「大事なのは今日の結果ではなく、明日子供がどんなプレー(行動)をするのか楽しみにすること」
①「まだできないんじゃない?」(職場の打ち合わせで、新入生に対して)
②「そうか、これくらいはできるのかー」(ウチの嫁さん)
上記①と②に共通する発言者の考えや気持ちがお分かりだろうか。
それは「子ども(生徒)に任せた(やらせた)ことがない」ということ。
なぜか?
「できないだろう」というある意味先入観があるからだと考えます。
その考えそのものが悪いとか間違っているとは思わない。
誰だって、うまくいかないことがわかっていることをさせることはしたくないし、言葉は悪いが時間の無駄だと思うだろう。
そうそう、学校という場所は、時間との勝負であることがとても多い。
授業然り、行事然り。
ゆっくりできるのは部活くらいかと思うが、意外と周囲からのバイアスがかかることがこれまた多い。
こう考えると学校ってゆっくりじっくり時間をかけて何かを伸ばすには向いていないのかも。(こんなことを現職が言ってもいいのかわからんけど(^◇^;))
そもそも3年間という期間が決まっているし。フォローになってるかな苦笑
学校を批判しているわけではありませんので、ご理解ください。
昨日のブログで、私と子どもで家事をソッコーでやったと書いたが、出かけるまでのちょとした時間に嫁さんがポロッとつぶやいた言葉が②である。
私にはその言葉が意外で、任せたことがなかったのかと少々驚いた。
私が早めに帰宅したときは、必ず洗濯物の取り込みと畳むのは子どもらに一緒にやってーとお願いする。
3人ともワイワイ言いながら素直にやってくれるし、私が風呂掃除して洗濯物は子供に任せることもある。
「そうかー、できるのかー」
はい、できます。
大学の大先輩の影響で、子ども(生徒)に任せる、頼む、お願いする、丸投げすることが増えた。
そばで見守ることもあれば、その空間から敢えていなくなることもあるし、空間に入るけど別のことをやっていることもある。
心の中では「どうするかなー?」というのを楽しみに待っている。
結果が上手くいかなくたって、試行錯誤をしてやろうとした、やり遂げたことの方が大切だと思うし、思えるようになった。
何より過程を聞いたり観たりするのが楽しいし、楽しいと感じるようになった。
また、子どもが集団になったときにどうまとめるかに対して、
先輩曰く「子どもらの中で序列ができて、上が下の面倒をみるから大丈夫」
まさにその通りになる。
それは、ウチの子ども3人でもあるし、ウチのこと近所の子らとの間でもあるし、支援級の生徒らでもある。
ホントに子どもの自治能力には驚かされる。
ただし、そうなるには条件が一つある。
大人が介入しないこと。
観ていると口を出したくなることは絶対ある。これは絶対!笑
でも、そこは、ね。
「大事なのは今日の結果ではなく、明日子供がどんなプレー(行動)をするのか楽しみにすること」イヴィチャ・オシム
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