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音霊とコミュニケーション


<音霊とコミュニケーション>

春から秋にかけて、里山に限らず都会でも山間部でもさまざなま生き物たちの音が飛び交う。人工音がしないところを探すのも大変になってきたが、生物音がしないところを探すのはもっと大変だ。

ヒトだけが言葉を使ってコミュニケーションをするが、他の生物たちは音を使ってコミュニケーションを取るものが多い。動物たちは鳴き声と意味を対応させることはできるけれど、鳴き声を組み合わせて新しい意味を作り出すようなことはしない。

虫の音を声として認識しない西洋でもベートーヴェンの交響曲第6番「田園」には鳥の声が取り入れられ、楽譜に鳥の名前まで出てくるように西洋では鳥の声をよく聞き分けていた。バードウォッチングが生まれる礎となった。

昆虫などの多くは匂いつまり化学物質でコミュニケーションをとる。しかしハチやコオロギなどのように翅の振動つまり音でコミュニケーションをとるものもいる。距離があると視覚や触覚は使えないから、風に乗って遠くに運ばれる物質による嗅覚と聴覚に頼る動物は多い。

ヒトが環境を認知する時に使われる五感の割合は視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚1%などと言われている。しかし、それで正しく環境を認知しているわけではない。依存していて、影響を受けやすという意味だ。

実はサルはすべて絶対音感である。というのも他の動物はみな絶対音感を持っている。絶対音感とはある音の高さを他と比べずに判別できる能力でそのおかげで音情報の意味を理解することができる。ヒトに絶対音感が少ない原因は分かっていないが突然変異によってその機能が弱まってしまったのだろうと考えられている。

サルには30種類以上の鳴き声があるし、地域性や種によって違うというからヒトの方言に近い。野生のサルは声でお互いの情報を伝え合う。位置や体調、気分、食のありか、性の具合などお互いの存在を知らせ合う。哺乳類でもキツネやタヌキなど群れで活動しない動物は匂いでお互いの存在を知らせ合い、争いを避け、テリトリーを維持する。

鳥の音声コミュニケーションは大まかに二つに分けられる。
一つは「地鳴き」で、敵が来たとか一緒に飛んで行こうとか状況にくっついて発せられる合図のような短い音声でオスもメスも関係なく出す。
もうひとつは「さえずり」で、求愛するときや縄張りを守る時に出すが、多くの種類でオスだけ。音の種類や音階でその情報を確実に伝え合って暮らしている。

かつて人類はみな絶対音感を持っていった。ヒトは進化の過程の中で相対音感に移行した。相対音感とはある音の高さを基準として、音を比較し判断数能力のことだ。西洋音楽のメロディーは音の高さの相対的な関係からできていて、絶対的な音の高さは不要な情報だ。だから絶対音感を持つ音楽家は多いが、絶対条件ではない。ヒトは絶対音感を隠蔽して、音の高さの比率関係に頼ることで相手の体の大きさ、声の高さにかかわらず、発した音を同じ音として認識できる。

ヒトが言葉を持つ前は文字や手話ではなく、音によってコミュニケーションしていた。聴覚はもともと危険の検出のために生まれた感覚だと言われている。食べらる側の哺乳類は危険を鳴き声で伝え合うし、危険が迫っている時は声で威嚇する。

目は閉じることができるが、耳を閉じることはできない。目は昼間しか使えないが、耳は夜も使える。だから生存に直結する情報は耳から入ってくる。視覚は選択的なのに対して、音には常に注意が行きがちという特徴がある。

日本人にも鳥好きが多く、バードウォッチングを楽しむ人が多いが、彼らは鳥見だけではなく鳥聴きも楽しんでいる。その中でもシジュウマツは大人気の鳥である。もともとのシジュウマツは日本にはいなかったコシジロキンパラという鳥だ。江戸時代の1760年代に九州の大名が中国から輸入して、品種改良しながら飼い慣らしていくうちに現在のような鳥に変わったという記録がある。

シジュウマツのオスのさえずりは一羽一羽違う歌を歌う。それはとても複雑な歌で、シジュウマツの祖先のコシジロキンパラはごく単純な鳴き声しかないから驚きだ。野生の鳥は生き残るのに必死で、複雑な歌を歌う余裕がない。シジュウマツはペットとして安全に飼育されたため、複雑な歌でメスにアピールする余裕が生まれたと考えられている。

ほとんどの動物は生まれつき発する鳴き声が決まっていて新しい声を出すことはできない。遺伝子の突然変異によって喉の形が変わるなどしない限りは。聞いた音を真似して言い返せる発生できるようになることを発生学習というが、これができるのが鯨類と鳥とヒトだけ。鯨も求愛の歌を歌い、群れごとに少しずつ歌が違い方言がある。しかも毎年少しずつ変わっているという。

鳥は全体の約1万種のうち半分の種が発生学習ができる。ハチドリ目、スズメ目、オウム目がほとんどだが、カモやニワトリ、タカにはできない。霊長類は約220種類いるがヒトしかできない。チンパンジーにもできない。

発声学習をする鳥の特徴が小鳥と呼ばれるような鳥ばかりで、さらにそういう鳥は雛がひ弱で、すぐに歩き回ったり飛ぶことができず、親に餌を運んできてもらう。親にエサをねだるために発声を学んだのかもしれない。

ニワトリやカモは卵から孵るとすぐに歩きだす。ただし、ハトのように生まれてすぐに歩き回れない鳥で発声学習しない鳥もいる。しかし鳩は遺伝子的にオウムに近い。

発声には呼吸を制御することが重要で、発声学習しない動物はみんな自分で息を止めることはできない。私たちは息を吐く時、空気の通り道にある声帯を振動させて音を作り、振動で出てきた音を、口の開け方によって変形させ、巧みにいろんな音を出している。呼吸と喋りのタイミングを工夫して喋っているし、食べながら喋ることもできる。

霊長類の中で生まれてすぐに鳴くのはヒトだけだ。ヒトの赤ちゃんでは大きな声で泣いても、集団で暮らしているため天敵に襲われない。赤ちゃんが泣いているときは実はそれほどエネルギーを使っていないので、無視しても大したことはない。それでも親は何かせずにはいられない気持ちになる。

生後2週間くらいまではどの赤ちゃんも同じ鳴き声で、それ以降どんどん変化していく。1ヶ月もすれば個性が生まれる。そのころになると母親は赤ちゃんが泣いている理由がわかるようになる。鳴くことで呼吸が深くなり、呼吸のコントロールができるようになり、発声学習ができるようになったのではないだろうか。大きな鳴き声を出すには呼吸の制御が上手である必要があるため、泣いている間にうまく呼吸しなくてはいけない。大きな声で泣くということはよく成長している証しでもある。

赤ちゃんの泣き声でなんとなく言いたいことが分かるようにヒトは今でも音でコミュニケーションをしている。家畜やペットの体調や気分を音の抑揚やリズムで判断したりコミュニケーションをとる人も多い。子供の声の抑揚で調子や本音を汲み取る母親も多いし、夫の嘘や不倫に感づく人もいるだろう。

音楽は子供から大人までの楽しみでもあるが、合奏などのように「集団内の絆を深めてくれる。いつでもどこでも音楽が聴ける時代にも関わらず、ライブやフェスには多くの人が集まり一体感を味わう。youtubeで検索すれば分かるように音楽の力を使って元気になったり、癒されたり、集中したりしようとする。

どの国にもその国の伝統的な音楽や楽器があり、音楽は国境を越えると言われるほど異文化交流の肝となっている。海外を旅していた経験がある人なら音楽があれば言葉がなくても仲良くなることを知っているだろうし、宗教的な儀式には伝統的な楽器による神秘的な音楽がつきものだ。

音楽の起源に対して科学者の誰もが納得いく定説はまだないが、動物学者小原秀雄が言うように、人間の文化は動物の生活の延長線上に築かれたもので、動物の生態の中に人間の歌となる可能性の基礎があるはずだ。

ダーウィンは発情期に異性を惹きつける本能によって生まれたという。文化人類学者タイラーが呪術や宗教的な目的のために生まれたというのも、音楽が人間に特別な力を宿すもしくは引き出す力を認めているからこそだ。多くのサルや鳥が鳴き声で求愛する。そして人類は民族によって様々な楽器を発明した。

日本では昔から音の力を使って、仲間とも神様ともコミュニケーションをとってきた。音を楽しむ音楽の「楽」という字はクヌギの枝先にドングリが鈴なりになった様を表す象形文字で、シャーマンが打ちふる鈴の姿からきている。現代の神楽鈴で、「鈴なりのトマト」の鈴はこれである。鈴木という姓の由来の一説には稲霊の依代として田んぼに立てた鈴のついた木。全国の鈴木さんの先祖は鈴の木を用いて稲霊を祀る一族だったのかもしれない。

東日本の縄文遺跡からは土鈴が出土する。粘土で形を作り焚き火で焼いた。鈴は古来神霊の魂を活性化させる御魂振りや鎮魂の御魂鎮めなどに鳴らされる呪術的音具である。

縄文時代中期の山梨や長野を中心に「有孔鍔付土器」と名付けられた不思議な土器がある。酒造りに適した土器だが、生皮を張れば太鼓にもなることから楽器として利用されていた可能性が示唆されている。

日本語もまた世界の言語と比べると変わった言語である。日本人は日本語という「平仮名と片仮名の表音文字」と「漢字という象形(表意)文字」両方を使いこなす不思議な民族だ。両方使いこなすのは世界中でも日本だけ。つまり音と形をどちらも巧みに組み合わせて情報を伝える。韓国は昔は漢字と表音文字であるハングルを使いこなしていたが、現代ではハングルだけに統一しようとする。

また日本語のオノマトペが豊富なことも特徴的だ。全て合わせると5000語以上あるともいい、気持ちや感情を伝えるばかりかモノや心の性質や感触までも伝える。逆にオノマトペがなければ伝えるのが難しいと感じる日本人も多いだろう。

言霊は万葉集にも載っている日本で最も古い言葉の一つだが、言霊は音霊と形霊の二つに分けられる。楽器から奏でる音で神意を訪ねたり、力を借りたりしたように、音はヒトばかりか他の生き物たちに良い影響も悪い影響も与えるものだと考えていた。

それは和やケガレといった言葉と同様に古代から日本人が持ち続けている思想の一つ。平安時代に「アシ」は「悪し」に通じるという理由で「ヨシ」と呼ばれるようになったが、現代でも口にすることが憚れる言葉はたくさんある。

また天皇家や貴族、武士達は本名を隠したし、ファーストネームで呼ぶことはタブーだった。なぜなら呪いをかけられることを恐れたからである。面白いことに明治時代の法律には「呪いをかけること」を違法としていた。逆に言えば子供の名前を真剣に考えるのは、その名前を呼ぶことで力を与えることができるからである。名前はその人が一生のうちで最もよく聞くものだから、音霊を信じる人々にとって重要であり最初の贈り物だった。

音霊は決してヒトに聞こえるものだけとは限らない。国立精神・神経医療研究センターの本田学さんによれば、人間の安心感には聴音波(16kHz以上)の存在が大事だという。

土の中にいる生物は主に超音波を使って情報を集めていて、超音波が聞こえているということはさまざまな生物が常に動いている証拠で、環境が安全である証拠だ。そのため祖先がモグラのような生き物だったヒトも超音波があるということは安全を伝える信号になっている可能性がある。直接耳で聞こえなくても身体の何かしらの受信機で超音波をキャッチしていることも分かっている。

CDは44.1kHzで音をサンプルしているが原理的に再生できる音の高さはその半分以下になり22kHz以下の音しか伝えていない。人間は22kHz以下の世界にいるとイライラが増してしまうという研究報告もある。

楽器は耳に聞こえる音だけではなく、その整数倍の音をたくさん出す。
ヴァイオリンで高い音は50kHzくらいまで出る。つまりCDなどのデジタルの世界では省略されてしまう超音波が楽器の生演奏では奏でられているのだ。コンサートホールでの生演奏で心が穏やかになれるのは楽器が出している超音波のおかげでかもしれない。しかし都会では超音波を出す生物を徹底的に追い出していしまったのだから、都会人はストレスフルなのかもしれない。


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