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苦しんでいるあなたは、ひとりじゃない。

「はあ……」

夕方6時。駅のホーム。
深いため息は、電車の音に掻き消された。

今日も、上手くいかなかったなあ。
電車に乗ってからも、そんなことばかり考えていた。

「来月から、一緒に営業に行くのは辞めようと思う」

二ヶ月前の頭に、上司からそう言われた。
入社以来続いていた営業同行は、突然終わりを告げた。

入社してすぐの僕は、RPGでいうレベル1だった。
右も左もわからず、装備品も貧弱。ひとりで客先に行っても何もできない。そんな状態だった。

だけどそれから、上司について回る中で様々なものを身につけた。
契約に結びつけるための武器となるトークや、お客さんから理不尽なことを言われた際の盾となる対応力。
少しずつだけど、装備が充実してきた。倒せるモンスターが増えてきたような、そんな状態だ。
まだまだボスは倒せそうにないけれど、入社当初に比べれば、レベルが上がってきている実感は確かにあった。

そのような最中、社会人生活もあと少しで2年目に突入するかという時期に、かけられた言葉だった。

「いろいろできるようになったと思うし、ひとりで回ってみてくれ」

上司からの言葉を受けて、最初に湧いてきた感情は不安だった。
例えるなら、そう。自転車に付いていた補助輪を初めて外すときのような、感覚。
確かに前よりは上手く漕げるようになった。
だけどそれは、補助輪のおかげなんじゃないか?
外してしまったら、僕は転んでしまうのではないか?
そんな疑問が、頭をよぎる。

だけど同時に、多少なりとも認められた気がして嬉しかったのも事実だ。
それに不安だとしても、挑戦してみなければいつまで経ってもできるようにはならない。
自転車だって、同じだ。
転ぶことを繰り返して少しずつ、前に進めるようになっていく。

「はい。やってみます!」

僕は恐れつつも、前を向いて返事をした。

あれから、どれくらい経っただろうか。
随分前のような気がするけど、まだ二ヶ月か。
時間が長く感じられた理由として思い当たるのは、ひとつしかない。
やったことの何もかもが、上手く進んでいなかったからだ。

「はあ……」

力なく、ため息をつく。
三ヵ月前は、まとめて複数の契約をとることができた。
経験を重ねて、少しは上手く走れるようになったと思っていた。
だけど、やっぱりそれは、補助輪の支えが大きかった。
この二か月間の契約はゼロ。それどころか、上手く進みそうな話すらないのが現状だ。
営業先に行っても、何の成果もなしに帰るというのを繰り返していた。そんなんじゃ、行く意味なんかないよな……
このままでは、自分という存在も掻き消されてしまいそうだ。

「はあ……
だけどこれが、誰もが通ってきた道なんだろ」

弱気な考えに半分は支配されながらも、同時にそう思っているのも事実だった。
だから営業のアプローチ方法についてアドバイスをもらうことはあっても、社内で弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりするようなことはなかった。
今ぶち当たっている壁は、自力で越えなきゃならないものだ。そう信じて、この二ヶ月取り組んできた。
だけど……

「やっぱつらいなあ」

心の中で、ぼやく。
少しずつ、だけど確実に、苦しくなってきていた。酸素が失われていくような感覚がした。
このままじゃダメになる。そんな風に思っていたら、携帯が鳴った。
会社の同期からのLINEだった。

「久しぶり! 来月あたりどっかの土日集まらない?」

僕の同期は4人しかいない。しかもみんな配属がバラバラで、なかなか会う機会がない。
今は東京、名古屋、大阪、福岡の各拠点にひとりずついる。

「いいね! 集まろう!」

普段なかなか集まれない寂しさもあってか、みんなすぐに反応した。日程もすぐに決まった。
僕も行き詰まりを感じていただけあって、同期がどんな風に頑張っているか知りたいと思った。

「楽しみにしてる! その日まで頑張ろう」

それからも転び続ける日は続いた。傷だらけで、約束の日を迎えた。
集合場所である名古屋に、僕は降り立った。

「久しぶり!」

金色の時計の下に、僕らは集まった。
すぐにレンタカーに乗り込み、伊勢神宮までのドライブが始まった。

「みんな、最近仕事どう?」

走り出してすぐ、話は自然とそれぞれの仕事の近況に及んだ。

「いや、聞いてよ。最近上手くいかなくてさー」

同期の一人が苦労話をし始めると、みんなが耳を傾けた。
僕も気づけば、その話に集中していた。

あれ、愚痴や苦労話は、あんまり好きじゃなかったはずなのにな……
なぜかこの日は、聞きたいと思えた。多分他の同期も、同じ気持ちだったと思う。
おそらくそれは、ここにいる全員が同じような苦労をしていたからだ。
僕は同期の話に共感すると共に、次第に気持ちが前向きになっていくのを感じてきた。

ああ、なんだこれ。
ひとりで抱えていた苦しみを、みんなで共有することができた。
それだけで、自分にのしかかっていた苦しみが、すっと軽くなるような気がした。
僕ひとりにのしかかっていた重たい荷物を、みんなが一緒に持ってくれたかのような。そんな感じがした。

子供の頃、お祭りでお神輿を担いだときのことを思い出す。
そうだった。当時は身体も小さかった。ひとりで引っ張ろうとしても、ビクともしない。
こんなに大きなもの、どうやって持ち上げるんだろう。そんな風に思った。

だけどみんなで支えると、不思議と持ち上がる。ひとりひとりの負担も、そんなに大きくない。
「みんな」の力って、すごいな。
子供ながらに、そんなことを思ったのを覚えている。

多分、今の僕らに必要なのはその感覚。
苦しい思いをしながら頑張っているのは、僕だけじゃない。
普段は会えない僕の同期たちも、頑張っている。
散り散りになった学生時代の友人たちも、どこかで歯を食いしばっている。
もっと言えば、僕が知らない人でも、同じように闘っている人はいくらでもいるだろう。

営業に行く時は、ひとり。
みんなでやる仕事に比べて、仲間の存在を実感するのが難しいかもしれない。
だけどいつだってどこかに、同じ気持ちで、同じようにひとりで頑張っている人がたくさんいる。
そう思えるだけで、上手くいかない時も前を向ける気がした。

このタイミングで、同期と会えて良かった。
2日間たっぷり話して、僕は名古屋を後にした。

「2日間ありがとう。また会う日まで頑張ろう!」

東京に帰ってきてすぐに、LINEを送った。
同じ「頑張ろう」でも、集まる前に送った時とはまったく違う気分だった。

「離れていても心は一緒だよ」だなんて、クサいことを言うつもりはない。
だけど大げさに言えば、そんな風に思えたらいいのかもな。
また明日から、転んだとしても走り続けてやる。


※この文章は、天狼院書店のメディアグランプリにも掲載されています。


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