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「子どもたち」

「子どものため」
20年くらい前?、甲子園の試合が終わった後のインタビューに答えた監督の言葉を取り上げた記事を思い出した。

以下は何となく覚えている内容。
『部員のことを「子どもたち」と表現した監督。自分の子どもではないのに「子どもたち」と表現するのはいかがなものか』みたいな内容。いや、全く自信ない😅

印象としては、それは違うんちゃいます?という批判的なものだった気がする。
その気がする内容だったと仮定して考えてみた。

結局教師は生徒のことを「一人の人間」としてではなく「人間としてはまだまだ未熟者」として捉えているところが意識的にも無意識的にもあるのだろう。

だから、人として成熟している(と勝手に思い込んでいる)教師が未熟者に教えてやらないといけないという図式が出来上がるのではないか。そうすることで教師の自己優越感が満たされるのではないか。

だから教師:上、生徒:下を保ちたがるのか?

話が飛躍しすぎた気がするけど、書けば書くほど過去の自分に当てはまりすぎる!!
ーーーあーーーーあーーーー、教え子たちごめんなさい!

でも、「子どもたちのため」という言葉が自分たちの過重労働の元になっているというのも皮肉な話だね。

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