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真夏の草刈り


<真夏の草刈り>

草を刈っては敷く。ただそれだけが自然農のポイントなのだが、そうは言ってもただ闇雲に草を刈って敷けばいいわけではない。あくまでもその年の天候や野菜の様子を見極めて、草刈りの具合を変えていく。

それがはっきりと観察して見て取れるのが、梅雨明け以降だろう。もともと旧暦七月(新暦八月)は水無月と呼ばれるように、雨が少ない季節だ。一年中何かしらの形で天から水が降り注ぐ日本でもこの季節は水不足になりやすい。

梅雨明け以降に2週間3週間ほど、台風も来なければ夕立も降らないような年がある。そういう年は草刈りをしない方が野菜にとって好都合である。なぜなら、雑草が朝露夜露をキャッチしてくれるからだ。実際に早朝や夕焼けで明るい夜に畑を歩いてみるとよく分かるだろう。ズボンの裾やサンダルがしっとり湿る。

私はたいてい梅雨明け宣言が出ると同時に山籠りのために遠征してしまう。10日から14日間ほど畑には誰も来ないし、誰も草刈りもしないし、誰も水やりをしない。それでも遠征から帰ってくるとたんまりと夏野菜が実っている。

こういうときは逆に雨が全然降らない年の方が実りが多い。逆に台風や夕立による雨が多い年はこれほどの期間開けておくと、雑草が野菜を覆ってしまい、探し出すのが大変なばかりか、病気になっていたり虫が大量発生しているため、実りが全然ない。

そのため、私は遠征先では山の天気を逐一チェックすると同時に家の天気もチェックしている。その天気を見て畑の様子を想像する。なのでどちらの天気をチェックしても一喜一憂してばかりだ。

この草刈りの具合に関しては「教える」ということは実質的に不可能である。毎年のように観察と実践を繰り返し、野菜の様子を観察し、虫の様子を観察し、実際に実った様子を見て、学んでいくしかない。過去の畑ノートが実によく役立つ。

たった一言「雨が降った」と言ってもそれがどのくらいの雨を畑に降らせ、どのくらいの水分が大地に吸収されたのかは科学的に実測することができても、それは毎年同じにはならない。数字や言葉という記号では決して掴み取ることができない。

草削り、地際刈り、高刈りなど刈り方だって、その具合や精度は人それぞれであるし、刈ってから数日もすれば刈られた雑草の様子は変わる。それによって朝露夜露のキャッチ具合も変わるし、草陰具合も変わる。

しかし一つだけ自信を持って答えることができる。それは自然農ができる土(団粒構造の土)を作っておけば、雨がたとえ2週間ほどまったく降らなくても、死ぬことはないということだ。これが自然農の最大の強みでもあり、密植・混植のメリットでもある。

慣行栽培の畑のように砂漠という環境を作り出してしまうがために、水遣りが必要となる。私はいまだに一度も畑に水を撒いたことがない。

野菜の根に心を配り、地中深くまで伸ばしておけば水が切れることはない。野菜を健康な状態で育てておけば、空気中の水分もしっかりキャッチできる。

「雨が降らない降らない」と嘆くのが自然農法家の仕事ではない。一流の職人は決して天気のせいにしない。一流の農家は土作りに励み、根に根性をつけ、彼らがか輝く環境をつくるために、野良仕事に励む。結局のところ、その積み重ねだけが農家を裏切らない。

もちろん、真夏とはいえ雨が降るとしはこまめに草を刈っては敷く。それときに梅雨時のようにしっかりと。その年の天気や気候、そして野菜の特性に合わせて。

「雨後の筍ならぬ、雨後の雑草」。雨の後の雑草の成長スピードは梅雨以上に早い。だからこそ、突然の雨が降ったら雑草をこまめに刈ろう。また「雨後の筍ならぬ、雨後の野菜」。雨が降った後の夏野菜の成長スピードも速い。彼らにたっぷり水を飲んでもらうためにも、雨が降ると分かれば先に雑草を刈っておこう。

このように本来は毎日毎日夏空を観察して、こまめに畑に行く季節である。だから私のように2週間近くも畑に行かなくなるということは職人からすればあり得ない話だろう。農家として認めてもらえないに違いない。そして今の私の様子を知れば師匠は怒りだすだろう。お前は一体何をしてるんだ、と。

というわけで、私はいまだに堂々と「農家」とは名乗れないのである。


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