自分を見失ってしまう前に。「ちいさく休む」のススメ
9月8日は「休養の日」らしい。休(9)養(8)の語呂合わせだ。
そんな本日、「仕事の休み方」について考えてみる。
ちなみに社会人になってから、長期的な休職や離職の経験はない。
奨学金の返済義務、親の扶養、貯金の無さ。
「お金」にまつわる問題が、若かりし頃の私を食い止めてくれた。
しかし、心が壊れそうな瞬間が全く無かった訳ではない。
どうしようもなく腹が立つ。悲しみにくれる。怒りを堪えきれない。
理不尽だ。誰もわかってくれない。
明日、会社に行きたくない。
そんなときには、始業直前に電話を1本。
「体調が悪いので今日は休みます」
年に2~3回ほど使うときもあった。
一応、本当に体調がよろしくはないのだが、広義では「ずる休み」になってしまうのかもしれない。
心の不調が体に出ているときもある。
電話が終わった瞬間、急に晴れやかな気持ちになる。
とりあえず惰眠を貪る。溜まっている録画やYoutubeを見る。好きなものを食べる。
1日の休みを満喫すると、夜には罪悪感を覚え始め、翌日はちゃんと会社に行こうと思い直す。
その繰り返しで、なんとか働き続けてきたようにも思う。
それは「自分ひとりが1日いない程度で滞る仕事がない」という状況のおかげかもしれない。
ただ不測の事態に備え、質問を受けそうなことは共有するよう普段から心掛けているし、実際「この日なら休めるかも」と目星をつけて業務を調整していく「計画的ずる休み」もある(もちろん有休申請できるに越したことはない)。
思い返せば学生時代も、酷いときには2週間に1回くらい休んでいた。
高校のときに「今日、行かない」あるいは「遅れて行く」と親に電話をかけさせていた。親も働いていて忙しいのに、不義理な娘だったと思う。
ただ、教育ママのくせに「不登校」には寛容な親だったから、そうやってちいさく休んでも私がそのうち行き出すことがわかっていたんだろう。
おかげで逆に、高校でも連続で休んだことはなかったし、私の不登校の最長記録は小学校時代の3日間だ。
現在の勤務先では、1ヶ月に1回使っても余るくらいの有休が付与される。
しかし、私はずっとシフト制で働いてきた。
業務上の都合はあるが、ある意味「好きなときに休める」。
こうなると有休の使いどころがなく、2年間有効である年間数十日を、何年もどぶに捨ててきた。
有休取得が義務化され、シフトに無理やり組み込まれるのは正直お得感がない。
有休をピンポイントでうまく定めて活用できたら、それこそが上手な「仕事の休み方」なのではないか、と無いものねだりで思っている。
ここ数年でリモートワーク化が進み、出社人数が減ってきた。
ギリギリまで役職者が出勤していなかったり、全員不在の日さえある。
そうすると、電話で伝えることが難しい。
そこで、個別チャットに連絡を入れるのが主流になってきた。
電話と違い、送る時間もあまり関係なく、連絡自体は気軽になってしまった。
しかし、ここで悩みどころなのが「何を理由にするか」である。
後々バレた時にめんどくさいので、誰かが死んだ話は使わないことにしている。
しかし、このご時世。
下手に「微熱がある」とでも言おうものなら、検査を勧められてしまう。
それは当然だし、ある意味では無理せず休みやすくなった「いい流れ」でもあるのだけど。
男性上司なら「生理痛が酷くて」といえば、それ以上は突っ込まれないことが多いが、月に何度も使えるものではない。下手をすると辻褄が合わなくなりかねない。
チャットひとつで休める時代、体調不良は諸刃の剣である。
だからこそ、心身とも健やかであるのが一番いい。
「社会人 休み方 言い訳」なんて検索するのは自分でもちょっと悲しい。
ただ、どうしようもなくつらくなって、自分を見失ってしまう前に。
ずる休みでも、有休でもいい。
ちいさく休むことを、自分にゆるしてみてはどうだろうか。
当たり前のことも、頑張っていると忘れてしまうものだ。
立ち止まって休むことで、また歩き出せる。
そんな小休止の日が、たまにはあってもいい。
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