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虫愛でる民族


<虫愛でる民族>

『堤中納言』に「虫愛でる姫君」というお姫様が登場する。
これはその字のごとく虫を愛した変わり者の姫なのだが、これがモデルとなったジブリの主人公こそ「風の谷のナウシカ」である。
ナウシカが作中で虫を愛し、虫を家族のように扱う様子は海外では異質と受け止められてそうだが、日本人なら多くの人がすんなり受け止めたに違いない。もちろん、虫嫌いな人は例外として。

古来から日本人は虫を愛でてきた。「虫聞き」は平安時代から行われている野山や庭先で秋の虫の声を聞きながら、秋の訪れを感じる風雅な習わしである。江戸時代には花見や月見、菊見、雪見と並んで庶民の一般的な楽しみだったようで、お酒やお弁当を携えて、広場や池に出かけていった。

江戸時代には虫売りという商売があり、スズムシやキリギリス、ホタルなどを売って江戸の街中を歩いていた。商売相手はもちろん子供と、子供のような大人だっただろう。それは今も変わらない。数十年前まで祭りの屋台には鈴虫やカブトムシが並んでいたし、カブトムシなどがこれほど高価で取引される国は他にはないという。日本では夏になれば、どこの地方のコンビニに行っても必ず虫カゴと網が売っている。昆虫食の文化は世界中にあるが、虫捕りを楽しむ文化がある国は日本だけである。

日本は世界でも多種多様な昆虫が棲んでいるが、これもまた夏に雨が多いおかげだ。昆虫といえども陸上の乾燥は最大の敵である。変温動物は気温が暖かくないと生きていくことができないが、気温が高いところは水分の蒸発も早い。そのため定期的に雨が降る地域は昆虫にとって繁栄するチャンスが多い地域である。

昆虫たちは何億年も前から地球上に生息しているが、現在のように植物を食べる昆虫が多様化したのは広葉樹が現れてからだ。実際に針葉樹を食べる昆虫は少ない。広葉樹の種類が多い日本では森林内にも多種多様な昆虫が棲みつく。虫捕りを楽しむ人を虫屋と呼ぶが、虫屋にとって日本は聖地そのものである。自然農をする人の中には、虫が観察したくて、無農薬で栽培しているという人もいるくらいだ。自然農の畑には世界中の多種多様な草と日本の自生種が入り混じるおかげで、昆虫観察のホットスポットだという。そういうヒトに限って野菜はあまり食べない人が多いのは不思議な話だが、よく聞く。

日本人にとって身近な虫は日本文化にも深く関わっている。その代表的な文化が虫送りだろう。全国各地でさまざまな形で受け継がれているこの行事は、虫追い、田虫送り、虫流し、実盛送りといろいろな名前がある。

源平の争乱で活躍した斎藤実盛は「この戦こそ我が最期」と臨んだ木曾義仲軍との戦いで、不運にも乗っていた馬が稲株につまずき、敵に討ち取られた。そのとき「亡霊必ず悪虫と変じ、五穀の成就を妨げん」と言い残したという伝説が元となっている。

私からすれば勝手に田んぼの上で戦を繰り広げた上に、祟りの相手が武家ではなくて農家であることに理不尽さを感じるが、実盛の祟りの相手は農家ではなく稲そのものということなのだろう。この実盛虫の正体こそがウンカという小さなセミのような虫で、稲の害虫である。大量発生すれば病気になるどころか枯死させてしまうほど恐ろしい害虫の一つである。

蝗害(こうがい)という言葉は中国ではイナゴやバッタの襲来のことを意味するが、日本ではその他にこのウンカの襲来も含まれている。

もともと、ウンカは日本に住んでいない。中国大陸や東南アジアで発生したウンカがはるばる日本へジェット気流に乗ってやってくる。タイミングはこの時期に発達する梅雨前線に伴う低気圧と一緒に、つまり風雨とともにやってくる。たった5mmほどの小さな虫にとって風はエコな乗り物となる。そのため、ウンカは雨上がりに忽然と姿を表す。その様子こそ、悪霊が黄泉の国から現れたように思えるのだ。しかも、ウンカをよく観察してみると烏帽子をかぶって甲冑を身につけているかのようにも見える。

生息地が遠く離れていて、ジェット気流によって運ばれてくる以上、日本ではその法則性を見出すことは難しい。だからこそ、祟りや災いとして昔の日本人は向き合ってきた。そこで藁で作った大小様々な人形を川へ流したり、燃やすことで害虫避けを願う行事がどこの地域にもあった。西日本では「実盛送り」と呼ぶ地域が多い。他の地域では「虫追い」「虫送り」と呼ぶ。

「飛んで火にいる夏の虫」というようにウンカなどの害虫は夜の街灯に集まるように松明の火に集まって自ら死んでいく。そして村の境まで虫を送り届けて、天へと還ってもらうのである。

昔から悪霊退散と神送りの混同がよくあった。田の神が登ってゆくときに虫を託す。「サネモリ」は「サノボリ」であってウンカを送って行く行事でもあるが、田の神送りの行事でもあったのだ。「サ」は田んぼの神様、稲の魂を意味する言葉である。

日本の神社には他国にはない面白い側面がいくつかある。そのひとつが鎮魂である。災いや祟りをもたらす悪霊を神様として神社に祀り、その力を鎮めるのである。

「飛んで火に入る夏の虫」にはもう一つの意味がある。それが「自分から進んで危険や災難に関わりあうことのたとえ」である。どういうことか。

この虫送りが全国で町をあげた神事となった時代は江戸時代である。この時代はお米の増産が著しい時代でもあるが、百姓の時代でもある。百姓たちは決して武士の下で働く農奴ではなかった。むしろ、百姓一揆などに代表されるように、百姓に誇りを持ち、武士と対等な関係を築いていた。

百姓たちは村で自治を行いながら、藩への租税も納めていた。しかし、不作の年やまとめ役の不正などによって苦しい暮らしになると、一致団結して幕藩へ平和裡に訴状を行なったのである。当時少なからず行われていた百姓一揆自体は禁止されたものだった。そのため、たとえ百姓に落ち度はなかったとしてもリーダーは罰されたのである。しかし、百姓一揆によって租税の調整や政治の改善がなされたことで、村の暮らしは再度平和が訪れる。そこで村人たちは犠牲となった人々を神社に祀るのである。

現在、奥津軽五所川原市の「虫と火祭り」、小豆島・中山地区の「虫送り」、三重県の丸山千枚田の「虫送り」の3箇所で町をあげて虫送りを受け継いでいる。共通点は藁と火を使うこと、夜に練り歩くこと、子供の行事だったということなど。期間も6月の中旬から7月頭にかけて行われている。

もう一つ面白文化が「虫供養」だ。多くの虫を研究のために殺してしまう研究者や殺虫剤などの農薬開発を行う会社では定期的に虫供養の行事を行う。愛知県の知多地域では無形文化財として受け継がれている。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があり、祖先や偉人が虫に生まれ変わって私たちの周りに現れる世界観において、虫は同じコミュニティの成員である。

自然農では「虫を敵としない」というが、それは虫を無視するのではなく、同じコミュニティの仲間として活躍してもらうことであり、犠牲になったとしても想いを寄せることを意味している。

自然農を始める人の中には虫が嫌いな人が案外多い。しかし、虫がいないということ自体が不自然なことであり、生物多様性が失われている証拠でもある。「虫を好きになれ」と言うつもりはないが、彼らの命と魂を尊重して、そのままにしておいてあげてほしい。

日本語には虫にまつわる言葉も多い。その中で私が好きなのは「虫時雨」と「忘れ音」である。虫時雨とは秋が深まる頃に聞く虫の大合唱のこと。まるで大雨の音のように賑やかに鳴き合う様子をいう。雨は上から降るが、虫時雨は下から沸き立つのが面白い。

忘れ音とは晩秋から初冬にかけて、細々と絶え絶えに鳴く虫の声で、奥ゆかしさと寂しさが溶け合ったような大和言葉。「残る虫」とも言い、騒がしかった夏の虫時雨から次第に鳴き声が減り、全く聞こえなくなる冬をもう少しで迎えるときに、使う言葉だ。虫が嫌いでも虫の声に耳を傾けて、風情を味わいたい。

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