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愛に気がつけば、人生は楽になる


<畑の哲学>愛に気がつけば、人生は楽になる

自然農のみならず畑初心者によくありがちな失敗例はたったひとつのことで解決できるばかりか、事前に防ぐことができる。
それは「タネ袋の後ろを見ること」だ。たった手首を捻るだけ。1秒もあればできる。
文章を読むにしても数分もあれば十分なのに、びっくりするくらいしない。
たぶんこれを読んでいる人の多くはドキッとしているのではないだろうか。

多くの初心者にある勘違いが、自然農(自然栽培)は特別稀有な方法だから特別稀有な情報が必要だという勘違いだ。たしかに慣行栽培や有機栽培の常識や姿勢では全くうまくいかない。
これもまたよく勘違いされることだが、慣行栽培→有機栽培→自然栽培(自然農)というような流れには決してならない。むしろ、有機栽培をしている農家さんも畑も自然栽培(自然農)に切り替えるのが非常に難しい。

がしかし、だ。
慣行栽培も、有機栽培も、自然栽培(自然農)もすべて元を辿っていけば必ず自然の摂理にたどり着くし、もっと辿っていけば必ず「植物への愛」がある。栽培方法が樹木の枝葉なら、自然の摂理は太い幹で、植物への愛は根っこだ。植物への愛がない人は自然農どころか畑そのものに向いていない。

だから畑初心者は一番はじめに自分自身の「植物への愛のなさ」に嫌というほど向き合うことになる。
あなたがもし失敗したとしたら、それは決して知識や技術、経験の無さではない。植物への愛が足りないのだ。

私は自然農を実践し始めてもう7年目になるが、それ以前は慣行栽培や有機栽培の現場にいた。
そこで学んできたことは今の実践に役に立っている。学んできたことは植物への愛の注ぎ方である。

愛というのは心の問題ではなく、心とスキルが合わさったものだ。
エーリッヒ・フロムの名著「愛するということ」でもはっきり「生きることと同様、愛は”技術”だ」と言い切っている。意識と行動は深く結びついている。植物への愛が行動に出てしまうのだ。愛は内側からどうしても溢れ出てしまう。愛のなさもまた行動に出てしまう。

私も今だにたくさんの失敗をする。そのたびに植物への愛の足りなさを自覚し、より観察を深め、調査し、研修していく。そのサイクルを通して、植物への愛はさらに育まれていく。

そんな植物への愛についての話と「タネ袋の後ろを見ること」がいったいどういう関係があるというのか?

その答えはシンプルだ。タネ袋に後ろには愛が詰まっているからだ。
そこに載っている情報はそのタネを育成してきた人が、そのタネの特性や個性を研究し、彼らが無事に育つために必要なことを誰でも理解できるように扱えるように、丁寧に書き残してくれた情報なのだ。

それはまるで、自分の子供を預かってくれる小学校の担任の先生に、自身の子供についてあれやこれや詳細を伝える両親のように。

そんなタネ育成者の愛を、畑初心者の多くは無視をする。まるで「そんなことは知りません。私の好きにします。」と言わんばかりに。適した時期にタネを蒔かず、適した環境を用意せず、適したケアもしない。
「地球への愛」を語る人に限ってそういう人が多いのもまた悲しくなる。

あなたが自然農ができないのは、自然農の知識がないからではない。
技術がないからでも、経験がないからでもない。植物への愛が足りないからだ。まずはそれを認めることから始めよう。

そして、その植物への愛はもうあなたも周りにあふれている。
タネの袋ばかりじゃない、本やインターネットにもたくさんある。
誰もが植物への愛を通して学んできた、調べてきた、研究してきた集大成である。いったいその情報を獲得するのに、どれだけの時間と労力がかけられてきたのか、想像してみてほしい。どんな栽培方法だろうとも、そこに植物への愛がなければ獲得できない情報ばかりだ。

あなたの周りに溢れている愛に気がつかないと人生はハードモードになる。愛に気がつけば気がつくほど、人生は楽になる。愛について哲学を深めた現象学派のマックス・シェーラーはこう言う。「愛こそ、貧しい知識から豊かな知識への懸け橋である。」

ぜひ自然農を通して植物への愛を育んでいってほしい。
俺の講座は自然農ができるようになるよりも先に、植物への愛が深まっていく。植物への愛だけが、農を可能にする。

だから、私は講座でこう言う。
「自然と調和した暮らしとは、知れば知るほど豊かになる暮らしだよ」と。

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