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躁鬱病である私と結婚した夫は理解のある彼くんなのか問題。

今年の7月、大学院生から付き合っている人と結婚しました。
25歳なので周りの人もちらほら結婚しており、決して珍しくはありませんがそれでも出会って2年で結婚しているのでだいぶ早いと思います。

周りからはとても祝福されましたが、同時に驚かれました。

「とてもじゃないけれど結婚するとは思えなかった」と。

それもそうです。夫と出会う前、私は沢山の人と付き合っては別れを繰り返していました。半年持てばいいほうで、多くは3か月ほどしか続きませんでした。

勿論私にも問題があったのですが、選ぶ相手にも問題がありました。ここら辺は過去のnoteを見てくれたらわかるのですが、なかなか会う時間を作ってくれなかったり、不機嫌でコントロールしようとする人だったり、「君は、なぜその人を選ぶの?」と聞かれてもどうしようもない人ばかりでした。

加えて、私は双極性Ⅱ型という精神病を患っています。診断されたのは20歳の時でしたが、病気を診断されて以降も大学を休んだり、休職したりがありました。なのであまりメンタルの安定した人間ではないと判断されて、結婚相手の選択肢から外されるだろうと思います。

そういう自分が結婚したので、このnoteを見ている方はたぶん驚き、こう思ったでしょう。
「理解のある彼くんと出会ったのね」と。

知らない方のために説明をすると、理解のある彼くんとは発達障害や精神病に振り回されている女性の話に急に出現する男性のことを言うそうです。

ですが私は夫のことを理解のある彼くんだと思ったこともなければ、夫も自身のことをそう思っている様子もありません。自分を理解してくれる人だとは思いますが、なにも相手から求婚されたとか、ひとめぼれだとか思われるのは心外です。

何故私がそう思うのか、という点と、「メンタル不調者はどうやって配偶者と会ったんだ?」を疑問に思う方がたくさんいらっしゃるらしいので、参考までに夫と結婚するまでのことを書こうと思います。

◇ ◇ ◇ ◇

夫と出会う半年ほど前、私は昔好きだった人が結婚することを知りました。あくまで昔、と思っていましたが、想像以上に動揺し、当時の彼氏と別れました。

元々不機嫌で相手をコントロールするタイプだったので別れを考えていたのに加え、結婚したから忘れろ、ということも出来ず、別れの道を選ぶのにそう悩みはしませんでした。

悲しい出来事は重なります。その時期大学院が忙しかったのに加え、教授からパワハラを受けていました。色々なことが続いたのかメンタル状況が悪化し、起き上がることが出来なくなったので大学院をお休みすることになりました。

もともとメンタルクリニックに通っていたのですが薬は飲んでいませんでした。ですが、まずは崩れたメンタルを立て直すことが先です。食べ物を身体が受け付けず、体力が落ちたのでひたすらに寝ました。起き上がれるようになってから数えきれないくらい薬を試し、ようやく自分に合った薬が見つかって身体を動かすことができるようになりました。

落ち着いてから色々なことを考えました。これからのこと、研究のこと、家のこと(私は虐待サバイバーです)、そして恋愛のこと。

これまで深く考えたことがなかったのですが、ふと私は「自分から好きになった人と付き合ったことがなかったのではないか」ということに気付きました。

元々病気を患う前から自己肯定感が育つ環境にいなかったこともあって自分に自信はなく、人一倍愛されたい気持ちは強かったです。そして太っているというコンプレックスを解消するために痩せたものの、中身は変わっていなかったので搾取されること(=相手に与えること)を当たり前のように思っていました。

そういう人間はどういう人と付き合うのか?というと、私の場合は「自分を好いてくれている人」でした。

その当時最も恐れていたのは愛されないことです。誰からも選ばれないことです。自分という人間に興味を持たれず、その他大勢になることです。
だから私は「元から自分を選んでくれる安全な人」を選びました。愛するより愛される方が女の幸せ、という通説もあり、私は深く考えず条件にあっている人を選びました。

それに加え、私はシンデレラストーリーというものを信じていました。どういうものかというと、「容姿が良くて不幸な人がイケメンに見初められて幸せを掴む」という話です。

お恥ずかしい話、虐待されそれでも生き抜いた自分が痩せて綺麗になれば、かっこいい人に惚れられて幸せを掴むということを信じていました。
これだけルッキズムが問題になる世の中でも結局は顔です。
ルッキズムに悩まされた自分も顔のいい人が好きなので、最終的に顔が良ければどうにかなるだろ、という甘い考えを持っていました。

ですので、自分から努力して誰かを好きになる・付き合うということはしませんでした。いずれ待っていれば、誰か自分の好みの人に見初められるだろう、という自惚れを持って生きていました。

だがしかし。私を好きになる人は、イケメンだけれども好きな人ではない。イケメンに見初められるけれど幸せではない。なんだこれ?自分が選んでいるつもりで搾取されることに慣れていたのではないか?

このいびつさに気づき、初めて相手もひどかったけど、自分にも問題があるのでは?ということに目がいきました。

トロフィーワイフという言葉もある通り、彼氏は虐待で傷ついた私に与えられるプレゼントではありません。私は彼氏という存在を、これだけ傷ついて生きてきたんだから幸せになってもいいでしょ?与えられるでしょ?という傲慢な気持ちで認識していたということに初めて気づきました。

そう考えると、自分から好きな人にアプローチしなかった理由にも納得がいきます。私は幸せにされる立場で、与えられるべきだという思い込みが根底に渦巻いていたからです。

ですが、本来の私は与えてもらうより与えることを重視する性格です。どこで間違ってしまったのか、虐待サバイバー(かわいそうな人間)+容姿がいい人間(強者)という勘違いがいびつな人間関係を無限に生産するようになっていました。

それに気づいた時、これまでの自分がいかに受け身だったのかを思い知らされたような気がしました。自分の人生なのに、他者に幸せにしてもらおうなんて烏滸がましい。幸せな気持ちは他者が私に与えてくれるものだと思っているから、不幸も他人に握らせているのです

自分の人生とは?をここで初めて自覚しました。

与えられたものと、自分で選ぶもののどちらが自分を満足させるかなんて答えは自明です。私はこの先与えられたもので自分の感情の舵をとるのでしょうか。喜びも悲しみも他者が作るのでしょうか。それはこれまで虐待されていた時間と同じです。

傷ついてもいいから、「今度からは自分が好きになった人に自分からアプローチしよう」「自分を不幸だと思うのはやめよう」「今まで好きな人と比べるのはやめよう」と決めました。私はもう大人です。虐待され傷ついたことは事実ですが、そこに自分という人間の全てをゆだねるのは誰も幸せになりません。自分を「虐待された人間」ではなく「ただの霧島美桜」という人間として認識する時期なのかもしれないし、自分を幸せにしたいのであれば自分から行動しなければ。そう理解してから、とりあえずマッチングアプリをやりまくりました

…なんで?ってなると思いますが、私の大学院って院生があまりいないので出会いが少なかったんです。加えて朝早くから夜遅くまで土日返上で研究をしていたので出かけることもできず。こういう特殊な状況で出会いを増やすとなるとマッチングアプリしかなくね?となってありとあらゆるアプリに手を出しました。

それでこそ、アプリの傾向が割り出せるくらいにやり尽くしました。結果、アプリは合わんとなって辞めました。※余談になりますが、アプリで恋人作れる人はリアルでも作れると思います。

もちろんその時期アプリだけやっていたわけではありません。同時に私が行ったのは「これまでどういう人を選びがちだったのか?」という自分の思考の癖を自覚し、修正することです。

10人弱付き合った人から傾向を割り出した結果、以下のようなものが見えました。

・顔がいい人選びがち問題
・異性として好きな人を選び人として好きじゃない人を選ぶ

多分、なんですがこれは自分のコンプレックスの裏返しです。
容姿コンプレックスに悩んでいた (自分で自分をブスだと認識していた時期に寄ってきた人はあまり顔がいい人だと思えず、美人になり痩せればイケメンと付き合えるんじゃ?という願望) のと、一人の人間として尊重されず性のはけ口として消費されていた時間があったことで、いろいろ歪んだんでしょう。

だからと言って、コンプレックスを満たしてくれる人ばかりを選んでいてはなにも解決しません。現に私は人と別れるたびに精神的に脆くなり、傲慢になり、理想が高くなりました。

まずは自分で自分のコンプレックスを解消するために努力し、正常な判断能力が戻ってから色々決めていいのではないか?ということにしました。

そういうわけでマッチングアプリと研究に没頭すると同時に、自分のコンプレックスと向き合う時間を設けました。取り組んだのは以下です。

研究 (やるべきことをしっかりやるということで自分に自信をつける)

貯金と市民センターに相談 (虐待サバイバーから抜け出したかったので、親元から距離を置ける方法の相談と逃亡資金)

友達を増やす (友達とうまくやっていく自信がなかったので。近くのカフェの常連だったので、そこから後輩・他学校の人と知り合った。日本酒立ち飲みが好きだったので常連になり人と関わるようにしてコミュニケーション能力を鍛えた)

病院にちゃんと通う。断薬しない。(そもそも精神の不安定な状態で出会ってもいいことは自他共にない。いびつな関係を再生産しないためにも自分自身の健康を整える)

他にもいろいろやりましたが、力を入れたのはこのあたりです。

鬱状態が長引いたり、マッチングアプリでドタキャンされたりとひどい目にあったりもしましたが、結果的に友達が増えて健康的になったのでOKでした。

そういう自分になれたので、前ほど「彼氏欲しい、自分を理解してほしい、愛してほしい」という願望がなくなりました。むしろ友達と遊んだり勉強したり、メンタルを十分に休めたりする時間が欲しくなったので中途半端な好きで付き合おうという気持ちはなくなりました。

結果、「将来猫飼ってバリバリ稼いて一人で楽しく生きていこう!」になりました。
好きな人を作りたかったのに、いろいろ頑張った結果一人で生きていくという結論になったのは不思議ですが、それでも自分の人生に満足なのでなにも気にしませんでした。

◇ ◇ ◇

そんなある日、いつものようにカフェに行くと同い年で就活に悩む男性に出会いました。私はもう就活を終えていたので、「なにかアドバイスしたら?」という店主の声掛けがもとでその男性と話すことになりました。

みなさんご想像がつくと思いますが、この人が将来の夫です。

最初の印象は特に覚えていません。眼鏡かけてたなーくらいです。
そして相手も「胸がでかい」「化粧をしている」くらいの印象だったそうです。
よくありがちな「ビビッときた!」「運命の人だと思った!」とかそういうものはお互いにありませんでした。

色々話して、最後にLINEを聞かれました。
その時思いました。「あれ、この人私のこと好きなのか?」

夫にその当時のことを聞くと、「とりあえず人脈ひろげとこ!」くらいの心意気だったそうです。初対面の人に好かれてると思った私も、女性経験があまり多くないのになぜかLINEを聞いてきた夫も謎しかないのですが、とりあえずこれが出会いです。

そこからカフェで何度か出会いました。深い話はしませんでしたが、時間が経つにつれて今日カフェに行けばあの人に会えるんじゃないかということを期待している自分がいました。

正直異性としてどうこうというものは全く感じていませんでした。ただ、穏やかな話し方をして、研究でバリバリ成果をあげている男性に尊敬に似た何かを感じている自分がいたのは事実です。

ですがなにも進展はしませんでした。カフェでたまに会う人。それ以上でも以下でもない。

この気持ちがなんなのかはわからないけれど、とりあえず少し押してみよう。そう思って、次に出会ったときに飲みに誘いました。

ちなみに誘い方は「今度飲みに行こうって言ってたけどいつ誘ってくれるの?」です。皆さん参考にしてください。その男性もちょっと焦った感じで飲みに行くことになりました。やったね。

そうして一緒に飲みに行き、「あ、飲むと声が大きくなるんだな」「ジブリ見たことはないけれど面白いことをいう人だな」という意外な一面をたくさん見ました。新しい一面はどれも私を楽しい気持ちにさせました。

だからでしょうか。私は「この人と一緒にいると楽しい」という感情を持ちました。これまで異性に感じていたのは「ドキドキする」「誰にもとられたくない」「この人は私を好きなのか」というものだったのに、初めて異性といて何も考えずに楽しめました。

この人といたら、きっともっと楽しい。この後がないのは、なんか嫌。

そう思って、私はもう少し積極的に押すことにしました。

「私そろそろ誕生日なんだけど誕生日ディズニーしてみたいんだよね」

余談ですが時誕生日付近にディズニーシーに行った経験はありました。でも、きっとこういえばこの人は誘ってくれるのではないか?という願望に似た狙いがありました。

「それじゃあ今度一緒に行きましょう!」というので、
「今度って言って実現しないやつじゃん」と返すと
「じゃあ行きましょう!」となってその場で計画を立てました

そんなわけで実現しました。好意がある人とのディズニー。
※今思っても自分のことを悪い人だと思っています。反省はしていません。


当日。最初はお互い緊張していましたが、最終的に頭を空っぽにして楽しむことができました。わざわざチケットを取ってくれたり、レストランを予約してくれたり、何も期待していなかったのに楽しませようとする気持ちが相手から伝わってきて、帰るころには楽しい感情でいっぱいになりました。
異性としてどうとは考えたことがなかったけれど、これはわかる。

この人といると自分らしくいれる。好かれる自分でいようとか、かわいくいなきゃとか、そういうものが一切ない。この人は私のことを人として尊重してくれる。こういう人と付き合いたい。

相手がどう思っているかはわかりませんでしたが、これが私の正直な気持ちでした。


それから数日して、またカフェで出会う機会がありました。時間も時間だったので、夕飯に誘い、一緒にご飯を食べました。

もう少し…近づいてみるか。そういう気持ちで、こう言いました。

付き合ってない男女が一緒にディズニー行くってことは、どちらかに好意がないと成立しないって言われたんだけど、好意あった?」

相手の答えは、Yesでした。
そうしてこの言葉がきっかけでその男性と付き合うことになりました。


◇ ◇ ◇

そういう流れでその男性と一緒に過ごし、今年結婚しました。
喧嘩することもありますが、毎日楽しく過ごしています。

付き合う段階で病気のことは話しており、付き合う判断は一度相手に委ねています。
それでも付き合ってくれる、とのことだったので、私が気をつけたのは以下のことです。

◯病気をきちんと治療する
 これはもう必須です。相手は私の生きにくさを肯定してくれるためにいる人ではありません。自分のことは自分でする、自分の病気は自分で向き合う、そういう当たり前のことをちゃんとやるようにしました。

◯察してもらおうとせず、ちゃんと口で説明する
これはまあ成熟した大人なら当たり前のことですね。相手は自分とは別の人間なので、全てを理解してもらうのは難しい。察してちゃんほど面倒なものはないので、円滑な関係を築きたければここはできるようになっておくべきです。

◯たとえ別れても病気のせいにしない
よく「健康な自分なら別れていなかったかもしれない」と思うことも過去にありましたが、それは自分ではないです。病気も含めて自分です。ですが、病気はあくまで自分の一部であって全てではありません。なにか不都合なことが起こるたび、「病気じゃなかったら」とするのはどうなのでしょうか。病気ではない自分を求めておきながら、都合が悪くなったら病気のせいにする。それは病気云々の問題ではなく自分の問題です。
元々心に障害がある時に出会って付き合ったのです。いくら回復していてもそれは事実です。
であれば、病気を受け入れて軽くしようと努力し、仲良くあろうとする方が健康なやり方なのではないでしょうか。

◯夫以外にも依存先をたくさん作る
これは自立の一歩とも言われていることですね。

このようなことに気をつけたおかげか、時に喧嘩をしたり、病気が悪化したりしても関係が悪化することはありませんでした。いい意味で自分が精神疾患があるということを意識せずに付き合った方が、私は楽です。

精神を病み、ぼろぼろに傷ついていた私ですが、いろいろと考え、行動してこういう結果になりました。
ここまでを踏まえ、読んでくれた方にお尋ねします。

「躁鬱病である私と結婚した夫は理解のある彼くんですか?」

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