゆるモグリであろう。生

    • スイスへ行きたいか〜⁉︎ハイジ婆ちゃんに逢いたいか〜⁉︎国境横断バスに乗って、ウルトラお高い国の都に、ウルトラお安く旅する方法。

      「うん、行きて〜!行きてぇよ〜!!ハイジ婆ちゃ~〜ん!!!」 チェコに暮らしていた時分、行かなきゃ死ねない外国の街No.1が、スイスの首都ベルンだった。 とは云え、ヨーロッパの中で、物価や所得水準が割かし凡々なチェコからでなくとも、スイスと国境を接するドイツ・オーストリア・イタリア・フランスのリッチな国民にとってさえ、その国境跨ぎは、お財布的に二の足を踏む越境なのではないだろうか?唯一、リヒテンシュタインだけはフランケンシュタインの如く謎であるが。。 スイス自身も、自国がアル

      • “僕たちみんなの峰不二子”論

         《国民的SEXシンボル》を問われれば、昭和生まれの日本男児らしく「あぁ...アレねぇ...」とか白々しく躊躇したフリをしながら、間違っても単刀直入にそんな大それたアルファベット3文字を口走ることなど憚られ、唸る芝居も打ちながら「Hmmm...峰不二子かなぁ...」と小声で答えるしかない。「峰不二子世代っすからね~…」とか視線を泳がせながら、自他を誤魔化す言い訳まで添えなければならない。僕よりオジさん世代も、平成世代でも、峰不二子ならばオバちゃんでもJKでも、その名を挙げられ

        • 広島ドラゴンフライズの下克上に投映された《インビクタス~負けざる者たち》南アフリカの不屈の魂を、みんなの為に体現したセンター・河田チリジの外偉人レコード④

           季節外れの桜に酔いしれたのは2019年の秋だった。ラグビー日本代表・ブレイブブラッサムスの期待通りの番狂わせに、日本中が熱狂した楕円球の転がった先のクライマックスを、記憶している日本人も多いはずだ。  スプリングボックスの愛称で世界中のラグビーファンを虜にした南アフリカ共和国代表が、12年ぶり3度目のW杯を制覇し、同国初の黒人主将シヤ・コリシがカップを力強く掲げたのは11月2日、少し肌寒い横浜の夜だった。黒人達のスピードやパワー、リズミカルなステップに、白人達の精密なキッ

        チェコアニメ界のドラえもんは、モグラくん《Krteček》

        • スイスへ行きたいか〜⁉︎ハイジ婆ちゃんに逢いたいか〜⁉︎国境横断バスに乗って、ウルトラお高い国の都に、ウルトラお安く旅する方法。

        • “僕たちみんなの峰不二子”論

        • 広島ドラゴンフライズの下克上に投映された《インビクタス~負けざる者たち》南アフリカの不屈の魂を、みんなの為に体現したセンター・河田チリジの外偉人レコード④

          優勝力士に贈られる麗しいボヘミアングラスの産地・チェコの温泉郷カルロヴィヴァリへ行こう!相撲界の歴史に纏わる外偉人レコード③

           ボヘミア王・後の神聖ローマ皇帝・カレル四世(1316-1378)は、そこに湧いていた泉を偶発的に発見した、と言い伝えられている。その名を冠してカルロヴィヴァリ《カレルの温泉郷》と名付けられた。それから500年の時を経て、ヨーロッパ中の貴族や芸術家達で湧き返っていたその郷に、ルードヴィヒ・モーゼルと名乗る彫刻家がクリスタルガラスの工房を創業した。  千秋楽結びの一番を終えた五月場所、両国国技館の土俵にもモーゼル社の麗しいボヘミアングラスが届けられた。チェコが世界に誇るアート

          優勝力士に贈られる麗しいボヘミアングラスの産地・チェコの温泉郷カルロヴィヴァリへ行こう!相撲界の歴史に纏わる外偉人レコード③

          チェルヴィニアをオークス馬に導いた鬼才C・ルメール騎手の外偉人レコード②

           春の天皇賞を予想しながら心浮き立っていた頃、フランスからオリビエ・ペリエ騎手の引退を報せるニュースが、我が国の競馬ファンにも舞い込んで来た。春の嵐にもめげず可憐に咲き誇っていた競馬界の重臣が、遂に鞍上を降りるチェリッシュな時が、遂にやって来たのか...ニッポンを愛したレジェンド外偉人ジョッキーにふさわしい葉桜の季節の、儚くも切ない美しい散り際の様にも映った。  ファミリーマートの夜勤で夜な夜な日銭を稼いでいた学生時代から駆け出しの赤貧時代に掛けて、ペリエは僕の救世主だった

          チェルヴィニアをオークス馬に導いた鬼才C・ルメール騎手の外偉人レコード②

          Jリーグ誕生31年目の夜に回顧したサンフレッチェ広島的⚽️外偉人レコード①

          《満員御礼》の紫の千社札が掲げられ、鹿島アントラーズをEピース広島に迎え討った水曜日のナイトマッチ。平日の夜にサンフレッチェのホームゲームが全席完売するのは、1994年以来、実に30年振りの盛況である。  木村和司がラモン・ディアスが、三浦知良がラモス瑠偉が、国立競技場のピッチを躍動し、ヴェルディのFWヘニー・マイヤーの右足鋭く振り抜いた豪快なミドルの弾道は、すかさず宙に舞ったマリノスの守護神・松永成立のセーブ遥か及ばぬ軌跡を描いて、鮮烈にゴールネットを揺らした。Jリーグの

          Jリーグ誕生31年目の夜に回顧したサンフレッチェ広島的⚽️外偉人レコード①

          チェコ語学校へ行こう♪1348年、ボヘミア王・カレル四世が創立したカレル大学傘下のスクールで、あまり引き篭もらずに仕事のベースを築いたコロナ禍生活。

           物価の高〜い欧米でケチケチ生活の日々を過ごした後、日本に戻ると、一瞬、その割安感にホッとするものだが、徐々に危機感を抱くようになってくる。Made in Japanのクオリティは依然、世界最高水準を保ちながらも、国力低下を如実に示す円安が招く海外からの観光客の嵐。一方で、円安の錘が着いて飛び立てなくなった日本人。これでいいのか、我が祖国?それでも円安を是認する日銀・植田総裁のしどろもどろな答弁と隠し事に終始する人間の相は、太陽の沈む国を象徴しているようにも映った。我が国の金

          チェコ語学校へ行こう♪1348年、ボヘミア王・カレル四世が創立したカレル大学傘下のスクールで、あまり引き篭もらずに仕事のベースを築いたコロナ禍生活。

          《九代目・入船亭扇橋も野球を詠んだ》本をメルカリで買った噺(俳句の英訳付)

           好き昔日、噺家の橘ノ圓満さんに落語を教わっていた縁で、浅草演芸ホールの招待券を頂戴した。今更、当の圓満師匠の様に、中年からの落語家人生を志したわけではない。職業柄、司会者の真似事みたいな任務が、或日、急に飛び込んで来る事もまま有って、聴衆との阿吽の呼吸と云うか、噺の間合い、洒落た即興、緊張みなぎる演壇での自身のごまかし方などなど、仕事の幅や余裕を少し広げて、自身の中に、蔵書の様なストックを多少並べておきたかった時季だったのかもしれない。  浅草演芸ホールの開幕から閉幕まで

          《九代目・入船亭扇橋も野球を詠んだ》本をメルカリで買った噺(俳句の英訳付)

          ニューヨークメッツマニアの私がクイーンズで通った市立のCC: 実践仕様の米語は、人種のるつぼで培われた。

          憧れの摩天楼に架かるブルックリンブリッジの夕闇が綺麗にプリントされたポスターを、部屋のど真ん中に貼って、いつの日かニューヨークに暮らす夢を見ながら少年時代を過ごした。いつしか、周囲はカナダやオセアニアにワーホリに旅立つ輩も目立って来た頃、外野の芝生には見向きもせず、頑なに計画通りに、ほぼ定刻通りに、私はJFK国際空港に降り立った。 ブルックリンドジャースと云う伝説のプロ野球チームは、とっくの昔に、其の街から姿を消していたが、そのモダンタイムズな面影を残しつつ、ナショナルリー

          ニューヨークメッツマニアの私がクイーンズで通った市立のCC: 実践仕様の米語は、人種のるつぼで培われた。

          我が愛しのインドネシア語講座: 仕事の基礎は、夜な夜なこの教室で培われた◎

           ヨーロッパのことをエロパと読んだり、ベースボールはビスボル、ソフトボールはソフボルだったりと、ただただ響きの可愛さが、私にとっては漫才レベルで面白かったが故に、インドネシア語とやらを第二外国語に選択してしまった。デヴィ夫人くらいは知っていたけれど、バリ島やジャワ島がそのインドネシア共和国とやらに属することすら知らぬ青二才の春だった。  田舎者が、大都会の下町・三軒茶屋のキャンパスにメトロに揺られて通う日々はクールに楽しかったけれど、履修科目では四年間、インドネシア語以外に

          我が愛しのインドネシア語講座: 仕事の基礎は、夜な夜なこの教室で培われた◎

          Ivan Hašek(現・チェコ共和国代表監督)~サンフレッチェ広島を築き上げたGM・今西和男がチェコ人ストライカーに託した思いに迫る⚽️

          広島市民球場跡地群とその北側に幾棟も聳える公営基町アパートの狭間には、長い間、野放しにされた様なダダっ広い公園が漠然と横たわっていた。本通りからアストラムラインに乗って郊外の広島ビッグアーチまで、サンフレッチェの応援に通う度に、私の目には市民の憩いの場に成れている様には映らない、空き地にも見えるあの一等地に、ワシらのサカスタを作ってくれれば、飛躍的に集客が伸びるじゃろーに、と何度も溜息を吐いたものだ。 コロナ禍をそっくりチェコで暮らした後、思いがけず広島市に戻って来た。する

          Ivan Hašek(現・チェコ共和国代表監督)~サンフレッチェ広島を築き上げたGM・今西和男がチェコ人ストライカーに託した思いに迫る⚽️

          42Jackie Robinson Day: ドジャースはニューヨークからやって来た⚾

          1947年4月15日に黒人初のメジャーリーガーとして、ジャッキー・ロビンソンがブルックリンドジャースにデビューした日を記念して、1997年からMLB全球団が彼の背番号42番を永久欠番に指定した。黒人が多く暮らすマンハッタンのハーレム地区にオフィスを構えるビル・クリントン政権下の影響力も相まって、ジャッキー・ロビンソンと42番は、再び大きな陽の目を見ることになった。 2004年4月15日のゲームからは一日限定で全選手、監督、コーチが42番を背負ってベンチ入りすると云う、ファッ

          42Jackie Robinson Day: ドジャースはニューヨークからやって来た⚾

          広島のブックフェスで買ったドヴォルザークの交響曲全集を聴きながら、チェコに想いを馳せる♪

          広島市民球場跡地で開催されていたブックフェスに三度通って、衣笠祥雄さんの直筆サイン本【野球の夢一途に】とドイツグラモフォンのドヴォルザーク交響曲全集を買ってみました。野球本は日頃から、老舗のアカデミィ書店さんにお世話になっているので、またの機会に譲るとして、ベルリンフィル&チェコの伝説的指揮者、ラファエル・クーベリックのコンビでドイツグラモフォンのドヴォルザーク全集が1200円で叩き売られていたのには仰天でした。誠に有り難う御座いました。 ドヴォルザークの交響曲と云えば九番

          広島のブックフェスで買ったドヴォルザークの交響曲全集を聴きながら、チェコに想いを馳せる♪

          チェコ野球夜明け前

          二刀流侍の渾身のスイーパーが真ん中から外角に鋭く曲がり落ちると、エンジェルスの同僚、米兵M・トラウトのバットは空を斬った。有頂天極まったマウンドからグラブと侍キャップを宙に放り、其の侍は雄叫びを上げた。三たび、ニッポンは米国本土に於いてWBCの栄冠を奪取し、結局、アメリカは、MLB機構と球団と選手個々の思惑が一つに纏まり得ない合衆国のジレンマを、またもや痛感させられた瞬間だった。 ヨーロッパのハートから、その光景に祝杯のビールを挙げたのは、去る3.11に佐々木朗希を先発に擁

          チェコ野球夜明け前