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村田兆治氏の身に起こったことと、日本の未来

 まさかり投法の寡黙な紳士、村田兆治氏が空港保安職員に対する暴行容疑で逮捕の報道があった。

 事実ではあるかもしれないが、多くの方が懸念されている通り、報道は額面通りに受けとれない側面がある。

 報道の内容によると、肩を押した、押してないといった内容だが、村田氏自身はなんでこんなことで逮捕されるのだと憤懣やるかたない思いかもしれ
ない。

 一方、空港保安職員の立場に立つと、苛立ちを隠さない180センチを超える大柄な男性と対峙して恐怖を覚えたかもしれないし、職務遂行を阻む厄介な人物だったのかもしれない。

介護現場では日常茶飯事

 72歳の村田氏を老人扱いする訳ではないが、この手のトラブルは介護施設では日常茶飯事で、上記のようなやりとりはトラブルの範疇にも入らない可能性もある。

 現代の我が国では80歳を超えた方でも、体格の良いかたは大勢おられ、正直言って女性の方の介護と比べ、数倍は体力を消耗する。

 男性の高齢者は女性と比べると、相対的に怒りっぽく、世話されるのを嫌がり、中には暴れる方も多い。

 力も強く、本人にその気はないのだろうが、一人で対応すると何があるかわからない。

 色んな意味で正直言って怖いのである。

 それなので、必ず複数対応が必須という決まりのある被介護者もいるのだが、ただでさえ少ない職員で廻している現場では極めて悩ましい問題でもあるのだ。

 対処法はあっても、ある意味本能による行為なので根本的な解決は永遠にないと言っていいだろう。

介護する側も人間なのです!

 あくまでも仮定論ですが、10年前の村田氏ならこのようなことにならなかったかもしれないですね。

  生きている限り、老いは誰にでも訪れる。今までできたいたことや、我慢できたことが思い通りに行かなくなる、うまく言葉にできない苛立ちでつい手が出てしまった可能性は否めないのです。

思い通りにならない苛立ち


 僕は、この2年間で急速に視力が落ち、弱視となり、今は白杖がないとと出歩けなくなりました。

 見えていたものが見えない、時には露わに感情が昂ることも随分ありましたが、徐々に現実を受け止めてきたつもりです。

 心配なのは、今後年齢を重ねた時に、本能が理性を上回り、この状況を受け止められているだろうかということです。

 方法は2つしかないでしょう、死ぬまで理性的であること、もう一つは理性と本能の境目を限りなく近づけておくことだと思います。

 前者は呆けないこと、後者は受け入れること、なのでしょう。

これは、僕の問題であり、村田氏の問題であり、高齢化社会を突き進む我が国の問題なのだと思います。



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