孤独リフレクション

大学二年生の頃、僕は実家暮らしにも関わらず、大学帰りに頻繁に外食した。単に家に帰りたくない年頃だったといえばそうなのかもしれない。ただ、一つだけ言えることは、家族が当たり前のように安全地帯として機能している家は、恵まれているということだ。

僕は当時大学から一つ隣の駅にあるインドカレー屋によく一人で行った。間接照明の落ち着いた雰囲気の店だった。大抵いつもホウレン草ベースのカレーを注文し、ナンを二枚食べた。時々キーマカレーを注文することもあったが、ナンはきまって二枚だった。本当はもう少しナンを食べたかったのだが、三枚食べるとお腹が張ってしまうし、そうかといって毎回半分残すのも忍びなかったので、いつも二枚にしていた。

ある五月の日も、僕はそのカレー屋で夕食をとることにした。僕の席はいつも店の隅から二つ目の二人用テーブル席だった。僕は他のレストランでは隅の席を好んでいるし、そのカレー屋はどこでも好きな場所に座っていいのだが、最初に通い始めた頃に偶然その席しか空いていないことが多かったから、なんとなくその席が定位置になってしまった。

ただその日に限っていえば、どちらにせよ店の隅の席には先客がいた。僕と同じくらいの歳の男が一人で壁側のソファー席に座っていた。横顔しか見えなかったが、顎の線がくっきり出ているのがとても魅力的だった。僕が女の子だったら、クラっときたかもしれない。目や鼻筋ならともかく、顎の線についてそんな風に思ったのは初めてだった。それくらい綺麗だった。

白いTシャツに合わせたカジュアルめの黒いテーラードジャケットは、不思議なくらいその細身の身体にぴったりだった。

彼は皮のブックカバーがかかった何かの文庫本を読みながら、時折思い出したように指の先で小さくナンをちぎった。微笑を浮かべながら、ナンをカレーにつけ、何かのカクテルを飲みながら、弱々しくページをめくる。

僕は隣の席に座り、いつものカレーを注文した。そしてキャンバス地のトートバッグから、本を取り出した。最近出版されたミステリー小説だった。書店の名前が大きく入った紙のブックカバーがかかっている。

僕はテーラードジャケットなんて持っていない。自分が着ている少し緩くなったグレーのパーカーがみすぼらしく思えてきた。一人で夕食をとりながら本を読んでいるという状況に、共感めいた感情を抱かないわけではなかったが、僕と彼との間には決定的な差が感じられた。僕には彼が羨ましく感じられた。

僕の独りは孤独だ。でも彼の独りは瀟洒だったし、周囲を取り巻く哀愁は装飾でしかなかった。本当の孤独には瀟洒なものなんて何一つない。本当に孤独な人間は孤独を気取ったりしない。そもそも孤独を気取る余裕なんてないのだ。日々の喜怒哀楽に対して決定的な価値を感じられなくなり、現実に焦点が合わなくなる。突き抜けた快楽や悲しみを求める一方で、徐々に感情を失っていく。ハタチの僕にとって、孤独とはただそれだけの意味しかなく、日常とは絶えず続く百マス計算みたいなものだった。

その晩から、僕はよくそのインドカレー屋で彼と鉢合わせた。席はいつも同じだった。しかし彼に声をかけることも、かけられることも、また目を合わせることもなかった。ただ隣で同じようにナンをちぎり、本を読み、それぞれ一人の時間を過ごしただけだ。

半年くらい経ったある冬の夜、その日も僕らはインドカレー屋にいた。彼がテーブルについていた肘をほんの少し動かしたはずみに、テーブルに置いてあったチェックのハンカチが床に落ちた。僕はそのハンカチを目で追ってから、一瞬気づかなかったふりをしようかと思い、彼の顔に目を移した。彼はそれに気づいていないようだったが、驚いたことに彼はうっすら涙を流していた。

僕はハンカチを拾って、それを口実に「どうかしましたか?」と声をかけようとした。ハンカチを拾い、そして気づいた。そこには鏡があるだけだった。僕の座っている席こそ、一番隅の席だった。

鏡の向こうに映っているのは、涙に濡れた僕の横顔だった。そこにあったはずの瀟洒なオーラは、既に虚像と化していた。

どうして僕はもっと早く〈彼〉に声をかけてあげなかったのだろうかと、独り嘆いた。



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