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移住に新しい価値を見出すー 変わっていく「移動」の概念と生産性の話


今回のブログでは、移住を考えている人が必ず考えるであろう「移動」というトピックについて投げかけてみたい。

新幹線通勤が日常化する

私たちもそうであったけれど、都会から移住する場合、必ず東京やその他の都市部への「移動手段」が最重要事項になってくる。私たちの場合、飯綱高原に住んでいるので、まず、車で長野駅近くの駐車場まで行き、駅まで歩いてから北陸新幹線に乗る。自宅から東京駅まで2時間位だ。

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(画像:wikipedia.org 北陸新幹線)

私の上質な「1時間20分」

長野ー東京間の移動では、全席指定の北陸新幹線「かがやき」を一番よく使う。そして着席して数分後から、終点の東京に到着するまでの車内は、物凄く集中できる時間になる。
ほとんどの場合、乗車する時間帯にもよるが、隣には誰も座っていない。よってゆったりとした空間が確保でき、電源もある。また長野ー東京間で、4Gの電波が届いていない区間は無いので(2020年10月上旬時点のSoftBankの場合)、この新幹線移動中は、かなり心地のよい作業空間が得られる。

私は昔、ロンドンで金融マンをやっていたが、ロンドンから出張をする場合、1ー2時間飛べば西欧州はほぼカバーできた。そのため移動時間に合わせて、日常の作業を溜めておくこともあった。今の私の生活における「1時間20分」の移動も、まさにそれだ。
だから私は、この移動時間を楽しみにするようになり、この時間は上質な作業時間という貴重な事業資源となっている。

交通機関の時間が良質なのは、日本特有の資産だ

この新幹線の移動時間は、特定の作業が溜まっていない時も、静かに物事を考えるのにも適している。同じ1時間20分であっても、通勤電車のように揺れが大きすぎたり、混雑したり、空調が体に合わないような環境では、その時間はいとも簡単に「苦痛」以外のなにものでもなくなる。

海外にくらべれば、日本は本当に恵まれている国で、新幹線だけではなく、上質な空間が用意されている長距離路線が色々あるのだ。そのアセットを使わないのは本当にもったいない。だから1ヶ月に何度も新幹線通勤をするようになると、それに合わせた「今までにない働き方」が生まれてきて、適応する自分がいる。

とくに私のようにすぐ気が散ってしまう人には、好都合だ。作業を終わらせなければならない時間が明確に決まっている心地よいプレッシャーの中で、まったく邪魔されずに集中できる時間が得られることになる。


自動運転化は田舎の価値を変えるはず

今後早ければ数年後、または私がこの世を去った後になるかもしれないが、自動車のほとんどが、完全自動運転化される時代が来る。それを前提に考えると、「移動距離」という概念はまったく塗り替えられるのだ。

ジェット機の到来によって60年代、70年代に多くの人々にとって海外旅行というものを身近になったのと同じように、自動運転はまた「人と人」「人と目的地」の距離を縮める。スピードが上がるという意味ではなく、身近に、気軽に、誰でも動けるようになる。(少なくともそう言った趣旨で、政府は推進活動を続けているはず。)

だから自動運転がもたらす影響は、もしかしたら都会よりも田舎の方が衝撃的なのかもしれない。都会に集中して住む必要性がかなり減るし、人々はさらに効率よく、ピンポイントに動き回れるはずだ。そうなってくると、住む場所については本当に選択肢が広がる。

見る人によって価値が違う、だから視点を変えよう

上に例にあげた「新幹線が日本特有の良質な作業時間だ」とか「自動運転ができれば田舎の価値は上がる」とかは、そういう見方ができない人にとっては、まったく無価値なものに意味付けをしていることになる。

移住というのはそういうことなのではないかと思う。誰も目をつけていなかったことや、考え方や、コンセプトに、新しく意味づけをし、新しい価値を見出す。そうすることで、他の人が到達できない領域に到達する。
すでに移住を経験し、その価値を享受している一人として、単に政府が移住を促進するから、ではなく、「新しい意味づけを探して」自分のものにしようという猛者たちが、どんどん移住という文脈をハックしていってくれることを願う。

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