【ドロレス・キャノン】著『死と生のはざまで』より カルマと因果の法則
“カルマ”という言葉は、日本語では「業」(ごう)と訳されますが、いわゆる「スピリチュアル」の話題でも使われたり、聞かれたりする機会があり、「自分自身に課せられた運命のようなもの」「自分自身の人生の課題のようなもの」とイメージしている方もいるかもしれません。
輪廻転生を前提とするインド思想では、前世で背負ってしまったカルマ(業)が今世に影響を与えていると考えられています。当然、今世で生まれてきてからの自分の行動(カルマ)も未来に影響を与えていくと考えられています。ただ、カルマヨガにあるように、インド思想には、良いカルマ・悪いカルマの両方から解放されること、善悪両方から解放されることを目標とし、今ここの行為に集中することで、心が浄化され、今の瞬間に幸せを見出すことを理念としています。
決して、一部の人が「修行」「浄化」という言葉に抱くような(今、これを読んでくださる方の体や心のどこかがザワザワしたり、ある種の緊張を感じるような)ネガティブな感情や状況を引き起こす原因探しやネガティブなカルマの解消に焦点を合わせ続けることを推奨しているわけではありません。
「全てが生きていて、創造者の一部であり、私たち自身、私たち全員が創造者である」というドロレス・キヤノンにとっても、ここで言うカルマは、善悪を超えた広大な宇宙の基本真理であり、すべてそうやって連動していることを語っているのです。
自分の外側にあると思っている世界、社会、他人、家族、知人、現実は、ドロレス・キヤノンはじめ多くの先導者が言葉にしているように、それぞれの人の自分自身の投影、自分が投影している360度のスクリーン、ホログラフィーのようなものであるとしましょう。
その自分の投影のスクリーンに、了承の上で登場し招き入れている、そうして重なり合っている他人とそのホログラフィーとの間に存在している、一見、善いカルマも悪いカルマについても、自分という無力な存在ではどうにもできない運命・宿命・人生の「課題」という外的要因のニュアンスで捉えるのではなく、あくまでも自分が創造している宇宙のエネルギーの動きであると俯瞰して捉えられたら、直線的な時間でいえば、そのカルマはもう過去のこと、解消・手放すことができているのかもしれません。
神の資質をもつ自分とつながり、どんな体験もすべての体験が宝物であると気づいていきたいものです。そこに、そうして、ただ、いるだけでいいんです。
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