見出し画像

文字ももじもじ 『文字渦』

昔、文字は本当に生きていたのじゃないかと思わないかい
p.140

「ゲシュタルト崩壊」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。
おそらく多くの人がご存じのことと思う。同じ文字をずっと見つめていると、「あれ、こんな文字だったっけ?」となる、アレだ。
(ちなみに「ゲシュタルト (Gestalt)」とはドイツ語で、「形態」や「まとまり」といった意味。つまり形のまとまりがバラバラになってしまうのが「ゲシュタルト崩壊」というわけだ)

試しに、「を」という文字で体験してみよう。下の文字群をしばらくの間、じっと見つめてみてほしい。

をををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををを

……どうだろうか? 「を」という文字が次第に、普段我々が使っている「を」であると認識できなくなってこないだろうか?
普段よく目にしているはずのものの正体がわからなくなる。何だか奇妙で、少し不安になるような体験である。

さて、なぜこの話をしたかというと、本記事で紹介する『文字渦』もまた、我々の普段使っている文字達の知らない側面を浮き彫りにしてくれるからだ。

そんな訳で今回は、円城塔 著『文字渦』について、そのあらすじ & 感想を述べていこうと思う。……のだが、やや込み入った話なので、初めに結論から申し上げよう。


今まで読んだ小説の中で五本の指には入るのではないか、というほどの面白さだった。


これはもちろん主観である。だが念のため断っておくと、私はそこそこ本を読む方だと思っている。特に小説は昔からコンスタントに読んでおり、今までに読んだ作品数は、少なく見積もっても数百といった桁になるだろう。その数百作品も、書店でさわりを読んで「面白そう」と感じたものに限るわけで……。

違う違う、こういう理屈っぽいことが言いたかった訳ではない。
要は、
めっちゃ面白い!!!!!!!!!!
ということである。エクスクラメーションマークを十個つけちゃうくらい。いやもう、ほんとに。


全体のあらすじ

本書は全12編から成る、連作短編集という形を取っている。
そのため、
 初めに、全体のあらすじ
 続いて、表題作のあらすじ & 感想
という順番で述べていこうと思う。

ただし、短編全て(12編)のあらすじ&感想というのは中々骨が折れるし、読者も読み疲れるだろうから、今回は表題作の紹介にとどめることにする。何卒ご了承頂きたい。
(その他の短編の紹介も読みたい!  等のご要望があればコメントをお願いします。別記事で書くかもしれません)


では早速、全体のあらすじから。新潮文庫の裏表紙のあらすじがまとまっているため、以下に引用させていただく。

始皇帝の陵墓づくりに始まり、道教、仏教、分子生物学、情報科学を縦横に、変化を続ける「文字」を主役として繰り広げられる連作集。文字同士を闘わせる言語遊戯に隠された謎、連作殺「字」事件の奇妙な結末、本文から脱出して短編間を渡り歩くルビの旅……。小説の新たな地平を拓いた12編、川端康成文学賞・日本SF大賞受賞。

上のあらすじにもある通り、本作の主役は「文字」である。
その文字達が、あたかも人間のように自我や質量を持って描写されるというのが、本書のユニークな点の一つだ。

各短編は30ページ前後と、比較的軽めだ。一話ごとにまとまった構成を持つものの、「連作」短編集であるからページ順に読むことをおすすめする。

ただし、短編どうしの関連は (例えば時系列順のような) 単純なものではない。初見では気づかないような、さりげないリンクが埋め込まれていたりするため、それを探すのも本書の楽しみの一つである。


表題作『文字渦』のあらすじ & 感想

『文字渦』は表題作であり、川端康成文学賞を受賞した当該作でもある。

始皇帝の陵墓づくりの際、陶俑 (とうよう) を作った「俑」と呼ばれる職人の話。「俑」というのは人型の等身大くらいの像のことを指す。

人の「俑」が人型をした「俑」をつくるということになり、若干ややこしい。もっとも前後は逆であり、俑をよくするために、俑と呼び名がついたのである。
p.10

この時点で著者の遊び心が見られる。「若干ややこしい」とあるが、かなりややこしいわ! と思ったものである (本稿では面倒なので以下、人物の方のみを「俑」と鍵かっこ付で表記することにする)。
ただし、これは単なる遊びの設定ではなく、後に文字自体が登場人物として表れていくことの伏線でもある。

さて、陵墓の陪葬坑に収める俑を作ることになった「俑」は、都市の人々を陶器に写すことを命じられる。しかし数多くの俑を作る過程で、個体の識別が問題になっていく。


以上が大まかなあらすじである。以下、感想。

『文字』という題名のルーツには、おそらく中島敦の『文字』という作品がある。この作品は、アッシリア帝国時代を舞台に、文字の精霊について研究していた博士が、文字の禍 (わざわい) に遭ってしまうといった作品だ。
(本筋から逸れるためにこれ以上の言及は避けるが、序盤にゲシュタルト崩壊らしき現象が登場したりと、中々奥深い作品である。青空文庫で無料公開されており、分量も非常に軽いため、気になる方は是非一読されたい)

ちなみに、近年のCOVID-19の流行は『コロナ』、すなわち禍 (わざわい) を使って表されるが、出てきた当初はしばしば『コロナ』と誤表記されたものだ。
これとリンクさせて考えると、本項で解説する『文字』がなぜ渦 (うず) を使ったのか見えてくる気がしないだろうか。

中島敦の『文字』は、文字の禍 (わざわい) についての物語だ。一方で本作『文字』は文字の禍 (わざわい) に焦点を当てたものではなく、おびただしい量の文字が流れを作り、目まぐるしく入り乱れている状態を、渦 (うず) と呼んで表したのだと考えられる。

また、本作 (に限らず他の短編でもだが) では形の似ている文字が扱われる (どんな漢字が登場するのかについては、ぜひ本文で確認されたい)。『文字渦』は、そのことも意図して名付けられた題名ともいえる。いやぁ、秀逸。


まとめ

さて、上に表題作のあらすじ&感想を述べたがいかがだったろうか。

正直、本書の魅力は十分に伝えきれていないと思う。

ただ、表題作の紹介にとどめたのは、長くなってしまうから、というだけではない。そもそも本作品は、どの短編もあらすじを述べるのが非常に難しいからだ。

文中で時系列が前後したり、実際の歴史の説明なのでは? と疑うようなレポート風の文章が登場したりと、初読ではある意味「置いてけぼり」にされるようなところがある。ただその、「置いてけぼり」感はそれはそれで癖になる。

細かいところはわからなくても、十分楽しめる。読んでいるとわかるのだが (これを未読の人に説明するのは難しい)、本書全体を通して、文字が自由奔放に踊っているような感覚が楽しめる。いわゆる、考えるより、感じろ! という文章である。
詳しい部分の考察がしたければ、それは再読時以降で良いのだ。

とはいえ本作は、著者の膨大な知識と出典に支えられており、しばしば難解な用語が登場する (『文字渦』で登場する「俑」や「陪葬坑」、「渭水」、「大篆/小篆」などの語がすぐにわかる人も稀だろう)。文庫版解説を添えている木原善彦氏も「ネットで調べながら」読むことを推奨しているほどだ。
この点に関しては私も木原氏に賛同したい。語のイメージがつくことで物語への没入感が格段に変わるからだ。
例えば、『文字渦』で登場する始皇帝陵の兵馬俑に関して、私は本書で初めて知ったのだが、googleで以下のような画像を見るか否かで印象は大きく異なるだろう。


世界遺産 秦始皇帝陵及び兵馬俑坑-780x440

画像出典:https://worldheritagesite.xyz/first-qin-emperor/


未読の方はぜひ、本書を読んで文字の海に浸ってみてはいかがだろうか。


ここまで読んでくださった全ての人達に感謝します。
どうか、共に生きていけたら。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?