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《九代目・入船亭扇橋も野球を詠んだ》本をメルカリで買った噺(俳句の英訳付)

九代目・入船亭扇橋(1932年5月29日生-2015年7月10日没)


 好き昔日、噺家の橘ノ圓満さんに落語を教わっていた縁で、浅草演芸ホールの招待券を頂戴した。今更、当の圓満師匠の様に、中年からの落語家人生を志したわけではない。職業柄、司会者の真似事みたいな任務が、或日、急に飛び込んで来る事もまま有って、聴衆との阿吽の呼吸と云うか、噺の間合い、洒落た即興、緊張みなぎる演壇での自身のごまかし方などなど、仕事の幅や余裕を少し広げて、自身の中に、蔵書の様なストックを多少並べておきたかった時季だったのかもしれない。

 浅草演芸ホールの開幕から閉幕まで終日居座ると、必然、十人十色の個性に触れることが出来るわけであるが、入船亭扇橋の《まくら》の一瞬に、私はどうやら、男惚れしてしまったようである。既に五体不満足だった扇橋が、身体の芯から搾り出すようにボソボソ噺し始めた途端の絶妙な間と、その束の間に聴く者の笑いを誘う一瞬のアート。屁理屈なき笑撃が私の中に走ったものだ。虚を衝かれた私の笑い袋は堪え切れず、腹の底から下品な笑いが外にドっと噴き出した。あの瞬間に扇橋の笑いと涙の人生そのものが投影されていなければ、あんな可笑しさを其の場に醸し出せやしないはずである。

 地下鉄銀座線・田原町駅のレトロな階段を昇り切り、商店街をくぐって、国際通りを雷門方面に横断し、一本目を右折した左手に地場の喫茶店《アロマ》が、昭和の面影そのままにたたずんでいる。扇橋は、決まって其処で一息つく。出番前にキリマンジャロを、ちょいと一杯啜りたいのである。私も珈琲と云えばキリマンジャロに限る。扇橋は言う「酸っぱいのがいいんだよね、キリマンジャロの酸っぱいのがいいの」。そうなんです師匠!激しく同感です!あの酸っぱいのがいいんですよね〜!酸いも甘いも乗り越えて来た九代目・入船亭扇橋の人生を、象徴した様な珈琲豆ではないか、かわいいぞキリマンジャ郎!

 秋の終わりを告げる様な長雨が、しとしと降りしきる昼さがり、いつもの様に静かにキリマンジャロを啜り終えると、扇橋は傘を差し、浅草六区をとぼとぼ東洋館方面へ降った。演芸ホールに辿り着いたところで、傘を畳んだ扇橋に、やんわり一句詠んでもらった。
 『山茶花の 紅流れけり 雨そそぐ』
扇橋が不自由な身体を引き摺りながら、其の雨の好日、私如きの為に詠んでくれた思い出の一句である。
だから、私なりの英訳で想いを込めたい。
 ”Drizzling rain is brushing n flushing blusher of sasanqua camellia...”
brush ✖︎ blush(頬紅などの紅)✖︎flush
三語ひっ掛けてみたが、まるで英国人扇橋師が英語でpoemを詠んで宣教している様に、ピタリと韻がハマるではないか。

 扇橋は、東京の辺境、青梅の山村で自然に囲まれて育った少年時代より、暇さえあれば俳句を好んで詠んだ。いや、落語家として極めた隆盛期でさえ、俳句を詠みながら噺家渡世を練り歩いた、と言っても過言ではない。俳号は《光石》と云う。
一方で、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの扇橋も、五体満足な時代の扇橋さえも、私は知らない。

 プラハから広島に戻った頃、馴染みの古本屋・アカデミィ書店を覗いてみたが、お目当ての扇橋本は、流石に見つからない。普段は昔のカープ本を漁りに通い、バが付くほどディープなカープ談議に花を咲かせるこの老舗の女店主に、この日ばかりは、古典芸能部門に限って、隅々までPC在庫検索してもらった。が、結局、倉庫にも眠っていなかった。やはり広島では御門違いか、神田の神保町まで足労するしかない、銭は掛かるが、背に腹は代えられん、此の本を読まずして死ねないんだからね。
「やっぱ地方にをったら何かと不便じゃの~」と広島弁で愚痴った私に、店主が「そんなん言わんと《メルカリ》で探してみんさいや」と即座に応酬した。メメメ!メルカリね!我が祖国では、そんな便利なオンライン商店が、四六時中、ぷかぷか宙に浮かんでオープンしていることを、チェコと云う遠きに在りて、すっかり忘れてしまっていたよ。

 寝ても覚めても気になって仕方がなかった本は、噺家・扇橋ではなく、歌人・扇橋(もしくは俳人・光石)の集大成を一冊に纏めた『扇橋歳時記』である。
やややややった!メメメメルカリめで、すぐに見つかった!
あたかも、半ばあきらめて、閑古鳥の鳴く広島市民球場の外野席で、ずるずるキリマンジャロを啜りながら「代打じゃろ」「代走じゃろ」じゃろじゃろ戦況を憂いてお茶を濁していたら、ミスター赤ヘル・山本浩二の逆転サヨナラ満塁ホームランが飛び込んで来た様な、衝撃的な起死回生の爽快感で、酸いも甘いも味わった末の至福を感じたわけである。

 で、そのお宝本の表紙を捲ると、実に達筆な扇橋の直筆サインに落款が押され、夏の一句が詠まれている。
 『避暑の客 らしく上野の 驛にゐる』
《らしい避暑の客=おそらくホームレスの方》ではないか、と想うわけであるが、往来渦巻く上野駅構内の片隅で、暑さを凌ぎうずくまる彼らに、慈しみを寄せた落語家・扇橋らしい一句と、私は推察している。よって、私なりの英訳はこうなった。
"NO STATION NO LIFE in the scorching hot sunmer in Ueno. "


 野球狂の私としては《野球》を詠んだ句が、果たして其処に在るや無しや、まるでニューヨーク郊外のクーパーズタウンまで足を運び《野球の殿堂: The Hall of Fame》を覗くような高揚感でページを捲った。果たしてP311、其の夏の句を見つけてしまったではないか。
 『ナイターや 傍目八目 ばかりゐて』
《傍目八目:(おかめはちもく) 当事者より、取り巻きの野次馬の方が、より正確に現場の状況を把握して、先行きを見通せたりすること》
さながら、旧広島市民球場のスタンドからベンチの名将・古葉竹識監督顔負けの野球狂ぶりで戦況を熟知し、コア過ぎる野次を浴びせ続けた古きカープマニアそのものではないか!此の句の舞台が、1962年〜1972年迄、わずか十年間だけオリオンズの本拠地として荒川区南千住に存在した《光の球場・東京スタジアム》なのか、はたまたジャイアンツの後楽園球場なのか、扇橋の足跡こそ判然としないが、やたらめったら野球にうるさい我が国のベースボールファンの熱狂振りを、涼しく洒落臭く野次った扇橋らしい句と読める。
よって《野球狂・野球の蟲》を表わす俗語《baseball bugs》を用いて訳してみたい。
"It must be a midsummer nightmare here with baseball bugs...fuck...just hit them..."

 以上、三句、扇橋師匠の句に込めた想いを察し、異訳を恐れずに、内に籠った情感を加筆翻訳し、私なりに九代目・入船亭扇橋を追悼してみたつもりであるが、いずれも、落語家らしい素敵な落ちを孕んだ名句であった、と実感している。なにより《上野の驛》の達筆を目の当たりした時、やはり神は細部に宿ったのだ、と、其のひとはねひとはねの洒脱な麗しさに、扇橋の生きざまや、その余韻さえ感じ、知らなかった扇橋を、其処に見つけたではないか。

あとがき、に代えて。
《扇橋歳時記》は小沢昭一さんが発行者になって、1990年11月10日に《新しい芸能研究室》より初版が発行されている。サブタイトルに詠まれている一句『しあわせは 玉葱の芽の うすみどり』は、扇橋自身の幸福感、人生観を映した、実に瑞々しく美しい自賛の一句であろう。僭越ながら、あとがきに代えて英訳し、故人を偲びたい。

"What a beautiful light green of an onion sprout...I love you bebe..."
微かな、しかし確かな成長のステップに、自然や我が子への愛を其処に見つけた扇橋の優しい慈しみの機微を、この一句に可憐に感じとれるのは、さて私だけでせうか?合掌。

 末筆ながら、当時は《二ツ目》だった我が師匠、橘ノ圓満氏は、私が海外に暮らしている間に、順調に《真打》に昇進され、今や当の浅草演芸ホール《夜の部・主任》などを任されるまでの人気噺家さんに成られていた。圓満師匠との台東区谷中に於ける一期一会から、我が人生を彩る斯様なネタも有難く生まれてきたわけである。この場をお借りして、厚く御礼申し上げたい。



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