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雑談:日本語のロックについて、そしてロックとアイドルの幸福な出会い

いくつかの書籍などによると、日本語のロックの始まりは、1970年はっぴぃえんどの登場からとされている。僕は、はっぴぃえんどは日本語のロックの祖でもある論に異論はないのだけど、もっと特筆されるべきは、解散後における各メンバー達の、活躍ではないだろうか。その活動が現在のJPOPというジャンルになっていったのではないかと考えている。特に、70年代後半から80年代以降の裏方としての各メンバーの活躍を見るに松田聖子から始まる日本型アイドルジャンルの勃興に対して、曲、作詞、そして陳腐ではないアイドルサウンド構築、現在における楽曲派のアイドルなんて言うようなジャンルが産まれるに至った道をつけた最大の功労者ではないかと考えている。

特に、最近うちでは自分以外の能力の高い作曲家さんが、曲をサポートしてくれている環境にあるので、作詞に比重をおいた創作活動が私自身多いのもあり、勉強の為、松本隆が生み出した、たくさんのアイドルに提供している歌詞を読み込むことが多く、結果、多大な影響を受けてしまっている。

はっぴいえんど

はっぴいえんどでの映画の1シーンのような情景を美しい日本語、言葉で織りなす手法から産まれる歌詞は非常に文学的で、アイドルへの作詞提供においては、そこへ10代、20代の女の子の視点や感情、そして、日本語のロックの祖たる上記の文体がそれを優しく包むことで、ただの歌謡曲ではないステージにアイドルの楽曲が昇華されるに至っている。

話は、日本語のロックの始祖論に戻すが、はっぴぃえんどが、バンドとして日本語のロックの始祖である論については、そうかと納得しつつ、同時期に登場したRCサクセションと、CAROLも後への影響力という意味でそこに加えたい。

編成こそアコースティックであったが、あの時代において、精神性や歌唱スタイル、ブラックミュージックをルーツに持つ音楽性など、逆に恐らく1番ロック的であったRCの忌野清志郎の紡ぎ出す歌詞は、松本隆の文学的な佇まいに比べると、より日常的で、私的で、すごくリアルな身の回りのことを歌っていて、聴くものが必ず同体験する世界がそこにある。

世界にも類似するものがないその独特のバンドサウンドに乗せて、彼のはっきりと聞き取れる発声に乗った日本語の歌詞が耳から侵入し鼓膜を揺らし脳に運ばれた瞬間、自分達が過去体験した、もしくは未来に体験するであろう、歌詞と似たような世界に連れて行かれてしまう。
そのような感覚はそれまでにはなかった日本語でのロック表現の誕生ではないだろうか。

RCサクセション

そして、キャロルの場合はジョニー大倉が基本作詞を担当しているが、洋楽(ロックンロール)への憧憬が好奇心と同じ分量で、無邪気に詩のすべての行間から溢れかえっており、50sを70年代にリバイバルさせたロックンロールサウンドに、英単語を日本単語感覚でちゃんぽんする歌詞を乗っける手法は、語呂がよくノリが良かったら深みもへったくれも関係ないぜ!っていう徹底したその軽ろやかさ軽薄が逆に美しく、後々日本語ロックの定番スタイルとなり、その瞬間こそがロックが日本語でロールする始まりだったと言えるのではないだろうか。

なので、アイドルが簡易にロック的な曲をレパートリーに加える際にはキャロル的スタイルをとることがが多いのも納得していただけるだろう。

CAROL

この3本の始祖グループいずれかの血脈にない、また影響を受けていない現代までの日本のロックグループはいないのではないだろうか。それはとりもなおさず、アイドルのロックからの影響にもつながっているのである。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日はほんまの雑の雑、超雑談でしたね笑

追記:いつか、荒井由美の歌詞世界や、井上陽水、吉田拓郎などのフォーク勢についても日本のロック史の成り立ちには無くてはならない要素として語ってみたいなと思っています。

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