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スぺカレ~生きるに値するエモい人生を送るには~

4月30日 スペックスカレッジ~Aクラス~
・生きるに値する日常
・結婚経済学
・エモ感動学

生きるに値する日常とは、生きてて良いと思える日々のことを指す。
現代は社会が複雑化して社会を変えたり回したりすることが困難になってきている。そのため仕事とプライベートの往復のみで生きることに精一杯になったり、会社のための人形になったりと窮屈で明日が嫌になるような日々を送っている人がほとんどの社会になってしまっている。
そして会社はひとりひとりのキャリアを見てくれないため、窮屈な生活の中で自分自身でキャリアを築かなければならない。

そんな窮屈な生活を送っている中で自分の最善のキャリアを考えることは難しいだろう。
そのため、小さなものでも生きるに値する時間を過ごすことが重要になっている。明日が来ないでほしいと毎日思っている人が大多数である現代で生きるに値する時間を過ごせる場を自分で見つけることが必要だ。
生きるに値する時間が過ごせていると感じるには他にはない時間を過ごせているという実感があることだ。
例として毎クラが当てはまる。誰かと一緒にスポーツをしたり、いつも来ている人を見てみたり、リラックスして自由に遊んでいる子どもたちを見てみたり、毎クラでは直接的でなくても人とのつながりを味わえることが他にはない時間を感じられることにつながっている。
ここで注意が必要なことは、他にはない”場所”ではないことに注意してほしい。”場所”になってしまうと観光名所の意味になってしまい、きれいなものを見て心が癒されて家に戻ったらまた苦しい日々で…と悪循環になってしまう。そのため、他にはない”時間”が過ごせる場が必要なのだ。


結婚を考えている人にとってはより良いパートナーと結婚しより豊かな人生を送りたいと考えているだろう。そのためには人を見る目が重要になってくる。ここでは人間力を見抜く力を指しており、今後この人と一緒に居たらどのような未来が待っているかが見える指標になる。
その一つに恋愛人間力がある。これは自分のための恋愛や結婚ではなく、二人の未来のために最高の関係を築く力のことである。つまりは結婚相手には自分の好きな人よりも、話し合いができるひとを選ぶことがより良い未来の生活につながる。
ここで出て来るのが「マザコン系男子」である。マザコン系男子とは、自分を脅かさないものしか愛せない男子のことを言う。つまりは一生お母さんのおなかの中に居たい=安定した場所で自分は何もせずにずっと暮らしていたいと考える人のことだ。
これはパートナーにするにあたって片方の負担になってしまう可能性が非常に高い。
自分を脅かさないものしか愛せないということは、ここではないどこかに連れて行ってくれない、そして連れて行ってあげられないことになる。つまりは現状維持ばかりを考えて向上心や挑戦する力、冒険心が一ミリもないのである。
これは現代の社会では破滅の道を進む考えになってくる。

ではどのようにパートナーをみればよいのかという問題が出てくる。
以上に挙げた恋愛人間力とマザコン系男子を踏まえた上でチェックポイントとしては3つある。
1つは誰かに面倒をみてもらっているか。つまりは良い師匠がいるか、ということだ。師匠がいるということはその師匠の生き方をみれば自ずとその人の未来もある程度は見えてくるだろう、しかし師匠が筋のいい師匠であることを見極める力は必要になってくる。
2つはこの人は運をつかめる人だと確信がもてることだ。自ら挑戦してみたり何かを起こしてみたり運をつかもうとしている姿があるかどうかを見ていくことが必要になる。
3つめはここではないどこかに連れて行ってくれるか。先ほど記した通りで自分はわからないけどこの人とならここではないどこかへ行ける気がするという実感があるかどうかが必要になる。

この3つのチェックポイントから見えることは、委ねられるかということである。自分で人生を考えたうえでこの人となら良い人生を歩めそうだ、良いものを残せそうだと感じ人生を委ねられる力があるかどうかである。


エモいという言葉が現代では若者を中心に流行しているが、エモいという言葉を再現できるようにするにはどうしたらいいのかを考えてみる。
エモさとは人間にしか出せないものであり、人に何かしたいと考えるホスピタリティあふれるもの、アート思考で美しいと感じるもの、主にこの要素から成り立っている。
この3つの要素に当てはまるものはコスパ・タイパに囚われてはいけない、ということだ。損得とはかけ離れたところにエモさは存在する。
では、エモいものを作るには内発的動機をどう持つかが重要になってくる。誰のために、何をしたいか、何のために生きているかをよく考え、自分が幸せになるスキルを身につけなければならない。併せて利他の心が芽生えると相手も幸せにできるスキルにつながる。そのためには、リベラルアーツ(教養)と美が必要だ。

感動とは利己的な思いでは作ることはできない。誰かのために、誰かの幸せや喜びのためを思って教養と美を自分の出せる限り使うことで感動は生まれる。

生きるに値する場で他にはない時間を過ごし、その中で感じたことを自分らしい感動する何かに変換する。そして困っている人や困っていることに気が付かない人を幸せにできるように今できることを積み重ねていくことが人間力を高めることである。

まとめ)現代の問題点と改善策を見つめながら今自分にできることを考えるための材料集めをこのスぺカレでしているように感じる。感動とはなにか、感動を一緒に味わえるようにするにはどうしたらいいか、まずは自分自身の教養の引き出しを増やし、アイデアが生まれるようにワクワクする学びをしていきたい。

まなちゃる


マイクロスポーツを幸福にカッコよくするための学びを発信します。