プラミィ

#1 人生初ブログです

はじめまして。先々週の木曜5月30日に小田急線の梅ヶ丘駅から歩いて3分のところにブラジリアン柔術ジム SPARCREW を開設した大川と申します。

友人のウェブデザイナーさんからブログ書くならnoteと勧められたので、簡単に自己紹介がてら書かせていただきます。1971年1月生まれの48歳 (レジェンド 中井祐樹世代!のオールドスクール)で千葉県千葉市生まれ、茨城県つくば市(当時は桜村)育ちです。ブラジリアン柔術歴は12年の黒帯で、35歳の終わる頃に始めました。家族は妻が一人、犬を飼うことを考えています。仕事は音楽関連でキャリアをスタートし、音楽著作権や映像版権管理、通訳/翻訳等をこなしながら、現在は個人事業主として細々とやりつつジムを開設しました。

ブラジリアン柔術を始めたきっかけは、35歳の時に個人事業主として独立した際にストレスからくる不摂生極まりない生活で運動不足に陥り、また独立に際して助けてくれた叔母が独立の4ヵ月後に癌で他界し無気力になってしまったある日、事務所でネットを覗いていたら、当時住んでいた場所から近くにある総合格闘技ジムが新たにブラジリアン柔術専門ジムを開設した事を知り、身体を動かしたいし、とりあえず一度覗いてみるか?くらいで見学に行ったのがきっかけです。

基本的に身体を動かすことは好きで、小学生の頃は様々なスポーツをこなしましたが、中学生になると上下関係が面倒臭そうなのもあったので一番緩そうな軟式テニス部を選びながら音楽を貪る生活を始めました。当時はレコードやカセットテープ、またテレビやラジオや雑誌等の音楽媒体も充実していたので娯楽はそれで十分でした。高校は地元の私立高校に進学したのですがスポーツ強豪校で肌に合わず、帰宅部をしながら平日は隠れてアルバイトと銀玉遊びと学校外でバンド活動に明け暮れ、週末は都内に出てライブハウスとディスコ(当時)に入り浸るという酷い思春期でした。。勉強も中学生の頃はそれなりにしましたが、高校では全くしなくなっていた上に単位も危なかった為、よく卒業させてくれたなぁと思います。

高校を卒業してからは1年間ほど高田馬場のTOEFLゼミナールという予備校に通いながら焼鳥屋でバイトをしてアメリカに渡りました。

当時は音楽の事ばかり考えていたので、我ながら英語も喋れないのに良く行ったよと今は思います(まあ、アメリカに渡ってから死ぬほど勉強では苦労するのですが、、人間必要になればやるしかないので)ですので、お互い言葉が分からない異文化圏の人間とのコミュニケーションを取るのは好きだし、今でも得意ですね。綺麗に発音が出来るのは素晴らしいことですが、コミュニケーション能力はそれとはまた別だからです。

ブラジリアン柔術と初めて遭遇したのは、もう少し先の1996年の事です。きっかけは総合格闘家の平直行さんです。これは、また書きます。

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ブラジリアン柔術ジム SPARCREW スパークルー
【アクセス&お問合せ先】
〒154-0022 東京都世田谷区梅丘1-15-14 本通りビル1F
Tel : 03-6413-7753

https://sparcrew-bjj.com
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