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「13歳からの地政学」ができるまで②2人の息子と地球儀

私には現在、20歳の長男と15歳の次男がいて、いずれも前妻のところで暮らしている。私にとって最愛の息子たちだ。離婚したのは次男が今の娘くらいのかわいい盛りのころで、別れて暮らすようになった時には本当に身が引き裂かれるような思いだった。でも、その時の自分にはそうするしかなかった。

離婚後もいつでも近くに住む息子たちと会うことができ、定期的に旅行をしたりして親子の時間を確保していたが、ほどなくしてロシアのモスクワに転勤することになった。それで4年半にわたって物理的にもなかなか会えなくなってしまった。

だから、モスクワから帰任した5年前からは少なくとも2週間に一度、週末は一緒に長めのランチをとることを決めた。それは仕事がどんなに忙しくなっても続けてきた大事な時間で、たいていどこかのレストランで食事をとった後に散歩して、学校でのことや仕事などいろいろなことを話した。

そして、そうした会話では自分がモスクワ帰りで国際報道にたずさわっているからか、息子から世界のことについて聞かれることがだんだん多くなっていった。「トランプさんってなんで悪口ばかり言ってるの?」「なんで戦争ってなくならないの?」。そんな質問をぶつけられることもあった。

自分の仕事にからむことについて聞いてくれるのはとてもうれしいことだった。仕事のことならそれほど苦労なくしゃべれる。それなりに子供たちの質問に答えていたが、質問の内容がだんだん高度になるにつれ、やや大変だと思うようになった。難しい問題を子どもにもわかる言葉で解説するのは、結構難しいからだ。

だから、子どもたちにとりあえず読ませられる良い本があれば、多少なりとも楽になるのではないかと思った。専門用語など基礎知識も不要で、世界の政治や経済の仕組みについてだいたいのことを教えてくれる本があればありがたい。そんなことを思って、2020年の夏、私は息子たちを近くの書店に連れ出した。

その書店は中規模店で、売り場はそれなりの広さだった。そして国際関係の書棚のコーナーに向かって、長男とともにたくさんの本を手に取ってみた。
でも、ピンとくる本はとうとう見つからずじまいだった。

立派な専門書はあったが当然、専門用語満載で、中学生くらいの知識で理解できるようなものではなかった。だいたいがもともと国際問題に関心がある大学生や大人向けで、息子たちに最後まで読み通してもらえそうにないものがほとんどだった。
本は面白くないと記憶に残らないし、扱っている問題への興味も持ってもらえない。

「ぴったりくる本はないね。残念」。私が長男にこう言って書棚を離れようとすると、ちょっと離れたところで地球儀を触っている次男の姿が目に入った。そこは小中学生向けのコーナーの一角で、大小2つの地球儀が置かれていた。

私が寄っていくと、次男が言った。「地球って案外、海が多いんだね」
「そうそう。地球儀だとよくわかるよな。実は地球はほとんどが海だ。だから海を支配する国が一番強い……」

こんな感じで、地球儀を触りながら話していると、気がついたら20分もたってしまっていた。驚いたことは、地球儀を使うと世界のことを説明するのがとても楽なことだった。

解説書ではなく、何か一気読みできるエンタテイメント性があって、世界の政治や経済の仕組みについて学びになるような本が必要だ。それは息子だけでなく、若い世代、その親たち、そして国際問題に関心があっても何から学んでいいかわからない人のためにもなる。多くの人々にとって興味の入り口になる本を書けないだろうか。地球儀を触りながら、そんな思いに襲われた。
地球儀を使いながら子どもたちに易しい言葉で話す物語という今回の本の大枠は、このようにして決まった。

私はその頃、娘が生まれたことを契機に激務から離れ、子どもたちのために何か書けないかと考えていたところだった。長年、書かないといけないと思っていたテーマもあった。
「いい本、なかったね。もっと大きい本屋ではあるかなあ?」。だから書店を出た際に次男が発したこんな問いに、私は思わずこう答えていた。
「ぴったりくる本はない。だから、お父さんが書くよ」

ただ、息子の前でえらそうに言ってみたものの、本を出せるかについては自信はなかった。
記者として記事はたくさん書いてきたが、本なんて書いたことはなかった。編集者に人脈もまったくない。子供も読める本と新聞記事では求められる文体もかなり違うから、培った文章力が活きるかもわからない。
本をどう書いて、何をすれば出版できるかも全く見当がつかなかった。

自分が本を出すにはとてつもなく高いハードルがあることくらいはわかっていた。
自分には知名度はほとんどなく、ツイッターもやっていなかったのでフォロワーもゼロ。出版不況の中でこんな人間が物書きとして出版社に歓迎されるわけもない。そもそも育児や本業の仕事もあるから、本を書く時間がたっぷり取れるわけでもない。

それでも息子にああ言った手前、引くわけにはいかない。帰宅後、私は当時付けていた日記にこう書きこんだ。「書きたいことがあれば、四の五の言わずに書けばいいんだ。少なくとも子供たちは読者になってくれる。それに書いたものに本当に価値があるのなら、たくさんの人に読んでもらえるようになるはずだ」

ないものづくしの44歳の夏。それでもその時は「これまで文章を書いてきたから、書き始めれば何とかなる」と思っていた。

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