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村上春樹を読んでコロッケを食べよう

自分事だけれど、最近空前の村上春樹ブームが来ている。ちなみにこれは初めてじゃなくて、人生で通算15回目くらい。

村上春樹さんの小説は、世間の評価を見ると「難しい」というのがパーセンテージ的には高いんじゃないかと思うけれど、個人的には難しく読もうとせずにそこにあるものを読んでいくだけなら大分面白い小説ばかりだと思う(もちろん、僕がそういう読み方しかできないというのもあるけれど)

ちなみに僕は村上さんのファンではあるけれど、いわゆる「ハルキスト」とか「村上主義者(村上さんは自分の読者はこう名乗ってほしいとエッセイに書いている)」と呼ばれるほどの熱狂的読者じゃないので、間違いがあっても許してくだせぇ。

さて、村上さんは小説だけでなくエッセイもたくさん書いている人なのだけれど、今回の村上春樹ブームの中でエッセイを自分の本やら図書館の本やらを読み漁る中で、一つ気づいたことがある。

「村上さん、コロッケ好きかも?」

と言うのがそれだ。コロッケが好きじゃないにしても、日本で一番コロッケの描写が美味いのは村上春樹さんだと言い切れる自信はある。

そう思った一番の理由は村上さんのエッセイ『村上朝日堂はいほー!』(村上春樹著 新潮社)のなかに収められている「うさぎ亭主人」というエッセイ。

引用して紹介したいくらいなのだけれど、ざっくり中身を紹介すれば、村上さんが気に入っている定食屋さん(うさぎ亭というのは村上さんが着けた仮名)の話で、ここで食べるコロッケ定食が絶品だという話。

そしてまた、そのコロッケ定食が絶品であるということを紹介するための村上さんの書くコロッケ定食のおいしさの表現が、何ともまぁ美味しそうなのだ。「村上春樹の無駄遣い」といってもいいくらいの全力投球で、このお店のコロッケ定食のことがほめたたえられている。

もう一冊がエッセイ集『村上ラヂオ』の中に出てくる「コロッケとの蜜月」というエッセイ。

コロッケの好きな人に悪い人はいないーと村上さんは、ご自身のコロッケの思い出をひたひたと語られているのだけれど今度は村上さんがコロッケを作る様子が書かれている。当時は業務用の冷蔵庫を持っていたので、半年分くらいのコロッケを一度に作って冷凍庫で保存していたらしい

極め付きはこの文章。

何の気兼ねもなく熱々のコロッケパンにかぶりつく喜びに匹敵するものがあるだろうか?いや、ありません(反語)

『村上ラヂオ』村上春樹/著 新潮社

あの(という表現もご本人は嫌がられるかもしれないけど)村上春樹が、熱々のコロッケパンこそ至高である、と書いているのだから、たまらない。

さて、僕はこの二つのエッセイを、意識せずに同じ日に読んでしまった。

となると、やはり、どうしても、コロッケが食べたくなる。これはもう逆らいようがない。

ここからは自分の調理の話になるのだけれど、揚げ物をするときの自分の中の最大のルールというか、後々のための布石は、「揚げ物以外全て片付けた状態で揚げ物をする」ということ。

ご飯はあとは茶碗に盛るだけ、味噌汁はお椀にいれるだけ、副菜は常温・もしくは冷やして食べれるものにして事前にお皿に盛り付けておく。そしてここまでに発生した洗い物(卵とか小麦粉とかパン粉を入れた容器)は揚げ物の前に全部洗っておく。

ここまでしておくと、後は揚げることに集中できるし、食後の片付けも油物だけどうにか片付ければいいから、思ったよりは楽に片づけられる。

揚げる前にこの状態を作り出す

揚げるのにしても、鍋になみなみと油を…とはしなくてもよくて、大抵揚げ焼き程度の油で揚げ物は上手くいく。油の処理にわずらわされるのって、人生の不幸の一つだと思うのでそれは少なめにしたい。

じゅわーと揚げ焼きしていきましょう

で、完成。

小松菜の味噌汁とご飯と共に

村上春樹のコロッケ愛を目で読んで脳が楽しんだせいか、自分で作ったコロッケも「お!これはなかなか」という美味しさに仕上がった。村上さんの描写によれば、村上さんはどうやらコロッケは肉とジャガイモオンリーで作られるようなので、玉ねぎを入れなかったことが、ホクホク感とうま味に貢献した気がする。

村上春樹を読んでコロッケを食べる。人生の小確幸(小さいけど確かな幸せ)の一つに数えられると思う。次はビールと一緒に楽しみたいなー!

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