見出し画像

父への想いが憎悪や恐怖から感謝や愛に変わった時、何が起きたか(後編)

前回は、父親のことについて、自己対話していったとろろまで書きました。

自己対話することで、父との関係の中でも、意外に良かったこともあったなと気づかされました。

そして、父の誕生日。

僕から誕生日のお祝いをされたことがないという父に、「じゃあメッセージでも送ろうかな(入院の報告ついでに…)」
と思い書き出すところからです😆

●父の誕生日にメッセージを送ることにした

誕生日祝いのメッセージだけれど、どうせならさっき自己対話した内容もふまえ、今まで思っていたことややって欲しかったこと、自分の気持ちなど、全部ぶちまけてやろうと思いました。

なので思いつくまま、父への想いを綴っていきました。

一部省略して載せておきます。
 

☆☆.。.:・゚:.。.☆☆.。.:・゚:.。.

◆父へ送ったお祝いメール

お父さん 誕生日おめでとう!

そちらはお父さんをはじめ、みんな元気にしてますか?

僕は実は今、入院しています。緑内障の手術のためです。

 ~病状について 省略~ 

……右目の手術は無事に成功。明日の左目手術もきっと無事に終わるでしょう。

ただ、大きな文字でないと読めないのと遠近感がつかめないので、結構困っています。

入院費やその間の生活費などに関して、お父さんが送ってくれたお金でとても助けられています。ありがとう。

それで入院生活のなか、いろいろ人生を振り返りました。

僕はあの中学受験失敗のときにお父さんに言われたことからとくに、お父さんが怖いし嫌でした。

それで他にもお父さんに威圧されたり怒られた事ばっかり思いだして、さらに嫌になっていました。

でもお父さんにさんざん助けられ、特にお金の面で沢山サポートしてもらっているありがたさとか、
お父さんの体調とか考えたりしているうちに、だんだんとお父さんとの良い思い出も思いだすようになりました。

例えばお父さんが昔吹いていたサックスがでてきた時、それでジャズの曲をふいてくれたり、

バリカンと掃除機で器用に髪を切って坊主頭にしてくれたり、

ビリヤードやボウリング、卓球などを教えてくれたり。

ゴルフの打ちっぱなしに行って、一緒にコースを周る話とかもしましたね。

小さいころ熱が出た僕のために夜中に医者を叩き起こして診察してもらったって話は、僕は覚えてないですがよく聞きました。

怖がりでU字溝をまたげなかったり、プールに入れない僕を案じてスイミングスクールに通わせてくれたりもしましたね。
スイムは当時はめちゃくちゃ嫌でしたが、ちゃんと泳げるようになって小学校で恥をかかなくて済んだのでよかったです。
娘にも小さいころ泳ぎを教えました。

あと〇〇君に殴られて顔がはれ上がった時も、どなりこもうとしてくれましたね(僕が悪かったので止めましたが)

家族旅行にも毎年のように連れて行ってくれましたね。
どっかに旅行に行ったとき、車を止めてて僕が急にドアを開けて、その瞬間に追い抜きの車がすれ違って、それで怒られたこともありました。あれはドアにハエがいて焦って開けたんですが、「手がなくなったらどうする!!」って怒ってて、その時は怖かったけど心配してくれてたのはすごくわかりました。

毎年クリスマスにアイスのケーキを買ってきてくれたり、高校や大学の合格を喜んでくれたり、免許をとったときは車を買ってくれました。

世界一周やヒーリングの勉強にも「まぁお前がやりたいなら」とお金を出してくれたし、ポピーだかいう学習教材も買ってくれたし(あれは本当は大きな下敷きと消しゴムがもらえたので、それが欲しかったんです(^^)ゞ)

思えば僕がやりたいと思ったことはたいていやらせてくれましたね。
(小学校の時にパソコンが欲しいって言ったときはダメでしたが(^^))

嫌だったけど楽器が一つでもできるといいってピアノも習わせてくれたし。

今、思い出を書いてて、あらためてお父さんにもしっかりと愛されていたんだなぁって実感しました。

今はやっと、たくさん愛してくれてたのを思いだせたけど、でも僕はずっとお父さんが怖かったから、自分はお父さんの操り人形だったって思っていました。

僕の気持ちをきいてくれなかったお父さんにすねていたんだと思います。

親不孝な息子でごめんなさい。

今なんか、すっごい涙が出てきてとまりません。こんなはずじゃなかったんですが…。

僕はお父さんに、もっと言葉で愛を伝えてほしかった。

僕がやらかしたときとか、あの受験失敗の時も、他に怒られた時も、もっと僕の気持ちを考えて受け止めてほしかった。

でも今、この病室で周りに聞こえないように声を殺していっぱい泣いています。

本当は愛されてたんだって勝手に納得して、満足しています。

もうこの目だと、普通の職に就くのは難しいし、入院とコロナでアルバイトもできてません。

でもなんか今、勝手にとてもスッキリしたので、きっと退院してからはしっかりとやっていけます。

誕生日に、今入院してるなんて伝えたらお父さんも困るかなと思いながら書き始めましたが、ほんと書いてよかったです。

今までは想像上のお父さんの顔はいつも怒っていましたが、今想像するお父さんは、お母さんと一緒に笑っています。

本当に心から、お父さん、誕生日おめでとう!

ずっと健康で、余生をお母さんといっぱい楽しんでね。

長生きしてね。

今までごめんね。
そしてありがとう。

長くなりました。

もうすぐ消灯時間だし、明日の手術は早い時間なので、もう寝ます。

お母さんにもよろしく!

☆☆.。.:・゚:.。.☆☆.。.:・゚:.。.

●書き終わり読み返してみて…

↑のまま、お父さんのLINEに送信しました。

書いている時、本当に涙があふれて止まりませんでした!

今、読み返してみると、そんなにグッとくる感じでもないですね(^^)ゞ

でも書いてるときは、めちゃくちゃ泣いてしまいました((TOT))

お父さんとの思い出を書いてるところ、
特にクリスマスのアイスケーキを思いだして、

「あぁ毎年楽しみにしてたなぁ、あの日はお父さんも早く帰ってきて一緒にケーキとピノみたいなアイス食べたなぁ…」

「毎年やってくれたなぁ。お父さんも楽しみにしてくれていたのかなぁ…」

なんて思っていたら、突然ブワーって涙があふれてきたのでした。

(それから何か月かは、その場面を思いだすたびに泣きそうになってました。)

なんかあのクリスマスを楽しみにしていた感覚と、家族みんなで楽しくお祝いしている情感が、涙腺を刺激するようです。

あったかかったなぁ、幸せだったんだなぁ、楽しかったんだなぁって、
満たされていた記憶があった。
確かにあの時のあの子は幸せだったって、

お父さんにもお母さんにも、ちゃんと愛されていたって実感できたんですね。

それで涙が止まらなくなったのでした。

本当は思いっきり泣きたかったんですが、周りが気になり、嗚咽はさすがにこらえました。

でも泣いている感満載の鼻すすり音がしていたので、同じ病室の人たちにはバレバレだったかな(^^)ゞ

●大嫌いな父へ復讐する気持ちだった

誕生日メッセージにも少し書いていますが、きっと拗ねていたんだと思います。

怒るばっかりでちゃんと言葉で気持ちを伝えない父。

受験失敗のこととか、10年以上前にその時の気持ちを伝えてるのに、
いまだに謝りもしないし自分から一切触れてこない父。
(後日このメールへの返事をもらったけど、やっぱり一言の謝罪もない。)

そんな父に愛情を感じることができず、いくら経済的に援助してもらっても、ただ子どもだから、体裁とか常識とか考えてやってるんでしょ?とか、会社を継がせたいだけなんでしょ?とか考えて、

援助してくれるたびに言われる威圧的な「~しなさい」という言葉に反応して反発していました。
(だって「さっさと離婚しろ!」とか言われたら、ハァッl?てなるよね?(>_<))

さらには、父を困らせてお金を払わせることを「復讐」のようにとらえてもいました。

その時の僕には、実家にいる妹も弟も幸せそうには見えなかったし、僕もうまく人生が進まないことで、「あなたの子育ては間違ってたんだよ!」と暗にわからせたかったような気持ちがありました。

あなたのせいでこうなってるんだから…

これは今まで抑えつけられ人生を歪められた復讐だからしょうがない…

感謝する必要ない…

そんな憎しみの世界から見ていた父の姿。

お金を渡して「これはお父さんの心です」とか言われても、わかるかよ!!
それは心じゃなくてただのお金やろ!ってなってました。

とにかく謝ってほしかったし、僕の気持ちを分かってほしかった。

けどあの人にはわかるはずない、考える気持ちがそもそもない!なんてことも思っていました。

すっごい拗ねてたんです(>_<)

●お金や物でしめす父の愛情表現を、それも愛だとゆるせた

今、この部分を書いてて、
「まぁやっぱりお金はお金やし、それが愛情だとか心だとか言われてもなぁ。」

なんて、やっぱり思います。

でももうムカムカしたり、父を批判するような気持ちはありません。

経済的な面、物質的な面でしか愛情を表現できない人なんだなぁ。
愛情や気持ちを言葉で伝えるのが苦手な人なんだなぁって、ある意味「上から目線」で見ています(^^)ゞ

目に見える価値を贈ることが父の愛し方なんだと、素直に受けいれられるようになりました。

本当は、その愛の気持ちを言葉で伝えてほしかったけど、僕を分かってほしかったけど、
男のプライドのようなものがジャマするのかな。

子どもの心へ栄養をを与えるのは、お母さんにまかせてたのかな。

そんな風に思えます。

父の態度が、決して愛情がないからではなかったんだって、ちゃんとわかるようになりました(^^)

それも愛なんだって、やっと、やっと腑に落ちました♪

その愛情表現の仕方で、今は満足しています。

ちゃんと愛されていたんだって、今も愛されているんだってわかります。

良かった、本当に。

●同じ場所にいて同じものを見ているのに、感じ方が全く違う

誕生日メッセージを父にメールしてから二日後、父からようやく返信が来ました。
(二日間、いろいろ考えたのかな?)

内容としては、僕の体を心配していることや、当面の生活費を送ってくれること、父の会社の現状などでした。

実家に帰って会社を継げとも書いてました。

相変わらずの態度でしたが、僕の感じ方が変わったからか、普通にいろいろ心配してくれているのもわかりました。

返信を読んだその時は、
「あぁまだ会社を継げとか言ってる。こんな眼の僕が継げるわけないのに。やっぱり関わるとめんどくさいなぁ」とも思いました。

でも自分が手塩をかけて作り上げてきた会社を、血のつながった人間に渡したいという想い、その想いをどうしても手放せないっていうのもわかります。

僕の将来を考えてのことだともわかります。

だからなのか、めんどくさいけど、怖くもないし嫌でもなかったです。

だから、今までは敬語で返信していた僕も、

「いろいろありがとう。退院してから考えるね」みたいな軽い感じで返すことができました。

僕は父へのメッセージの中で、ちゃんと気持ちを言葉で伝えてほしかったって書きました。

でも父からの返事には、僕のメールを読んでどう思ったのかなんて、一言も書いてませんでした。

「お父さんもメール読んだら泣くかな?」とか想像してましたが、
実際どう感じたのかは全くわかりません。

でももう僕には、父が実際どう感じているのかなどはどうでもいい話になっています。

僕がちゃんと父が僕を愛してくれているんだってことに納得して腑に落ちているので、本当にどうであってもいいんです。

愛に満たされた安心の中から父を見ているので、揺るがない。

「あぁ、お父さんらしい反応やな」って感じです。

一瞬にしてクリアになって、変わってしまいました。

暗い色のカーテンをパッと開いたら、目の前に美しい景色が広がっていたような感じ。

同じ場所にいて同じものを見ているのに、感じ方が全く違う。

自分が愛に満たされていたんだって納得することで、こんなにも世界がかわるのか!と、本当にびっくりしました。

●まるでスーパーサイヤ人!? 何倍ものエネルギーが自分に流れてくる!

僕が父を許せるようになって初めて実感したのですが、

父の愛を受けいれらえれたことによって、文字通り父から与えられていたエネルギーが受け入れられるようになったようです。

父と母の二人の遺伝子(エネルギー)から生まれた僕の中には、本当は父の持つ男性的なエネルギーも、母の持つ女性的なエネルギーも、両方があるはずです。

だけど、父を受けいれなかった僕は、父の良い所も受けいれることができなかったので、

つまり父の行動力や忍耐力、継続力、責任感、指導力などの、なにかこの世界をしっかり生きていくためのパワーを否定して受けとらないようにしていたようです。

父を受けいれ許したことで、そういった男性的なエネルギーもきちんと受け取れるようになったのか、自分から行動したり、人を巻き込んでいったりすることに抵抗がなくなりました。
むしろそれが楽しくさえあります。

今までなんて、教室で班長になるのさえ嫌だったのに…(^^)ゞ

より地に足つけて生きられるようになったように思います。

今こんな風に、自分の過去やクズな面も表現しながら、自分の想いを人に伝えられるようになったのも、それが大きい気がします。

スピリチュアル的に言っても、
母の家系のエネルギーだけで生きてきたものが、父の家系のエネルギーも僕を支えてくれるようになったように思います。

それで相乗効果でエネルギーが何倍にも増えたように感じます。

両親からの愛を素直に受けとれている人は、こんなにもパワフルで安定した基盤の上で、安心して自分を生きていたのかぁって、驚きました。

●一年がたち今、父の実際の態度と僕の父への愛は関係ない

一年後の今、僕と父との実際の関係はとくに何も変わっていません。

東京と三重で距離が離れているし、実際に会ってもいなければ電話もしていないので、何も進みようがない感じです(^^)

LINEもそんなに頻繁にはありません。

でも、僕の父への気持ちは、あの時から本当に変わりました。

父のことを考えたときの気持ちの重さが全然違います。

憎悪ベースで見ていたのが、
愛ベースで見られるようになったので、

以前と同じようなLINEが来ても、怒りではなくて、なんか慈しみみたいな感情がでてきます。

以前はもし父が死んだとしても葬式なんか出たくない!
ぐらいに思ってましたが、

今では、いろいろ思いだしてきっと泣くし、なんなら挨拶もできそう、ぐらい思います(^^)ゞ

今実家に帰ったら、多分父とはもう一度今までのことを話すだろうと思います。

そしてちゃんとお父さんの言葉で気持ちを聞いて、しっかり心で繋がりたいなと思います。

でも、もしそうできなかったとしても、父が今までと全く変わらなかったとしても、
それは僕の中ではどっちでもいいことです。

もう僕が、「父は確かに愛情を僕に注いでくれていた。」と心の底から納得しているので、実際の父がどんな気持ちなのかは関係ないんです。

もちろん実際にもっと仲良くなれれば、それはもっと素晴らしいけれど、
それがなくても、僕は自分にOKが出せます。

●その人やその出来事の中にある“愛”を受けいれられればOK

これは他の人に傷つけられた時でもそうだと思うのですが、

傷ついてきたその人自身が、傷つけた人の中にある愛情や想いに気づき認め受けいれられれば、それでOKなんだと思います。

どんな人でも愛の人です。
その人の思い込みや正義のなかで、一生懸命に自分の愛を表現しています。

それは、本人が気づいていなくてもそうなのです。

だからその愛を、自分が受け入れることができたら、それでOKなのです!!

それは人だけじゃなくて出来事でも同じで、
その出来事が一見良くない事のように見えても、その中に“愛”が発見できたら、それはOKなんです。

僕は今までいろんなモヤモヤする出来事に対して、自分の気持ちに寄り添って自己対話してきましたが、

深く掘り下げていくと、必ず自分にとって大切で素敵な愛や想いが見つかります。

そしてそれを見つけると、もうその出来事に対してモヤモヤしません。
むしろ良いものとしてしか見えなくなります。

たとえその内容が無理やり解釈してるようなものでも、そうなるんですよね。

すごい魔法みたいです。

自己対話して、そういう素晴らしいものを発見するたびに、
自分の中に、どんだけ宝物が隠されてるんだ!って思います。

すごく嬉しく楽しくなります。

僕が父の愛情に気付けたように、
必ず救いが待っています。

あなただけが、記憶の暗闇からあなたを救いだすことができるんです!!

スゴイ仕組だなー!人間(^^)

ぜひ、いろんな時の自分にしっかり寄り添ってあげて、心の中のいろんな想いをきいてあげようね。

そしてたくさんの宝物を見つけようね♪

僕の体験が、その助けになればとっても嬉しいです(^^)

読んでくれて本当にありがとう!

もりも

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?