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仄暗い幸せを今日も温めている。

冷たい風が耳を引き裂くように吹く。伸ばしかけの髪がひどく鬱陶しい。安売りしていたコンビニラーメンを片手に、今日も家路へ着いている。

本当は隣駅の町中華が良かったのだけれど、病み上がりだし。ぶり返しては色々と面倒なので、今日は大人しく帰宅することにする。まあ寒すぎてわざわざ近くまで行って引き返してきたくらいだし、当たり前の判断だろう。

こほこほと喉が鳴る。寒さで脚が凍える。
あーめんどくさい。なにもかもがめんどくさい。

昨日まで高熱を帯びていた身体はやはりどこか気怠くて。たかだか5分の永遠にも感じる家路を、思考を張り巡らせながら帰っていた。

つい先日、転職が叶って希望通りの職にありつけた。今日はその給料日で、プチ贅沢をしても余るくらいの金額を頂けた。

それなのに私の片手には値下げしてあるラーメン。
つくづく欲望の解放の仕方がへたくそなんだよな、と自らに毒づく。給料日くらいちょっといいものを食べればいいのにと何処かで声がするような気がした。

しょうがない。学生の頃からの癖だ。

学生時代は貧乏だった。親の資金援助を受けられなかった私は、バイトの給料日でも、給付型奨学金を手にしても贅沢はしなかった。
大きい金を手にすると、九割を次回の家賃や学費へ回すことが当たり前だった。

だからだろうか。給料日に贅沢をする、という感覚が社会人になってからも育まれなかった。

ああ、今回も生きていけるな。

休職や無職を繰り返していたせいもあり、それが浮かんでしまうような気持ちで預金残高を眺めていた。

家に着き明かりを点けると、タイマーでセットしてあったのかエアコンがぼうぼうと稼働していた。

あの人は私に死ぬほどやさしい。

見ないようにしていたけれど、積み重なってしまえばそれはいつか視界に割り込んでくる。ラーメンを温めながらこたつでぼーっとしていると、再び思考が頭の中へと流れ込んできた。

かつては貧乏だった。独りぼっちで、砂を噛むような食事を咀嚼していた。

それが今はどうだろうか。大好きな人と結婚し、希った職にありつき、十分な金も得ている。
なにも不満がない。それどころか満足。
ここのところ、うすぼんやりとした薄い幸せの膜の上を歩いているように錯覚する。

昔はちょっとでも幸福が続くと、足元が掬われるような気がして怖かった。
気付いていないだけで実は私は重大な欠陥を無視しているような気がしてその幸せに身を預けることができなかった。お金を使えず貯金していたのも、何れ訪れずはずの不幸に備えていたのかもしれない。

それでもある日、気付いた。私は欲望の解放のさせ方が下手というより、幸福の持続が苦手なのかもしれない。わざわざ不協和音を探して全てをぶち壊すことで、不幸な自分で安心していた。人との関わりを切って1人で居ることで、何も失わずに済むならそれでいいと思っている自分がいた。

きちんと幸せを享受しろ。
もう不幸は充分だ。

今の私は、恐怖と幸福と共に生きている。有限の永遠を生きている。

暖まった部屋。好きな人の帰りを待つ家。周囲の協力によって得た職。それで得た金。
手には食事。

失う物は沢山ある。いつか全て失ってしまう。
それでももう自分から手放そうと思わないのは、この先が終わりにしか繋がらない仄暗い幸せを愛しているからだ。贅沢をしなくても、ありふれていても、自分の望んだ人生を生きられているからだろう。

めんどうだけれど、明日は自炊しよう。
仕事に疲れたけれど、今日はお風呂にお湯をはって好きなバスソルトでリラックスしよう。

仄暗い幸せを抱えて、今日も明日も生きていく。




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