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結婚も子育てもしないから、ペンネームで創作していたい

結婚願望があまり無いというと「この先どうなるか分からないよ!」と有難いお言葉を頂戴することがある。それはたしかにそうなのだが、滅多なことでは結婚したくならないだろう、という謎の自負がある。理由は別におもしろくなくて、両親が方向性の違いで解散している、ただそれだけの「ありがち」な話だ(いまや結婚しても3分の1が離婚するというのだから)。身近であまりいい例を見ていないので想像ができていないのだ。

結婚する際の名字変更など煩わしい手続き話にはいたく同情するし、選択的夫婦別姓も同性婚も「制度」として存在したっていいじゃないか、利用できる/選べる自由が増えるだけなのにな、と思っている。

ただ、私自身は苗字を変えたいし、同性婚をする気も今のところは無い。人生の半分以上もう会っていない生物学上の父親の姓を名乗り続けているのは、負けず嫌いの私にとって一種の「屈辱的」な出来事かもしれない。

これは非常に悩ましい話だが、結婚するか養子になるか以外で、独身女性が本名の苗字を変える術はおそらく無い。ひとり親で子供を育てる大変さは身に沁みているので、養子をもらって育てるつもりも無い。(あくまでいまの自分がそこに値しないという話なので、その状況にある方を批判する意図は全く無い)

もう20年近く文章を書いているけれど、下の名前だけでは格好がつかないとき、苗字が欲しくなる。ジャニヲタキッズだった時代には、私も自担の苗字を冠していたのだけど(笑)今ならどんな苗字にするだろうか?と考えることがある。本名を変えられないのならば、ペンネームで創作し続ければいいのではないか、という気持ちがあることに最近気づいた。

書き綴る言葉たちが、所謂私の「こども」であり、生み出し育てていきたいという潜在欲求の表れなのかもしれない。創作を通して名前を変え、子どもを産み育てている感覚の疑似体験(もちろん人間に責任を持つのとは訳が違うけどね)。

結婚も子育てもしないから、ペンネームで創作していたい。
それが人生における私なりのバランスのとり方であり、「普通」になれないことに対する「前向きな贖罪」なのかもしれない。

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