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ものうる人びと

編集出版・代理店・制作会社・法人広報・生活者として……いろいろな立場で広告に関わってきた著者による、広告にまつわる色々なテキストが集まっています。広告のまわりにいる人が、ふと足を…
広告にまつわる色々な文章が読めるマガジンです。ものを「売る」「得る」ためのフィクションとして広告を…
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広告コンテンツも【待てば読める】の時代?「ひみつのPRIME」について

屋外広告は、たいていオープンな場所にあるもの。ただし、交通広告は少しだけ、事情が異なる。とりわけトレインチャンネルについては(意識している人は少ないが)、運賃を払ったうえで目にしている。だから実は「見なきゃ損」ではある。 その意味では、タクシーのシート裏にあるタブレット端末「タクシーメディア」は、乗客として「見なきゃ損」の具合は、電車賃の比ではない。だけど、やたらと威勢のいいビジネス系CMや、疲れているときに流れてくるし読み物系マガジンは、どうにも目のやり場に困ってしまう。

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プレゼンで刺されて、目が冴えた話

広告クリエイティブの提案を「受ける」立場になって、はや3年目。まさか自分が刺される羽目になるとは思わなかった。怖いな……きゃー! 今日は担当者目線のプレゼン受容について。

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『赫夜(かぐや)』の〈全冊著者直筆サイン入り〉は、もっと騒がれていい

澤田瞳子の『赫夜』は7月末に発売された。もとは雑誌『小説宝石』で連載されていた作品の単行本化だ。平安時代初期に起きた富士山の噴火にまつわる群像劇を、国司に任命された主に京から連れられてきた「鷹取」という男の目を通して描いた作品。 時代小説、あるいは歴史ジャンルの中で、人の心に棲む澱を吐き出しながらパニックを描く筆致は、澤田瞳子の作品ならでは。苦しいのだが心地よくて、癖になる。加えて本作には「なにがあっても生きていかねばならない、人の心のありようを描く」という強い意志がある。

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みんな、自分のことすら考えていない

あなたは覚えているだろうか。2020年、「経済を回そう」と言っていた。一方で、それがたとえ善意の発露であっても、広告の人というだけで疎ましく感じた人も少なくなかった。むしろ(周りには反対していた人しかいなかった)という人もいるかもしれない。 そのぶつかり合いは、何も生まなかった。何も、というのは大げさな言いぶりかもしれない。しかし時がたてば、みんな自分のことしか考えられなくなる。これを読んでいるあなたが、どっちの立場でも良い。つまるところ、どちらも善意という正論のぶつかり合

応援すればいいってもんじゃない

みんな、広告で応援するのが好きだ。応援している自分が好きなのかな。 前に「応援広告」が来てるねって話を書いた。たぶんそれはその通りで、とっくのとうに既定路線なんだけど。今日は2つの応援広告を並べてみます。

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ほんとうに哀しいのは、中の人じゃない

イーロン・マスクのTwitter買収。中の人が失業するとかしないとか。そんな話題が聞こえてくる。たしかに外資系の大変さが実感できるが、彼らの多くはエンジニアでも営業でも、外で通じないわけがないので、外野があれこれ気にし過ぎる必要はない。 そういうわけで、おそらく、今回本当に震えているのは中の人ではない。イーロン・マスクの知らないところで、目の前が真っ暗になった人々もいる。自らの存在理由の不安定さを痛感したのは、中の人ではない。Twitterを事業やスキルの核としている、外側

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リタゲの呪いと懺悔

様々なことが重なり「更新します~」と言ったのが口だけになってしまった。迂闊なことを口にした少し前の自分にヘッドロックをかけてやりたいと思うのだが、責めるとすれば、それよりさらに前の自分かもしれない。見込みが甘すぎるので卍固めをするべきだ。と言うわけで無料公開。 数ヶ月前、事業会社で働くようになり、広告制作の仕事を退いたつもりだった。それなのに、むしろ全然退けていない。WEB広告との相性の悪さに見切りをつけて外の世界に来てみたのだが……当地ではかなり重宝されている。制作会社時

「どうしてこうなった?」……こっちが聞きたい。

日経新聞の「WE THINK.」キャンペーンの話。毎回、ドキリとさせようという試みは理解しつつ、個人的には違和感を抱かせるので、気になってはいた。今日は、胸騒ぎの正体がようやくわかった。 いやいや。「どうしてこうなった?」と言われても。強い口調だけど、なんだかピンがぼやけている。今日のカバー画像のように。

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キリンの首ってこんなに長い……わけがないけど、騒ぎにもならない

最も深い嫌悪感は、攻撃ではなくて無視だという。広告は嫌われ者だとわかっていても、どれだけ嫌われればいいのか。そんな悲哀を感じずにはいられない、夏から秋の出来事を書き留めておく。 デジタルサイネージやトレインチャンネルなど、何か集中的にキャンペーンがあれば人は群がる。そうすると、群れていることがニュースになって注目される。「屋外広告、すごいんじゃないの」と思うこともあるだろう。ところが、ふだんは無視されているようなのだ。 出稿の空き時間に代理店のJekiが流すのは、画像が風

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書籍の電車広告が過剰すぎる話

近頃、都内の電車に乗ると、文芸書の広告が増えているように感じる。(あくまでも、体感ではあるが、大手出版社が強力なパワーを使って、大量に出稿するのが目立つ。 出版社の大量投下といえば、レーベル周知や読書キャンペーンが定番だ。新潮社の「yonda?」や集英社の「ナツイチ」、角川文庫の「カドブン」、文春文庫「秋100ベスト」しかり。みんなバランスが取れている。 しかしながら、本の広告となると、そうはならない。売らんかな精神や作品への愛情……何はともあれ、過剰にほとばしるソウルが

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インターネット広告が、インターネットをどうにかしてしまった説

21世紀初頭も20年余りが過ぎてしまった。前世紀と比べて、ものすごいスピードが生まれている。情報、モノ、資本、人の出会い……すべてが倍々ゲーム。インターネットのおかげで、近現代始まって以来の加速度がさらに増している。瞬く間に世界に病が広がってしまったのも、無関係ではない。 近現代という時代は広告の歴史でもある。「メディアの時代」、「映像の世紀」等々使われるのだが、それらメディアで扱うコンテンツと広告はわかちがたいものだ。そんな中で、広告費の規模は今や、マスコミ4媒体(新聞、

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たぶん、あなたもいつの間にかステージに立っている。(写真UP追加済)

東京メトロの某駅にて。プラットフォームで電車を待っ、向こう側の壁には、広告ツールが並んでいる。ライトボックスやデジタルサイネージは、意識せずとも広告を目に入れてくる。刺激に慣れ過ぎて、ほとんど不感症のようになっている人も多いだろう。しかし先日、一瞬立ち止まってしまう広告に出くわした。次の一文を見てほしいのだが、キャッチコピーが強い。 これではまるで、地下アイドルが武道館公演を目指す青春群像劇でも始まりそうな気配だ。 しかし、そこに描かれていたのは、正面から走ってくる様子の

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やたらと煽って同意を求める広告は結局、生活者を分断する

9/22(木)中央線の窓上・中吊り広告の話。(PR TIMESにちょうど告知が載っていたので、紹介します。) 飛び石連休の中日の朝、通勤電車で、わたしは眠い目をこすりながら、空いた席に腰を下ろした。そこで飛び込んできたのが、こんなメッセージ。 「え? いやいや……そんな、煽られても」

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応援広告が増えてる件

この夏、駅のサイネージで何も映らない真っ黒な画面が増えた。 2年前、綺麗な景色しか映らないデジタルサイネージは、それだけで「絶賛緊急事態中」という感じだったが、今回の原因は節電なので、電源オフになっている。東日本大震災を思い出す。 あれから10年経ったのだが、電源オフのサイネージに「節電中」という紙が貼られているのを見ると(たいして人類は前に進んでないね……)と思う。 あの頃の日本でお目にかれなかった「応援広告」は圧倒的に駅貼りポスターが多い。ライトボックスとかデジタル