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咲いているのは、桜だけじゃない。

「今日はこの後、さくら祭りに行くんですかー?」

美容師さんにそう言われ、ハッとした。
ああ、そうか。今日はさくら祭りだったのか。
やたらと人が多かったのは、そのせいか。

「い、いや……
特に行く予定はないですね……」

僕は歯切れ悪く、そう答えた。

さくら祭りは、僕の地元では有名な祭りだ。桜の季節である4月頭の週末に、駅周辺の通りを歩行者天国にして行う。

「そうなんですね!
人混みすごいですもんね!」

そう。
通り沿いいっぱいに咲いている桜が目当てなのかはわからないが、道を埋め尽くすほど多くの人が集まるのだ。普段は片手で数えられるくらいしか人が歩いていないのに。
一年間でいちばん、地元が賑わう日と言っても過言ではない。

そんな盛大なお祭りが今日あることを、まさか知らないはずがない。
美容師さんは確信していただろう。

しかしながら、そのまさかである。
美容師さんに言われるまで、今日がさくら祭りであることをまったく知らなかった。というより、さくら祭りの存在そのものが頭から完全に抜け落ちていた。

駅前にあるこの美容院まで、通勤で毎日通っている道を歩いてきた。ぼーっとしていて、周りなんてロクに見ちゃいない。
耳に刺さったイヤホンから流れる音楽にばかり集中し、いつもと違う周りの様子に対して「今日はやたらと人が多いな」くらいしか思わなかった。

だいたい、今日がさくら祭りだと知る機会は、他にもあったはずだ。
通りや駅にはお知らせのポスターが何日も前から貼ってあったはずだし、僕が住んでいるマンションにしたってそうだろう。

これだけ周りに情報があったのに、視界に入っていなかった理由はただひとつ。
興味がなかったからだ。
興味がなかったから、まるで気がつかなかった。

人間の興味関心は、劇場におけるスポットライトと似ている。
舞台の上にはいろいろなものがあるが、観客の視線はスポットライトで照らされた先のみに集中する。まるでそれ以外のものは、舞台上に存在していないかのように。

今回の僕のケースも、それと同じだ。
興味というスポットライトを当てなければ、それに気がつくことはない。いくら情報が存在していようが、目に写ることはないのだ。

そう考えると、僕らの目に写る世界は、何に興味を向けるか次第で変化すると言える。
思い返してみると、子供の頃の僕の目に写る世界は、確かに違っていた。

小さい頃は、毎年欠かさずさくら祭りに参加していた。
親に連れて行ってもらったり、友達と一緒に行ったり。毎年楽しみにしていた。
桜並木の下にズラッと並んだ屋台も、人がたくさんいて盛り上がっているのも、「いつもと違っている」というだけで、少年だった僕にとっては楽しくて仕方なかった。
決して多くはないお小遣いと、わくわくを持って、屋台に並ぶ。安くもない、質も決して良くない、そんな焼きそばひとつで、僕は嬉しくてたまらなかった。
「祭り」というだけで、すべてが輝いて見えていた。

それがいつからだろう。さくら祭りに行かなくなったのは。
多分、中学生に上がったくらいのタイミングだったんじゃないかな。祭りにはしゃいでいただけの頃と違って、余計なものが目に入るようになったのだと思う。
よくよく考えれば、屋台が並んでいるだけで何かあるわけではない。何か買うにしてもいちいち並ぶ。おまけに割高だし、その辺りのコンビニやスーパーで買ったほうがいい。
人も多くて鬱陶しい。歩くだけで疲れる。道も電車も混む。べつに桜だって、普段から見れる。

そんなことを考えていたら、すっかり祭りというものに冷めてしまった。
いつからか僕の中で、「さくら祭り=つまらないもの」という方程式が成り立ってしまっていた。
そうして行かないのが当たり前になり、とうとう今年は祭りの存在すら忘れてしまったのである。

だけど今ならわかる。
子供の頃は、あんなに楽しめたんだ。さくら祭りがつまらないわけじゃない。
余計なことばかりにスポットライトを当て、楽しめなくなった自分がいただけだ。
そう思えたとき、なんだかすごく、さくら祭りが気になってきた。

「やっぱりこの後、ちょっと祭り見ていこうかなと思います」

宣言するかのように、美容師さんに僕は言った。
髪を切り終えて、通りに向かう。

「すごい人だ……」

桜並木の下は、人で埋め尽くされていた。普段は片手で数えられるくらいしか人が歩いていないのに。

僕はそんな人たちの、ひとりひとりの顔にスポットライトを当ててみた。
わたあめ片手にはしゃぐ子供と、それを追いかけるお父さん。
テントの下で、ウクレレを弾いて歌うおじいさん。
屋台で声を張り上げて、焼そばを売るおばちゃん。
それ以外にも、数えきれないくらいの人たちがこの祭りを楽しんでいる。イヤホンをつけていても、その盛り上がりがわかるくらいに。

「何もない」とか、「人混みが鬱陶しい」とか、どうしてそんな風に思っていたのだろう。
桜に負けないくらい、こんなにもたくさんの笑顔が咲いている。
僕の地元が、これ以上なく盛り上がっている。
それだけで、充分楽しいじゃないか。
このまま帰るなんてもったいない。もう少し、祭りの雰囲気を味わっていこう。

その辺のコンビニで買えば200円のビールを、屋台のおっちゃんにわざわざ300円払って買った。
ビニールコップを片手に、桜の木の下、人混みをいく。
今日くらいはイヤホンも外してしまおう。

普段は聴くことのない喧騒を、BGMにして歩く。
今はこの人混みすら、愛おしい。


※この文章は、天狼院書店のメディアグランプリにも掲載されています。



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