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山と海をつなぐ世界重要農業遺産


<山と海をつなぐ世界重要農業遺産>

~石川県 能登の里山里海~
「人と山、人と海とか共生する日本ならではの農業風景」

周囲を海に囲まれた能登半島では平地が少なく、広い農地の確保に不向きな場所でも、その地の利を巧みに活かし山の恵みと海の恵みを頂いてきた。地形に合わせて集落が築かれ、周りを水田や畑、その周りを林地、草地、湿地、ため池(約2000箇所)が取り囲み、水路が四方八方に伸びて、それらを有機的につなげる。水源が確保できる山の斜面には棚田がびっしりと並び、谷状の細長い地形には谷津田が作られ、広くなりがちな法面の草は堆肥としても家畜の餌ととして利用された。山に降った雨水はゆっくりと田んぼを潤しながら、海へと余分な栄養分を運ぶ。

能登半島の東側は西から流れてくる日本海の荒波が寄せる外浦と呼ばれ、西側は半島によって荒波が遮られるおかげで穏やかな内浦と呼ばれる。この二つの海の性質が能登半島にはさまざまな海中生物と、伝統的な漁労を生み出し、百姓は自ずと半農半漁の生業を営んだ。

山からの栄養分は海の生き物を育み、外浦ではサザエやアワビを獲る海女漁、ナマコ漁、岩牡蠣漁、岩のり漁など発展し、内浦の牡蠣の養殖、砂浜では伝統的な揚浜式製塩や河口ではイサザ(しらうお)漁、沖合では定置網漁が現代でも受け継がれている。イサザは海で成長し、春になると産卵するために川をのぼってくるサケのような存在で、陸に海の栄養分を届ける。

能登半島に秋の終わりにもなると、里山に約300種ほどの渡り鳥がやってくる。中継地として利用する種もいれば、その場で越冬する種もいる。日本海側の里山は二毛作ができるほど暖かくないため、水田に水を引く冬期湛水を行うことで、土中内の生物を寒さと乾燥から守り、そして渡り鳥の貴重な餌となり、排泄物は里山の土に還り、そして来夏のコメとなる。

日本の里山の微気候の複雑さは世界でも稀だが、能登半島はさらに複雑さが増す地域だ。さらにモザイク状の土地利用によって集落と田畑、雑木林のエッジ面積は広がり、多様な野菜と山菜をもたらす。能登の風土を生かした野菜は能登野菜と呼ばれ、金糸瓜や中島菜など17種が認定されている。夏涼しい海洋性気候が山菜には適しているため、ふき、わらび、ぜんまい、うど、かたは(ウワバミ草)、あさつき、せんな(葉ワサビ)、こごみ等の山菜が豊富に採れる。

特に秋のキノコの種類は豊富なことでも知られている。日本海側でも海に近い地域は日本海流の暖流によって、暖かさが山地に比べてあるおかげで自然遷移が進みやすいからだろう。ブナ科のコナラやクヌギといった樹木は防風・防災としても、炭や薪として貴重な雑木林を担った。また、大陸からの冷たく強い吹く季節風に対して間垣と呼ばれる独特の竹囲いも生まれた。

伝統的な炭焼きも現在まで受け継がれている。また社叢林や鎮守の森には能登の極相林であるタブやシイなどの照葉樹林が残り、里山周辺との境界にケヤキなどの広葉樹林、里山には植えられた雑木林や針葉樹林がモザイク状に広がる。

石川県の県木に指定されている「アテの木」はアナスロ変種であるヒノキアナスロ(能登ヒバ)で、美しい樹形と建材利用、切子灯篭の主材料、そして葉を日本料理のツマ利用のためによく植えられている。伝統工芸の輪島塗では用途によってケヤキ、アテ、ミズメザクラ、トチ、ヒノキ、キリが使い分けられるが、それもまた多様な地形と気候が生み出す多様な植生のおかげである。

輪島塗は輪島にある小峰山から出る粘土を焼いて作る「地の粉」が使用されている独特の漆器である。この地の粉を下地に使うことで非常に丈夫な漆器となる。輪島塗は20工程、総手数は100回にも及ぶほどの丁寧な手作業による塗り重ねによって、丈夫さだけではなく美しさ、使い勝手の良さが魅力だ。また木地の外側や損傷しやすい部分に漆で麻布を貼る布着せの技法も輪島塗ならではの工程。

多様な食材は多様な発酵食品を生み出す。北陸の地酒や近年増えたワインの銘柄はもちろんのこと、コメが発酵するときに乳酸で魚のタンパク質を貯蔵し、酸味を魚に移すて食べる「なれずし」や輪切りしたカブにブリの切り込みを挟み、米麹で漬け込んだ「かぶらずし」など海と陸を発酵が結ぶ伝統的な発酵食品がある。

日本三大魚醤の一つ「いしる(いしり)」は日本海で採れるイカや魚を原料とした能登独特の調味料で、刺身醤油や煮物の隠し味など郷土料理に利用される能登の味である。外浦ではイワシやサバ、内浦ではイカなどその各漁港で最も多く水揚げされる魚介類を余すことなく利用し、呼び方や製法にもそれぞれ違いがある。初夏に仕込み、盛夏の高温多湿で発酵させ、秋から冬の冷たい乾いた空気で熟成させる。樽のまま数年寝かせてすっきりした風味になる季節の移ろいによる温度変化と気候を巧みに活かした製法である。

北陸の高温多湿の夏と豪雪の冬を乗り切るために発酵食品だけではなく、人々は盛んに風を利用した。地域によって干物に利用される風をよく知っていて、その風を「下りの風」や「あえの風」などの名前をつけて呼んでいた。能登では豊漁や豊作、幸福をもたらす風全般のことを「あえの風」と呼んでいた。この風に野菜や山菜、キノコ類、果物類(梅干し、ころ柿、銀杏)、魚介類(キンコ、干しクチコ)を当てて水分を抜き、保存し、料理に活かしてきた。炭焼きや家庭で出る灰が山菜のアク抜きのほか、灰干しワカメや海ぞうめん(ベニモズク科の紅藻)の加工にも利用された。

奥能登には「あえのこと」と呼ばれる田の神様への感謝行事が、各家庭ごとに行われる。田の神様は夫婦神であるために食事は2食用意することと、農作業を終えた12月ごろに行うことだけで、お供えする物に決まりごとはない。ユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。
収穫が始まる7月から10月にかけて能登の各地でキリコと呼ばれる祭りが開催される。高さ4~6Mほどの「切子灯篭」と呼ばれる和紙や木で作られる盆提灯で、ルーツは仏教の浄土真宗にある。地域によって200種類以上にも及ぶ多様な形をしている。特徴的なのは角を落とした多面体の火袋で、籠目模様で悪霊を払い、隅につけられている垂流によって無縁の精霊の魔を除ける。全国に切子灯篭の文化はあるが、祭りとして競ったり暴れる祭りはここにしかない。

「よぼし親」制度
平安時代から農村を持続させるための義理親子関係で全国各地に様々なスタイルで行われてきた。能登では遅くても江戸時代には定着していて、現在でもその関係が残っていて、烏帽子がなまり「よぼし子、よぼし親」と呼ばれている。

烏帽子は、もともと元服(成人)する時にかぶる帽子のことであり、この親子関係を結ぶ時期も成人に達したとき。奴隷制度とは全く違うもので、一度親子関係が成立すると実の親子と同様の関係が続けられ、盆と正月ないし暮れの年二回、よぼし親はよぼし子を招いてともに交流する。こうして、一度親戚関係を結んでもその関係が疎遠になるのを防ぎ、成人に達して以降の相談相手になり援助してもらうため。
 よぼし親子は親の農業や漁業を、子は給料をもらわず労働力を提供したり、冠婚葬祭を手伝ったり、雪囲いや茅葺の葺き替え作業などの奉仕をする。親は子の保証人でもあり、教育者でもあり、精神的な支えともなる。経済的、物質的なサポートを行いながら、実親には相談できないことにも相談相手となる。こうした相互行為が無くなれば奴隷関係に近くなるが、それは社会的に非難されるため、よぼし親子は地域集落の秩序維持や共同体意識の醸成に役立ってきた。江戸時代に残っていた師弟制度にも通じるし、暖簾分けやウーフにも似た制度。

~大分 国東半島宇佐地域 クヌギ林と溜池がつなぐ農林水産循環~

「雨の少ない土地で育まれた、森林資源を活用した持続可能な農業」

瀬戸内海に囲まれた国東半島は、山地が海岸線の近くまでひしめく地域で日本の平均雨量約1700mmを下回る1500mmほどしか降らない少雨地帯。そのため、急な勾配の河川が一気に海へと下ってしまうばかりか火山灰土壌は雨水が浸透しやすいせいで、半島全体が水不足になりやすい。この地域には多くのクヌギ林が残され、全国のクヌギ蓄積量のうち22%にも及ぶ大分県内でも、林地に占めるクヌギ林の面積の割合が高い地域。この山地で15年ほど成長したクヌギを原木シイタケ栽培に利用しながら、その切り株から新しい芽が出る切り株(萌芽)更新によって森を守りながら森を活用してきた。

数年間広葉樹林内で、シイタケ栽培の原木として利用されたホダ木はその場に還されることで、さまざまな生き物の住処として餌として利用され、分解されると落ち葉とともに土に還り、また森を育てる。その豊かな土は保水力に富んだふかふかの土となることで、山に水とミネラル分を蓄えてくれる。この水は水田を潤し、河川を潤し、最後はテングサなどの藻場を潤し、海の生き物たりを育む。もちろん、人々はドジョウやガザミ、車海老、ちりめん、マガキ、カレイなどその豊富な水産物を食してきた。

またこのクヌギから作られる茶の湯炭は細かく綺麗な菊割れが出やすく、火持ちが良い、お茶の鉄釜にちょうど良い火加減をもたらす。そのため茶会などでこの菊炭は重用されている。

半島の中心にある両子山から放射状に尾根と谷に、それぞれクヌギ林と溜池を作ることで、土砂崩れと防ぎつつ、貴重な水を貯め、生活用水としても農業用水としても利用してきた。特徴的なのは河川ごとに平均して3.5個の小規模な溜池を作り、それらを連携させた用水配給システム。分散し、それらを連携することで安定した水量を確保することができる。そのための知恵や技術は百姓たちに受け継がれ、共同で作業と管理をし、「池守り」と呼ばれる代表者が地区内で毎年選ばれて、指揮をとる。水不足が起こりやすい地域だからこそ、お互いの水田を平等・対等に満たし、貴重な水を効率的に分配することで各集落は絆を強めていった。

水田にはシチトウイと呼ばれる植物も栽培される。これは畳表の原材料の一つで、耐久性の高さから柔道用畳として現在でも利用されている。現在ではイグサよりも火に強い性質から寺院や高級和室にも利用され、地域内では年中行事のお飾りや伝統工芸品、生活必需品などに加工される。

水の貴重さから水神信仰が盛んな地域でもあり、全国に4万社ある八幡宮の総本宮・宇佐八幡宮とその神宮寺の弥勒寺の僧が開いた寺院群による神仏習合の「六郷満山文化」(六郷とは両子山系から放射状に延びる谷筋に沿って成立した武蔵、来縄、国東、田染、安岐、伊美の6つの郷)が花開き、農耕にまつわる民俗行事や食文化が受け継がれている。豊作を祈る行事の主催が寺院で、僧侶が鬼に扮装して舞踏を奉納する珍しい光景が見られる。


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