大阪都構想が否決されても大阪市を早急に解体しなければならない理由。『大阪都構想は大阪市の問題を掠めるだけでしかなかった』


本問題を申し上げる前に
大阪市の不可思議な業務のあり方に
以前から懐疑のまなざしを向けていたのだが
本問題を本格的に追及するきっかけとなった
2020年9月28日に発生した窃盗事件の隠蔽』を
取り上げることは避けられない。

大阪市が理由は不明であるが
東成区役所内で、手続きに訪れた被害者から
現金30万と通帳、印鑑を強奪した犯人を
かくまうために防犯カメラ映像を加工、編集したことは
映像映っている被害者が手続きを終えて帰る時間が
映像内時間と被害者の所持するGPS記録とで
27分前後も異なっている点から
捜査機関の捜査を待たずして、誰の目にも明らかな
明白な事実だ。

映像の編集に過去の記録を流用している点から
犯行は計画的なものであると考えられ
定期的に事件現場に訪れる被害者の癖を知りえた上での
一瞬のすきをついての犯行としか
考えることは、できないきわめて悪質な犯行は
11分と言う、ありえない映像内時間のずれを
大阪府警と大阪市が、示し合わせたように主張していることから
計画、共謀されている犯行であることは間違いないが
それについてはあくまで、きっかけにすぎないと考えている。

前述した事件の真相については捜査機関とは別に
国民主権原理に基づく、自治の精神から国民として
徹底して、問い正すべき問題であることは確かだが
本問題は、大阪市とそれを包括する日本政府そのものの
管理能力そのものを問うべきものであり
統治能力の喪失を意味していると考えられる点にある。

『歴史を振り返れば近代国家として
日本政府が統治に成功したといえるのは
明治維新後から日露戦争までの優秀な江戸の
人材が中心となったときと
最終的には大正デモクラシーに至った
明治維新が悲惨な戦争で、最終的に
国を滅ぼし、日本開闢いらいの他国の占領統治という
惨状をもたらした後にGHQによる改革後
連合国の監視と指導の下でのプラザ合意までであり
自主独立した民主的な近代国家の統治に成功したとは
いいきれず、民主制度の下で
必要な人材を育成して、国家を統治する能力が
日本政府にあるのかは懐疑の目を向け続けるしかない』

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こういった問題が発生した場合に当然、要求されている
日々の日常業務の遂行がなされていれば
真相は迅速に明らかになったはずであるが
大阪市は国民と総称される個人と、交わした社会契約を誠実に
履行しておらず、その怠慢が真相の追究を妨げることに
つながっており、事件被害者を徹底して苦しめる
深刻な人権侵害を招いている。

人権侵害を放置し続ける大阪市ならびに日本政府は
個人の尊重を、目的としている点から
憲政を遂行する、業務遂行の実務能力を著しく
欠いている事を徹底的に指摘せねばならない。

現実を受け入れる人間として問題のある
心の脆弱さが目立っている。

事件被害者に対しては、本事件以前にも
専門医師の診断を徹底的に無視をした
大阪市側の独断かつ、一方的な異常とも感じられる
妄想による、行政実務が遂行されており
その事についても
専門医の観点から強く大阪市側のおかしさを
指摘された被害者と揉め、被害者を含めて
関係者に多大な迷惑をかけている経緯が
ある事も確認がされている。

結論から申し上げれば、貴君ら大阪市は
日々業務を遂行していると言う妄想を抱いている
病理にさいなまれており、かかる事件も
その延長線上にあるとしか考えられない。

大阪市の職員は集団的な精神病理
あるいは精神異常にさいなまれており
まずは専門医の徹底した検証が、日々の業務遂行の前に
必要不可欠であることは申し上げるまでもない。

事件の性格を踏まえるならば大阪市側の妄想を
加工、編集映像で、現実に押し付ける行為でしかなく
本質的には、大阪市が、日々業務と勘違いしている
ただの妄想を現実に無理やり押し付けている点と
なんら変わりはない。

問題を通して明らかとなった大阪市側の著しく、救いようのない
妄想は統治機構が、明文化された、法や条例あるいは規則に
よって遂行されていると勘違いしている点から生じている。

立法機関により明文化された、法や条例あるいは規則は
常識的な一般原則を必要最小限
書き記したものでしかなく、きわめて
現実をシンプルかつ単純にモデル化したものでしかない。

そんな単純な捕らえ方は実際の実務を行う対象である
現実には適用できるわけがないのは知識以前に
感情的にわかる話だが、精神が不健全で異常な
大阪側の職員には、後付である知識ではない
人間としての内なる道徳観としての
感情そのものが欠落している。

単純に一律のマニュアル対応は冷たく感じるので
まともな人間は自然と心ないので避けるのだし
一律のルールでは現実に対応できないからこそ
非マニュアルの経営層が組織統治には必要不可欠に
なっている事実からも、感情や良心だというのが
以下に実務上大事か物語っている。

人は感情の生き物であり、知識では
複雑で多様な現実の世界には市町村民どころか
国民も市民も存在しない。

現実に存在すると憲法が規定しているのは
個人であるが、憲法尊重擁護義務の本質である
立憲者の意思を、今ここで深く問いただすならば
現実を捉えようとする人間性とも言える
人間の内なる道徳観は、古代から問われている
人間存在のそのものの魂の正しきあり方の前に
その物質としての構成要素まで深く洞察し、追求をしてきたのであり
あくまで個人は最低限の現実の捉え方にすぎない。

事件の追及を通して明らかとなった
大阪市側の救いがたい異常な妄想は
あるべき市民、あるべき部課のサービス利用者という
ありもしない机上の存在を想定して、明文化された
様々なルールを、現実の尊重すべき個人に
機械的におしつける極めて深刻暴力としか言えない
行為を業務と妄想して、勘違いしてる点だけで留まらず
それらの愚考を数十年にも渡り遂行した結果
おそらく同様の要因として没落していく日本の中でも
有数の都市である大阪の街を著しい衰退の追い込むべく
強力な推進力となったのは行政機関の立ち位置からも明らかである。

立法や司法機関が、人類最大の特徴である
話し合う行為である言論により
個人を尊重した柔軟な法運用を感情的に志向している
にもかかわらず、統治における必要不可欠な
業務のはじまりで、業務そのものもといえ
中核的とも言いいきっても問題はない言論を通した
対話を明文化されたルールを持ち出して
否定しているのは国民との社会契約を著しく軽視し
無視した許し難い言論封殺行為と言うだけでなく
言論を機軸で基盤とした人的組織を運用する
業務遂行能力が完全に失われている事を
証明し指し示すものでしかない。

具体的にいうのならばコロナ過の
昨今、一層に顕著になりつつあるが
行政サービスの電子化対応は
変化していく現実への対応が
同じような規模として全国展開されている
同業多種と比較しても、全くと言っていいほど
なされていない。

電子化という行為の際立った利点が、よりきめ細かく
個人への最適なサービスを行うための情報社会基盤の構築で
しかないと考える点から、目的として
個人の尊重のためにあるべきはずの行政が
目に見えて誰にでもわかるように
遂行されていないのは小規模零細の個店に至るまで
限られた経営資源の中で、顧客である個人を尊重するために
必死の経営管理を行って、電子化を勧めているのに比較しても明白である。

あらゆる業種、業態において
身勝手な妄想を一番の業務遂行の敵としているのは
実務を遂行するための世の事実であり
当然、憲政という国家経営実務を遂行する際にも
ありもしない明文化された一律のルールが想定している
便宜的な取り扱い単位でしかない
国民、府民、市町村民といった妄想に囚われるべきでない
と言う観点から個人の尊重が
下位法規や条例、規則に矛盾する形で明文化されている。

本事件を通して、明白になった大阪市の問題点は
明文化された一律のルールに従えば責任は生じないという
もはや精神病理といいいきれるほどの妄想による
反社会性から生じていると分析されるが
現実を見れば誰の目にも行政の現場の業務遂行は著しく
疲弊して、困難になってきており
行政運営の結果も出ず、妄想に縋るあまりに現実が認識が
できたいないだけで責任は生じており、取らされている。

かかる、大阪市大阪都構想においても
問題の根底は、にかよっており
少なくとも現実には存在しない大阪市民を妄想して
扱われるよりはまだ特別区民の方が実態に即している
のではないかという問題提訴なのでしかない。

どちらにしろ複雑で多様な現実に
シンプルで単純なありもしない妄想で対応すれば
統治行為は遂行不能に陥り
どんな人的組織も凄まじい速度で衰退の憂き目に会うのは
社会の法化と言う形で、数十年前から警鐘はなされていた
はずの話である。

大阪市の職員がこのような異常で、初歩的な業務の遂行上
必要不可欠な妄想に囚われる状態を
長期に渡り克服できない理由は
大阪市の職員が、忠実に組織に従っている自分には
なんら責任はないという
そのような凡庸さこそが悪であるとされ
統治管理に個人の参画が強いられる戦後世界で
人類が世界人権宣言の元で共有している
現実を無視している妄想に囚われているからである。

個人の尊重をうたい下からの統治が求められる
前提の自由由民主主義では国に人材を供給する側の
自治体に現実として、責任があるのはいうまでもないが
それもまた妄想によって、大阪市職員には否定されている。

全てが妄想に基づいて不適切な言動を
遂行し続けようとする大阪市側の組織の健全性を
取り戻すために、深刻な病理を克服するための着眼点として
とらえどころのない単純で複雑な現実世界を
明文化されたルールで切り分けて二分化し
ありもしない妄想である原則と例外を身勝手に作り出して
しまう未成熟で大人となりえてない精神性に切り込む
必要性があるが、そのような精神の幼稚ともいえる脆弱さは
現実に対応でできない現実を見据えた上での
業務遂行上の資質や能力不足から生じているものであり
そのような能力不足の職員を
大量に採用している人事の採用のあり方から
見直す点があることから考えれば
費用や効果を考えると、まず現実的に
不可能と結論ずけるべきであり
そもそも言論を何よりも尊重して
妄想に囚われることを克服しようとしない
不良な人材が多数いることは
現実を言論で追求する思想良心を重んじる憲法は
職員との契約上にも想定はしていない。

個人、個人という現実を踏まえた上での
人材の育成に対応できていない
一律の妄想でしかない試験制度で
選ばれた人材を長期的に大量に採用すれば
自分を評価した一律の妄想を肯定する
脆弱な精神を克服できるわけもない。

ここでは教育制度のあり方を問うことも
運用マネジメントの問題はどのような業種
分野においても普遍的なので
できなくはないが、直接的に関係はないので
割愛させていただくことにしたい。
無論、教育制度ではなく
制度を現実に即した個々人のフィットしたものにしていけるかは
教育を大量生産と勘違いし逞しく妄想している輩が
多くいることを考えると
必要不可欠な議論であることはいうまでもない。

古くは古代中国の宦官からある
歴史的観点から考えて、私は試験人材を決して肯定しない。
むしろ言論や対話により一律のルールを卑下することが大前提の
人的組織統治のために業務遂行の本質を捉えているならば
責任を回避したがる小市民の存在を認めたほうが
弊害の方は著しくなると考えるからだ。

複雑多様でとらえどころのない現実に対応し続けることは
生やさしい話ではない。
どんなに優れていいると評価されている経営者でも
限界はあり、かならず現実に追いつかなくなり
責任を取るべきときは訪れるのが当然だ。
終身で経営に関われるのは、おそらく神がかり的な
才能を持つ極限られた一部の存在でしかない。
だが優れたかの叙事詩の王でも人である以上は
死という形で責任を最終的に問われるてしまう。


まあ、試験人材という物事を単純に捕らえてしまうことを
あっさりと容認したような妄想に
ひたりがちな劣悪な人材だけでなく採用の窓口を広くして
日々の進歩的な業務改善の提案力からなる業務態度と
実績と結果で評価すればいいだけである。





近代的な自由民主主義国家は神の下の人で構成されるのであり
神とは何かを問うならば、それはとらえどころのない
現実そもものであり、人は作り出す偶像を崇拝して
精神的に大人となりえず、現実を妄想で否定して
排除、排斥しようとする中学生としか考えられないような
幼稚な、いじめを恥じることがないどころか
さらに開き直って警察に通報してまで
妄想を現実に押し付けようとしていることからも
警察と言う暴力装置と連携して
現実を言論により追求することを阻害する
全体主義が萌芽し始めている
幼稚な多数の職員で構成されている大阪市は
業務遂行は皆無であり、永遠に結果はでるべくもない存在であり
直ちにその事を関係者に明らかにして、清算手続きに入り
代替となる新たな組織を構想し
人材採用基準から徹底的に見直した新たな再出発を図るべきである。

残念ながら、構想としては第4次産業革命や
シングギュラリティといった人類の技術的な進歩を
前提としておらず時代遅れで
妄想に囚われてしまう脆弱な精神性をどう克服すべきかという
問題をはらんでいる現実に即していない大阪都構想は
大阪市の深刻な病理の解決策にはなりえないが
清算という必要不可欠な手順を指し示したことは
歴史的な評価に十分に値はすると考える。

尚、本文書を記述するための分析調査中に
調査対象となっている事件が起きた大阪市東成区で
コロナウイルスのワクチン非摂取者リストが作成され
不当な圧力が、かけられていたたことが報道されたが
ワクチン摂取者と非摂取者と言う区分は現実に即さない
妄想であって本問題とまったく同じ精神構造から出ており
業務を遂行する際に言論を重んじて、事実を追求し
現実を捉える基本的で克服不能な業務遂行能力不足から
生じている致命的な欠陥を持った
精神未成熟でひ弱で、道徳的な感情が醸成されていない
人間の体をなしていない、不良人材が多数いる証明であり
このような報道までなされてしまう問題に対して
配慮不足などという弁明で済まされることと考えている事を
信じがたいが、大阪市側は厚顔無恥にも公式に表明している。

ワクチンを受けるべきかどうかの判断は個人個人の帰属すべき
問題であり、医療は個人差のあるものだ。

ワクチンを接種したからと言って必ずしも
効果があるとも言えず、副作用により死亡にいたるケースも
報告はされているが何よりも、ウイルスは自然であり
人類がワクチンを作り上げたからといって
思うがままに制御できるような対象ではない。

ここまで人類的に広まった病で克服できたのは
歴史的には、おそらく、天然痘ぐらいしか記憶にはない。

ワクチンの摂取が更なる耐性を有する危険な変異主を
生み出すことも想定されるし、現実にそれが起きているので
はないかと思われる事態に至っており
このように複雑で多様で捕らえどころのない現実を
ありもしない妄想で単純化してしまい
現実に妄想を押し付ける行為が日常で行われて
配慮が足りない程度で済むと考えているなら
愚鈍という言葉ではたりない。

神のつくりし現実を、おのが妄想で否定して
平然としている邪悪で傲慢きわまる姿は悪魔と言う
言葉がふさわしい。

人類の健全な営みである言論により
現実を追及して進歩していこうとする
人間性を有しない獣には
私はまずは暴力革命の段階を経ることが
必要可決であると考える。

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